第11話 知事
あれから2か月が過ぎている。
俺とアリルンは一見普通に、刑務所の中で時を過ごしている。
そう。今までと変わりなく。
だが二人だけの内密な計画は、少しずつ、ほんの少しずつ前に進んでいた。
アリルンが俺の案を受け入れてくれるまで長い時間を要したが、今は彼女も、俺の気持ちをわかってくれている。
何を差し置いても、アリルンを失いたくないという俺の気持ちを。
一応言っておくと、俺はなんの心構えもなく、脱獄なんて言葉を口にしたのではない。
5年もの月日があったのだ。
刑務所のどこが警戒が強くて、どこが無防備かくらいは意識せずとも頭に入っていた。
脱獄の手順は
1、壁を破壊して抜け、
2、高所を綱渡りし、
3、監視塔の監視にみられぬよう走り
4、柵と塀を越え、
5、海へと逃げ込む。
となる。
海まで行けば、俺には逃げ切る手段がある。
第一にして最重要の、脱獄のために破る場所。
それは自分の独居房、と思うかもしれないが、違う。
確かに房は俺がひとりで長く時間を過ごすから、手をかけやすい。
が、管理側は最も脱獄を念頭に置いて作っている。
簡単には掘り進められないよう、壁の内部にレンガが埋め尽くされているし、もしその壁を破ることができても、その後は隠れるものがなく、照明に晒され続けるようにできている。
監視塔からの視線は3方向から常にあり、そんな手厚い監視の中を待ち受けるのは、対処の難しい電気の流れる柵。
仮に脱獄のプロというものがいたとしても、舎房からは絶対に無理というだろう。
一番やりやすそうな場所は、そう、図書館内にある。
そう、プラネタリウムだ。
あそこはあからさまに素人建設だ。
高所に作ったから、油断したのかもしれない。
当然、監視の照明も向けられていないようだった。
しかし、プラネタリウムのどこを、どの方向に掘るか。
掘った先が本当に外に通じているかも見極めねばならない。
当然これは丁寧に調べていく必要がある上に、神経をすり減らす作業になる。
前にも言ったが、プラネタリウムは図書館の4階にあり、遠い。
万が一、作業中に刑務官が様子を見にやってくると、呼び声が聞こえず、【命令無視】と同じ扱いを受けてしまう可能性がある。
ひどい場合は二度目の懲罰房行きになる事態だ。
「さて、時間だな。始めるか」
「はい」
アリルンはいつものようにクリアパネルのそばで事務仕事を始める。
刑務官が来たら、それとなく教えてくれる役目だ。
俺は砂時計を反転してスタートさせながら、プラネタリウムに向かう。
この砂時計が、プラネタリウムの問題を避ける一つの方法だ。
図書館の業務に就くようになって、気づいたことがある。
刑務官たちの行動を観察していると、絶対にここに来ない時間があるのだ。
奴らの会話を耳にしたところによると、昼に会議かなにかをやっているらしい。
それが、12時45分からの15分。
つまりその時間は、確実に誰も来ない。
その15分で、俺はプラネタリウムの壁を逐一調べる作業に当たる。
調べ方はシンプルだ。
ノックしながら、その音を調べるだけのこと。
繊細にチェックしなければならないような部分は医者が患者にやるような、打診で調べる必要がある。
音の響き方が微妙に違い、そこの厚みを知ることができる。
砂時計が落ち切り、ふたたびひっくり返す。
これはおおよそ5分を測定できる。
ひっくり返した後は再び意識を集中させて、ただ壁を叩き続ける。
そうして15分が経過すると、俺はプラネタリウムから出て、いつ呼び出されても応対できるような位置で図書館の仕事をこなす。
終わってみれば、結局丸一日、刑務官が覗きに来ない日も毎日のようにあった。
アリルンがいつ壊れてしまうかという不安の中、焦りがなかったといえば嘘になる。
だがその都度、自分に言い聞かせた。
こと脱獄に関しては、クールに構えなければならない、と。
ここは刑務所。
計画は一つの失敗ですべてが終わるのだ。
一日にたった15分であっても、気長に積み重ねていく方が安全だ。
時刻が15時前になる。
