第9話 反抗
だがアリルンがこんなふうに誘ってくれるなど、今までなかったことだ。
もしかしたら、親しくなりたいという気持ちで誘ってくれているのかもしれない。
心底嬉しいものだった。
男として、断る選択肢はない。
「いこうか」
「嬉しいです! 誰かを連れたかったんです」
と、その時。
「――おい、トリスいるか」
刑務官の呼ぶ声がした。
もう5年も経つと、声で誰かわかる。
「はい」
応じながら、無意識に舌打ちしていた。
アリルンもはっとして、背を振り返る。
「大丈夫だ。だがプラネタリウムは今度にしよう」
俺はアリルンの肩に手をのせて安心させるように笑いかけると、そのまま入口の方へ駆けていく。
内心、ひやりとしていた。
もしプラネタリウムにでも行っている間に、呼びかけがあったら、俺は応じられなかった。
こいつなら「刑務官を無視した」と言いがかりをつけて、俺を懲罰部屋に送り込もうとするだろう。
「トリスです」
そこには、一番厄介な奴が立っていた。
刑務官ゴードンである。
「お前、図書館の中に入って何をやっている!」
「はっ。図書係の仕事にあります、本の整理、ほこり取りをしておりました」
「嘘をつけ。女の喘ぎ声が聞こえたぞ? お前女囚を連れているな」
そう言ってゴードンが鼻をくんくんと犬のように動かす。
女の匂いを嗅ぎとろうとする様子があまりにあさましくて、顔をしかめてしまうところだった。
「ロボットの女が本の整理中に脚立から落ちました。その時の声かと存じます」
「なに」
ゴードンが今初めてその存在を思い出したような顔をした。
「あのポンコツ女、まだ動いていたのか」
その言葉に俺の眉がピクリとはねた。
が、湧き上がった感情をそのまま撒き散らすほど馬鹿でもなかった。
「……連れて来ましょうか」
握りしめたこぶしのまま、努めて冷静を装うが、声はあからさまに低くなっていた。
アリルンに聞かれなかったのがせめてもの救い、と自分に言い聞かせ、怒りを鎮める。
ちょうどその時、アリルンが小走りにこちらに駆け寄ってきた。
「お仕事お疲れ様です。刑務官様」
「ここを開けろポンコツ!」
アリルンの挨拶を無視して、扉を警棒で叩く刑務官。
アリルンが目を見開いて、びくんと仰け反った。
(こいつ……言いやがった)
ふつふつとする怒り。
彼女は囚人ではない。
奴の罵声を耐えねばならない理由などない。
「はやく開けろ、このポンコツ女!」
ポケットの中で鍵を探しているアリルンに、ゴードンがさらに怒鳴り散らす。
「は、はいっ、すみません!」
「……」
奥歯をぎりぎりと噛む。
服役して5年、もう何と罵られても、怒りなど感じないと思っていた自分だったが、今はまるで違った。
その顔を叩き潰して、声すら出ないようにしてやろうかと思う。
そのうちにアリルンが蒼い顔をしたまま、恐る恐るカギで扉を開けた。
「お前ら、そこに正座しろ!」
命令に抗うことはできない。
俺は下を向いて座る。
息をすることすら怒りに染まり、抑えねばならない。
かつてない、危険な精神状態だった。
俺に残った最後のわずかな理性が勝ち、なんとか踏みとどまっているだけの、ぎりぎりの瀬戸際。
まもなくして、ばさり、ばさりと本が落ちる音がした。
ゴードンが手あたり次第、本を落として、人が隠れていないか見ているのだ。
(馬鹿か)
戸棚の厚さを考えれば、本の後ろに隠れられるはずがないことなどわかるだろうが。
俺たちは入口の傍で正座したまま、ゴードンが見回りを終えるのを待つが、もう体が震えて、じっとしていられる状態ではなかった。
「先輩、中にいるらしいぞ」
やがてゴードンに呼ばれたらしい処罰型刑務官二人がやってきて、俺たちの前を通り過ぎると、同じように本をごみのように落としながらあたりを探し始めた。
本はそんな丈夫にはできていない。
落とされた際にページが破れてしまう本もある。
「……ひどい」
アリルンが唇を噛んで、涙目になりながら必死にこらえている。
彼女はあの本を一冊一冊、我が子のようにその手で修繕してきたのだ。
俺以上に怒りを感じていることだろう。
