第31話 最期の言葉



「照明は落としていますので足元に気を付けてください。はい、そちらから順番に席についてください」


 刑務官が何人もプラネタリウム内に立ち、俺たちを誘導している。


「嫌だと言っていたのに」と口を尖らせたロレッタを隣に連れ、俺はプラネタリウムに入る順番を待っている。


 最後の最後で希望者が殺到して、結局俺たちの後ろには五組のカップルが追加されていた。


 走らなくてもよかったのかよ。


 プラネタリウムに入ると、すでに美しい星空が投影されている。


「案外綺麗ね」


「ホント。他のとこよりいいかも」


 前のカップルが頭上を見回して感嘆している。


 俺はあの頃を思い出していた。


 ――脱獄を決意した日。

 ――壁を叩いて、抜ける場所を探した日々。

 ――そしてアリルンとともに、逃亡した日。


(危険と隣り合わせだったが)


 あの頃が一番幸せだったなと思う。

 いつも微笑んでくれる彼女がいたから。


(いいさ。大丈夫だ)


 アリルンは、俺の心の中で生きている。

 さっきアリルンと逢えただけで、俺はもう十分だ。


「はい、こちらの列に入ってください」


 そんなことを考えていた折。


「あっ」


「あ」


 隣からロレッタがいなくなっていた。

 手を繋いでなかった俺も悪かったのだが、どうやら暗闇の中で、係の刑務官に別々に誘導されてしまったらしい。


 暗視のある俺もロレッタもそうなってしまったことはすぐに理解できたのだが、ロレッタは流されるように全く反対側に誘導されて、遠くの席に座ってしまった。


 戻ってこないあたり、多少なりともすねているのだろう。

 今日はいろいろ嫌がることをしているからな。


(まあいいか)


 よく考えれば、ロレッタが隣にいる必要はない。

 アリルンは、俺の中にいるから。


「では時間が押していますので、さっそく始めます」


 いつかのようにジー、となにかが巻き上げられる音がして、機械音声とともに静かな音楽が流れ始めた。


 〈最近、星空を眺めましたか? 多忙なこの時代、ゆっくりと空を見上げることは難しくなってしまいましたね〉


 〈見上げる夜空は、何万年も前の光が集まってできているのです。そう考えるとなんだか不思議ですね〉


 機会音声を聞くや、すぐに喜々として語っていたアリルンを思い出し、俺も笑顔になる。

 そういやアリルン、1000回超えで見ていたんだったな。


(そりゃ手招きもするわな)


 アリルンが俺を呼んだ理由がわかった気がして、小さく忍び笑いを漏らした。




 ◇◆◇◆◇◆◇




〈……つらくなった時はどうか、悠久の時を湛える夜空を見上げてください。お約束します。この偉大な夜空が皆さんのどんな傷をも癒やしてくれることでしょう〉


(まあ確かに癒されたかな)


 拍手とともに上の照明がつき、俺は座っていた椅子から立ち上がった。

 心が軽い。そして、温かい。


「ではみなさん、お足もとに気をつけてご退場ください。15分後にバスが出発しますので、まっすぐ出口に向かって進んでください」


 後方の席に座っていた俺は、すぐに出口に辿り着いた。


 そこで出ていく人の邪魔にならぬよう脇によって、ロレッタを待つ。

 見てよかったねぇ、などと言いながら、カップルや家族連れの人たちがぞろぞろと通り過ぎていく。


「あー」


 大きく伸びをした。


 今日は、久しぶりに笑った気がする。

 おかげでアリルンのことを随分と思い出した時間になった。


 それとともに、アリルンを忘れることなど不可能だと知った。


(いいさ。ずっと好きでいてやるよ)


 そう決めると、気持ちがすっ、と楽になった。

 後ろ向きだろうが、アンドロイド症候群だろうが、俺はこのままが楽だ。


 もうひとつ気づいたことがある。


 アリルンとロレッタの違いを改めて、肌で感じたのだ。


 俺はロレッタにずいぶんひどいことをしていたのかもしれない。

 他人のアリルンになれと強要していたようなものだからだ。


(謝らなければならないな)


