第10話 決意と約束



 懲罰房から出ると、刑務所内ですら極楽に見えると誰もが言うが、まあ確かにそう感じた。

 体は動かせるし、本が読めるし、なんといってもアリルンに会える。


「よう」


 俺は久しぶりに図書館に行って、クリアパネル越しにアリルンの横顔に声をかけた。

 どうやらアリルンは完全に放置されていたらしく、今日俺が復帰してくるとも知らなかったようだ。


「……!?」


 俺の声にびくんとしたアリルンだったが、すぐに涙ぐんで立ち上がった。


「――トリスさん!」


 アリルンはスカートのポケットから鍵を取り出して扉を開けると、すぐさま俺の胸に飛び込んできた。


「おぉぅ、ちょっと待てな」


 俺はアリルンを抱きかかえたまま、図書館側に入る。

 こんな様子を刑務官に見られたら、また懲罰部屋に放り込まれかねない。


 それでも扉を閉めたとたん、俺はすぐさまアリルンのか細い背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。

 そして、その頬に優しくキスをする。


「ただいま、アリルン」


「おかえりなさい……ううぅっ!」


 俺も、実はこうしたかった。

 懲罰房の5日間、離れていてよくわかった。


 彼女に会えなくて、どれほど切なかったか。

 俺は彼女を、間違いなく愛している。


「誰も何も教えてくれなくて……トリスさんがもう帰ってこないのかと」


「ごめんな。あの時はどうしても我慢できなくて言い返しちまった」


 俺はアリルンの頭を撫でる。

 いつもの石鹸の香りが、俺の鼻をくすぐった。


「私こそ、ごめんなさい。私を庇って、トリスさんが……うぅぅっ」


 アリルンが涙をぽろぽろとこぼした。


「いいんだ。アリルンのせいじゃない」


 おかげで、決意が固まったとも言えよう。


 俺たちはそのまましばし、互いを確かめ合うように無言で抱き合った。


「なぁアリルン」


 俺は耳元でささやく。


「午後から例のプラネタリウムに連れて行ってくれないか」


「……え? 構いませんけど、大丈夫なんですか」


「ああ。今日は大丈夫なんだ」


 朝食の時に刑務官の休みの情報を仕入れることができた。

 今日は資格維持の講習会があるらしく、刑務官全体としても少ないし、なにより尖った刑務官がいない。


 ここにやって来ることはまずないだろう。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 網線だらけの窓から、陽光が優しく降り注いでいる。