やがて気が済んだのか、刑務官たちがこちらにやってきた。
「貴様ら――」
まだなにか因縁をつけようとしたのだろう。
だがそこで、ゴードンの胸ポケットで着信音が鳴り響いた。
「ゴードンでございます……はい、はい、承知いたしました。すぐ参ります」
その下手に出た話し方から、相手は所長か誰かのようだ。
「所長がお呼びだ。おい、行くぞ」
処罰型刑務官の二人が頷き、ゴードンに続く。
「おい、トリス。あとでねちねちとやってやるからな。落ちた本を片付けておけ」
吐き捨てるように言うゴードン。
「落ちた」ではないだろうが。
「………」
それでも、なんとか俯いて、堪えた。
頭を下げて頷いたように見えたのだろう。
ゴードンたちは急げ、と言いながら俺たちの前を通り過ぎようとした。
しかし先頭のゴードンの足が、ぴたりと止まった。
「……なんだその目は」
はっとして見ると、アリルンがゴードンを睨んでいた。
「日にちもわからんポンコツがァ!」
「きゃっ」
ゴードンが近づき、アリルンを平手打ちしようとする。
俺はとっさにゴードンの平手打ちを遮る。
その衝撃が俺の腕に伝わると、もう限界だった。
――こいつは、これだけの力でアリルンを殴ろうとしたのだ、と知ってしまったのだ。
俺は、真正面からゴードンを睨みつける。
「おい……二度とポンコツと言うな」
その言葉に、ゴードンたちが目を見開いた。
「――き、貴様、【抗弁】だぞ!」
ゴードンの後ろにいた処罰型刑務官が笛をピーと鳴らして、何かボタンのようなものを取り出し、押した。
ジリリリリ、と火災報知機のような警報が鳴り響く。
直後、処罰型刑務官たちが電気の流れる警棒を取り出し、それで俺の頭を殴った。
「ぐっ」
体がしびれ、倒れ伏す。
しかし倒れても、まだ3人は警棒で殴り続けていた。
「――ト、トリスさん! いやぁぁぁぁ!」
◇◆◇◆◇◆◇
左耳の後ろが裂けているのか、じりじりする。
「
ここは取調室だ。
あれから俺は、ここに連れられていた。
取り調べ担当は温和で知られるパンチパーマをかけた丸顔の刑務官、通称モジャだ。
頷いた俺に、モジャはため息をついた。
「……全く馬鹿なことをしたよ。お前、このままいけば仮釈放が相当近づいたはずなのに。この一回でえらい延びたぞ」
「………」
俺はただ黙って聞いていた。
「お前はもう三年以上の模範囚だからこれ一回で落ちることはないが、次は剥奪されるからな。肝に命じておけ」
「………」
「返事をせんかい」
「はい」
「今回は【抗弁】に対する懲罰房5日間だ。頭を冷やせ」
そう言って取り調べは終わった。
懲罰房5日間。
その間、なにもしてはいけない。
飯と薬とトイレ以外は、ただ座り続ける。
もちろんテレビや本も禁止だ。
食事も全体的に量が減り、かなり貧弱なものに変わる。
夜は薄っぺらな布団に寝かされ、背中が痛くなってずっと同じ姿勢で眠ることができない。
なにもしなくていいから楽だと思うだろうか。
決してそうではない。
「動くな」とはまさに、死に近づく最短距離に他ならない。
人は動くことで筋肉が活動し、筋肉のポンプ効果で血流が改善し、身体の機能が維持される。
動かなければ筋肉は一日で約3%も減少し、血流は滞って血栓をつくりやすくなる。
これが連日ともなると、想像するだけで恐ろしい事態だ。
そうそう、初日と4日目に三陽先生が俺を呼び出してくれた。
頭を殴られたことをひどく心配して画像精査を依頼したが、それは叶わなかった。
それでも、刑務官に逆らって一時間近く診察室に拘束してくれたが。
三陽先生に感謝の言葉を述べて、俺は懲罰房に戻った。
(今の俺にはちょうどいい時間だ)
それでも、ひとつも苦に感じてはいなかった。
頭の中で考えをまとめるのに、ちょうど没頭したかったのだ。
その5日間を過ぎたころには、一つの考えがまとまりつつあった。
作者より)
懲罰房の苦しい描写はありません。
安心して次話をお読みください。
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