 ロレッタはロレッタでいい。

 俺が愛せないのは、別人なのだから仕方がないのだ。


「さて、明日からまた頑張るか」


 そろそろ仕事も始めようか。

 異世界に行って、また稼いでくるのだ。


 いいかげん、前を向かねばなるまい。


「……それにしても、遅いな」


 ロレッタが全然出てこなかった。

 人ごみを嫌がっていたから、てっきり先に出口で待っているだろうと思ったのだが。


 やがて、本当に最後の最後で、ロレッタが赤いリボンを揺らして出てきた。


「――トリスさん!」


 なんだろう。

 珍しくあいつが笑っているように見える。

 いや、気のせいか。


「遅いだろ」


「す……すみません!」


 俺は背を向け、すたすたと歩き出す。

 彼女はロレッタだ。そういう距離感でいいのだ。


「あの、どうして私たち、ここに戻って……?」


「なんだ、寝ぼけているのか」


 ロレッタよ、せっかくの癒しのプラネタリウムを寝て過ごすとは。

 まあ、だからこそ人ごみの中でも耐えられたのかもしれないが。


「もう十分見ただろ? もうすぐバスの時間だ」


 向かう先では刑務官がありがとうございました、と言いながら、出口で待っているバスへと客を誘導している。


「早く行こう。帰ってゆっくり湯にでも浸かりたい気分なんだ」


 そして心を落ち着かせたい。

 そう考えていた俺はやはり、すたすたと歩いていた。


「……帰る?」


「家も忘れたのか。秋葉原だろ」


「……えっ……?」


 ロレッタが呆然とする。


「それよりも済まなかったな、ロレッタ」


「……ろ、ろれった?」


 ロレッタが、後ろで素っ頓狂な声を上げている。


「俺はもう、お前のことをもう二度とアリルンとは呼ばない。お前とアリルンは全く別人だとわかったからな」


「……ど、どういうことですか」


 喜ぶかと思いきや、ひどく困惑したような声。

 なにか調子が狂うが、俺は構わずに続けた。


「このプラネタリウムに来てよくわかった。アリルンは俺の心の中にしっかりと生き続けているんだ」


「………!」


 その言葉に、後ろからはっと息を呑む声が聞こえた。

 俺はそのまま、赤い絨毯の道を歩き続ける。


「もしかして……アリルンと言う人は、しばらくいなかったんですか……?」


 ロレッタがたたた、とらしくなく足を鳴らして俺の背中に駆け寄ると、そっと呟くようにして、訊ねてきた。

 俺は振り返らずに頷く。


「アリルンが壊れたのは脱獄したクリスマスのころだから、ちょうど2年になる」


「そ、そんなに……」


 ロレッタが言葉を失っている。


「それよりロレッタ、今まであいつと重ねて悪かったな」


「はい?」


「今日からは強く生きていくよ。アリルンの最期の言葉に従って」


 この言葉は、俺の大事な支えだった。


 だから、誰にも言っていない。

 高木の爺にも、ベルサイユにも。


 言ったら、その価値が失われそうだったから。


「最期?」


「そう。最期」


 また俺は足を止めていた。


「アリルンは、こう言ってくれたんだ……」


 俺は息を吸って、告げる。


「『あなたのおかげで――』」


「『――心だけはいつも、強く在れた』」


 後ろであの時と同じ声が、言葉を続けていた。


「……なっ……」


 心臓が、どくんと跳ねた。

 喉が熱くなって、息がつまる。


 なぜ知っている……?


 俺が振り返るより先に、少女が俺の前に回り込んだ。


「ごめんなさい、外しますね。私、これ好きじゃなくて」


 少女は赤いリボンをするすると取った。

 さらさらとした黒髪が、はらりと彼女の肩に舞い降りる。


 赤い絨毯の上に立った少女は「それからこれも」と黒のコートを脱ぎ捨て、俺を真っすぐに見た。


「トリスさん、あの言葉、最期じゃないわ」


 純白の少女が、にっこりと笑う。


「だって私、ここにいるもの」


 本当に遅くなってごめんなさい。ただいま戻りました、と少女が頭をぺこん、と下げた。


「あ……」


 俺は言葉が出なかった。

 代わりに目では、熱いものがあふれ返っている。


「う……うそだろ……」


 会えなかった2年という月日は、信じられなくさせるのに十分だった。

 彼女の記憶が戻ったという、こんな嬉しいことが、受け入れられない。


「わたし、アリルンです。トリスさんが脱獄して助けてくれたアリルンですよ!」


 そう言った少女が、俺の胸に飛び込んできた。

 触れ慣れたあの柔らかい感触が、俺を一瞬で癒しつくす。


「……本当に、本当にアリルンなのか」


 ずっとひとりだったせいか、ぎこちなく抱き寄せる俺に、少女は昔と変わらぬ様で、ぎゅっと腕に力を込めた。


「トリスさん、私と結婚してください! 短冊に書いた通り、ハワイで、蒼い海のそばで挙式してください!」


「………!」


 なんなんだ。なんなんだよ……。


 俺もすっかり、年を取ったようだ。

 ひどく涙もろくなってしまった。


「……ああ。そうだったな」


 俺は泣き笑って、まけじとアリルンをぎゅっと抱き締めた。


「トリスさん……ロボットの私でも、愛してくださるんですよね? 心変わり、してないですよね?」


 少し不安そうな顔をするアリルン。

 その顔で、あぁ、本当にアリルンなんだ、と確信した。


「――当たり前だよ、アリルン」


 アンドロイド症候群? 

 そんなものくそくらえだ。


「アリルン愛してる。誰が何と言おうと、一生放さないからな」


「トリスさん! 大好き……んっ」


 俺はアリルンを抱きしめ、強く唇を重ね続けた。

 いつも歩いてきた、あの赤い絨毯の上で。



 終わり

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