そろそろ図書館から離れる時間だ。
「できました~」
「お、ありがとう」
そう言って持ってきてくれたのは、アリルンお手製、特大親子丼。
卵や鶏肉、ねぎなどはアリルンの部屋に置かれている食材で、自炊のためと称して毎週購入してくれている。
刑務所の食事は量が制限されている。
体力をつけておきたい俺にとって、これは腹の足し以上に嬉しいものだった。
「おお、うまいな」
玉子がふんわりしていて、めんつゆの加減もちょうどいい。
ご飯との相性もよく、とめどなく口にかき込んでしまう感じだ。
そうやって午後の幸せな時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
◇◆◇◆◇◆◇
それから一ヶ月ほどが過ぎた。
それは寒さが増して、窓からの陽射しが弱々しく感じられる午前のこと。
「もう、何言ってるんですか」
「アハハ」
いつものようにカートに本を載せながら、アリルンと笑い合っていると、ふいに通路から、靴を鳴らす音がたくさん聞こえてきた。
とりわけ響くのは、カツカツとした、いらいらしたようなヒールの音。
その直感を肯定するように、甲高い声が響き渡った。
「だから何度言わせるのよ、このどアホ! 用足し中にドアを開けるとか、小学生でもしないだろ、ボケ!」
「も、申し訳ございません……」
見ると平謝りをしているのは、なんと所長だった。
所長を怒鳴りつけているのは年配女性。
なにやらお偉いさんの登場のようだ。
女性は50代半ばくらいで、顔に相応の年輪を刻んでいる。
その三角に吊り上がった目は、ただ老いてきたのではないと言わんばかりに、威圧的な視線を放っている。
(この人は)
最近、地域の新聞でよく見る顔だ。
図書係になってから新聞も回収するので、それとなく読む暇がある。
聞こえてくる話で推測するに、どうやら刑務官が最中のトイレを開けてしまったらしい。
好き勝手できる囚人相手と間違ったのかもしれない。
だとしたら、いい気味だな。
「来て早々、なんてクソ歓迎なの、ここは。写真でも出回ったら、絶対に訴えるわよ!」
年配女性が、書類の入った分厚いクリアファイルで所長を指しながら、キンキン声で叫んでいる。
「そ、そそ、それは決して御心配には及びません」
おい、貴様らも謝罪しろ、という所長の言葉に、刑務官たちが一斉に謝罪を重ねる。
「――このたびは誠に申し訳ございませんでした!」
そんなことをしながら、彼らは図書館の入り口の前に来た。
「おい、ここを開けろ」
いつものように深く帽子を被ったゴードンが、扉を警棒でたたく。
どうやら年配女性を図書館の中に入れたいようだ。
アリルンが応じて扉を開けると、ぞろぞろと連中が中に入ってきた。
最後に俺も勝手に入り、アリルンの隣に立つ。
「……まあ」
さっきまでの不機嫌さもどこへやら、整然と並んだ本を見て、年配女性が目を輝かせる。
「信じられないわね。こんなにきれいに手入れされて」
「よ、喜んでいただけてなによりで!」
所長の笑みは、すでに疲れを見せている。
「刑務所はあんなんだし、刑務官はこんなんだし……図書館もどんな小汚い所かと思ったけど、なかなかどうして素晴らしい。これなら本を寄贈した方々もさぞ喜ぶでしょう」
「お言葉感謝申し上げます、
所長以下刑務官たちがずらりと揃って頭を下げた。
そう、この年配女性は今年当選した
「あらすごいわ。こんな古い本が、新品のよう……」
年配女性が近くにあった本を手に取ると、両手の上でまじまじと眺めている。
「修繕がうまいわ。本の扱い方をよく知っている。誰がここの管理をしているの?」
「もちろん所長様でございます」
会心の笑顔で早々に言い放つゴードン。
その眉間をクリアファイルの角が打つ。
「あだっ」
「アホね。そうじゃなくて、ここで実際に働いている人を訊ねているに決まってるでしょアホ」
2回アホが飛び出すさまに、つい吹き出しそうになってしまった。
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