 作業が一段落した午後。

 俺たちは図書館の中に入り、話した通り、4階のプラネタリウムに向かっていた。


「結構上るな」


「いい運動になりますね」


 5日の懲罰房明けで、予想通り体が衰えてしまった。

 階段を上るのも、恥ずかしいほどに息が切れる。


 ちなみにモジャ刑務官が言うには、あそこで俺がゴードンを殴ったりしていると、懲罰房は60日になっていたそうだ。

 加えて傷害罪が追加され、刑期が伸びるオチがついたという。


 囚人の世界は全くもって、砂地獄だ。

 あんな奴らのいうことを聞かねばならないとは。


「ここです」


 アリルンが手で前を指しながら、笑顔で振り返る。


「おいおい……」


 視線の先にあったものに、目を瞠る。


 広々とした室内に、同心円に配列した席がずらりと並んでいた。

 その中央には、青色の投影機が空に向かって佇んでいる。


「すごい……こんな本格的とは」


 頭上には巨大なドーム状の天井。

 ここが刑務所内だとは、全く信じられないレベルだ。


「投影時間はどれぐらいなんだ?」


「40分くらいです」


「ちょっと試しに見てみたいな」


「あ、ホントですか!?」


 アリルンの表情がぱっと明るくなる。


「ああ。できるか」


「もちろんです!」


 アリルンは声と体を弾ませて操作室に入っていった。

 どうやら、相当楽しみだったらしい。


 俺は最後部の席の後ろに立ち、アリルンが戻ってくるのを待つ。


 やがて室内の電気が消されると、ジー、となにかが巻き上げられる音がして、見る間にぱぁぁ、と天井に息を呑むほどの星空が広がった。


「おぉ…………」


「……トリスさん?」


 暗闇のなか、アリルンが不安げにキョロキョロしている。


「アリルン」


 俺はそんなアリルンを迎えに行き、そっと右手をとった。


「と、トリスさん、暗い中でも見えるんですか?」


「アリルンは見えないんだな」


 俺はすぐそばにあった席にアリルンと手を繋いだまま座った。


 アリルンは少し恥ずかしそうにしながらも、俺の左手を握り返してくれている。


〈最近、星空を眺めましたか? 多忙なこの時代、ゆっくりと空を見上げることは難しくなってしまいましたね〉


 機械音声によるプラネタリウム解説が始まる。

 そうやって二人で過ごす時間は、まるで刑務所の外でデートしているかのようだった。


〈見上げる夜空は、何万年も前の光が集まってできているのです。そう考えるとなんだか不思議ですね〉


 音声の中で星の名前が出てくると、ふたりであれだ、あの星ですね、と指をさす。


 アリルンは星空が大好きらしかった。

 あの星はおおいぬ座のシリウスで、マイナス1.5等級なんですよ、アンタレスは1等級ですけれど、遠くなければ本当はすっごく明るい星なんですよ、などと楽しそうに話す。


 そうやって、楽しいひと時を過ごしながら、アリルンの口数が、だんだん減っていく。

 そしてアリルンが俺の手をきゅっ、といっそう強く握ると、小さく笑うようにして言った。


「……日にちがわからないんです、私」


「そうだったんだな」


 アリルンが毎日日めくりカレンダーを手元に置いているのは、そういうことだった。

 七夕がいつかわからなかったのも、きっとそのせいだろう。


 そして、カレンダーを持って泣いていたのも。


「メンテナンスで治らない問題なのか」


「……実は私、3年前から受けられなくなって」


 アリルンは俯いて、かすかな声で言った。


「なに」


 俺は耳を疑った。


「ごめんなさい、嘘ついて」


 アリルンは3年前からインターネットによるアップデートやデータ配信が中止され、劣化パーツの交換すらされていないという。


 だから日にちもわからなくなり、脚立からも落ちるし、置いた糊も忘れるし、暗視もできなくなっている。


 その身にいくつも故障を抱えながら、孤独に起動しているのだった。


「……だから私、本当にポンコツなんです」


 アリルンが自嘲する。

 同時にその頬をすっと一筋、滴が流れた。


「アリルンはポンコツなんかじゃない」


 俺はアリルンの両肩を掴んでこちらに振り向かせる。


「製造元も頼れないのか」


 アンドロイドはメンテナンスサービスを行う専門の会社がいくつも存在しているが、そこがだめでも、製造元なら対応が可能なはずだ。


「無理なんです。私の致命的な欠陥のせいです」


「欠陥……いつか言っていたやつだな。教えてもらえるか」


 アリルンが涙を拭きながら、頷いた。


「私の中で、初期不良の修復動作中に規定にないプログラムが生まれてしまいました。よりよく生きようとする心……つまり人間のように自分のために暮らそうとするプログラムです」


「……なに」


 本来、アンドロイドは人の役に立つことを前提に作られている。


 それゆえ、究極の状況では自己犠牲をしても人間を守り、人間に尽くす。

 これは『人造人間製作法』に基づく、根幹のルールだ。


「結局異常プログラムは削除不可能でした。『人造人間製作法』から逸脱したことが確定した私は保証対象外アンドロイドとなり、メンテナンスは許可されなくなりました」


「じゃあ壊れるのを待てというのか」


 アリルンが俯いたまま、わからないほどに頷いた。


「……もうすぐだと思います。動作不良が増えてきていて、あと1年はもたないだろうなって、自分でわかるんです」


 俺はその衝撃的な言葉で、めまいを感じた。

 アリルンが、あと1年もせずに、壊れてしまう?


 そんなアリルンがふいに笑顔になって、俺を見る。


「……でも、壊れたら私、役に立つことができるんです。ZOX8000シリーズは頻用パーツが多くて、次のアンドロイドにリユースでき……」


「やめろ」


 俺は言葉を遮った。


「トリスさん……」


「冗談でも聞きたくないことがある」


「ご、ごめんなさい……」


「話を戻すぞ。修理で頼れそうな人に心当たりは」


「………」


 アリルンは俯き、首を横に振った。


「仕方ないな」


 俺の知り合いに頼むしかないか。

 ただ、修理のためにアリルンをそこに送るのは刑務官たちが絶対に許可しないだろう。


 見ていてわかる。 

 奴らはアリルンが本当に壊れるぎりぎりまで、こき使うことしか考えていない。


 ならば、残された手段はひとつ。


「はい。だからいいんです。異常動作アンドロイドの私のことはどうか忘れて――」


 アリルンが痛々しい笑顔を浮かべて、必死に笑っている。


「――違うぞ、アリルン。俺は諦めたんじゃない」


 俺はまっすぐにアリルンを見ながら、その言葉を遮った。


「え?」


「アリルン。君の体に起きたのは故障じゃない。奇跡だよ」


「……えっ」


「アリルンには人間の心が生まれている。だから、君はもう人間なんだ」


「………!」


 投影機の淡い青い光に染まったアリルンが、目を見開いた。

 俺はアリルンの手をぎゅっと握る。


「アリルン。外の世界が見たいんだよな?」


「……あ……」


「ウエディングドレスが着たいんだよな?」


「………」


 俺を見つめたままのアリルンの目が、潤んだ。

 そのまま、涙が彼女の頬を伝った。


「アリルン。俺の知り合いに直せるかもしれない人がいる。その人に依頼してみる」


「……そんな、無理です。私なんて」


 涙を手の甲で拭ったアリルンが、力なく笑う。

 彼女は全く本気にしていなかった。


「無理じゃない。俺を見ろ」


 アリルンのふらつきがちな視線を、俺は自身に向けさせる。


「よく聞いてくれ、アリルン。依頼するにあたって、小さいが一つだけ問題がある」


「……問題?」


「ああ。俺の知り合いはアンドロイドの天才なんだが、随分と高齢でな」


「………?」


 アリルンが瞬きをする。


「ここに来れない。だから俺たちから出向く必要がある」


「出向く……?」


 その意味を悟ったアリルンが、はっと息を呑んだ。

 俺はそんな彼女を、ぎゅっと抱きしめる。


 そして、耳元でささやいた。


「――アリルン。俺と一緒に脱獄しよう」


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