第30話 あの図書館へ



 それから数週間が経っても、俺はまだあきらめず、思いついたことを試してみては、ロレッタの反応を窺った。


 しかし、返ってくるのは否定的なものばかり。


 あれほどに誓った俺の心が揺らぐほどに、蘇った奉仕型アンドロイドは冷え切った人形だった。

 爺さんやベルサイユの手違いで、もう記憶が消去されてしまったのかもしれないと考えてしまうほど。


 それでも、俺はあきらめなかった。

 絶対にあきらめるものかと歯を食いしばった。


 根比べなら、絶対に負けない自信があった。


 そうやって二年の時が過ぎるころには、俺の心はもう折れていた。


 何もせず、ただロレッタとふたり、家の中でぼんやりと過ごす日が多くなっていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「トリス様、朝食ができました」


「ありがとう」


 ロレッタの料理は、各専門店の料理レシピをまったくそのままに作ったものだから、素晴らしかった。


 だが正直、好きになれなかった。

 俺が望むのは、こういうものではなかった。


「いただきます」


 上品な親子丼を口に運びながら、新聞に目を通していた。

 ネットでも読めるのだが、紙を広げた方が、様々な情報を拾いやすいからだ。


「お味はいかがですか」


「悪くない。何度も言うけど、味付けはめんつゆだけでいいんだけど」


「ご指摘ありがとうございます。ですが味の奥行きが」


 こうで、こうで、こうなんです、とロレッタが何百回と繰り返してきたやり取りをする。


「……ん?」


 そんな折、目に飛び込んできた小さな記事。

 それは、俺が長年過ごした場所に関するものだった。


「……」


 俺は食い入るようにそれを読み、すぐに決断した。


「ロレッタ、一緒に行きたいところがあるんだ。今週の土曜にまた付き合ってくれ」


「なんなりと。で、どちらに?」


 ロレッタが、いつものように無感情に訊ねてくる。


「行ってみればわかるさ」




 ◇◆◇◆◇◆◇




 海風で、ロレッタの赤いリボンが揺れている。


「思ったより寒いな」


「はい。これは寒いです」


 ロレッタの吐息が白く曇る。

 まだ12月の初旬だが、澄んだ蒼空に放射冷却して、今日はまるで脱獄したあの日のように冷え込んでいた。


 早起きした俺たちは電車で千葉に入り、そこから小さな島に渡る船上にいる。


「ところで、どこへ向かっているのですか」


「アリルンと初めて会った場所さ」


 向かう先は二人で寄り添いながら、日々幸せに過ごした場所。

 そう、花咲刑務所付属図書館である。


 今日はなんと、そこが一般開放される日なのだ。

 1800円払えば、プラネタリウムも見ることができるという。


「それで、これですか」


 ロレッタは無感情に頷き、自分の着ている衣服を見る。


 彼女には相当に無理を言って、白の深緑のワンピースを着てもらった。


 アリルンがいつも着ていたもので、俺の最後のわがままである。

 だがロレッタはそれを隠すように、黒の毛皮のロングコートを羽織っている。


「楽しみですね」


「ああ」


 そう言う俺たちはもう、手を繋いでいなかった。


 俺は彼女の記憶が戻るとか、そんなことを期待して図書館に向かっているのではない。


 ただ、今日という日を、気持ちの区切りにしたかった。

 ――俺自身が、アリルンを忘れるための。


 だから最後は思いっきり、アリルンを思い出そうと思った。


 船を降りると、囚人を運ぶあのバスが俺たちを出迎えてくれた。


 バス待ちでやっと気づいたが、同じように刑務所付属図書館の観覧を希望する人は、なんと100人以上いた。

 デートらしいカップルも多数いる。


 囚人用バスはテレビでしか見たことがない乗り物らしく、シートかたーい、なにこれ窮屈、などと皆興味津々にしていたが、俺は護送された時のことを思い出して、少々気分が悪かった。


 刑務所に着くと、見た顔が出迎えてくれた。

 どうやら所長は変わっておらず、相変わらずここに勤めているようだ。


 刑務官はデクノボウやねずみもいる。

 あいつらはまず俺に驚き、次にアリルンそっくりの少女を連れていることに驚愕していた。


 ちなみに、ゴードンはいない。


 案内には俺とは初対面の新人らしい刑務官がついて、愛想よく応対してくれた。

 いかに恐ろしい場所かの説明がやけにくどくて誰もが飽きてきたころ、やっと歩き出して、刑務所の中の案内が始まる。


「どうしてあの窓、あんなになってるの」


「ああ、あれはね」


 鋼線が張り巡らされている窓を見て、父親らしき人が、子にその理由を説明していた。


 赤い絨毯の通路を抜けると、視界の先には懐かしい図書館の入り口が見えてきた。


「さあ、ここが世界でも最大と言われる花咲刑務所図書館です。大きいでしょう」


 案内の刑務官が自慢げに言う。


 ここからでも、新しい図書係のロボットがクリアパネルの向こうに座っているのが見える。

 少女型ではなく、銀色でつやつやした外観の、機械の容姿のままのロボットだ。


 むしろアンドロイドではなくてほっとした。

 またあの生活を強いられる人型ロボットがいるかと思うと、胸が苦しくなるに違いなかったからだ。


「行こう。中を見せたいんだ」


 俺は声をかけて、図書館に向かって歩く。

 そんな折、隣を歩いていたロレッタが立ち止まった。


「……」


「ロレッタ?」


 俺は瞬きして、彼女を見やった。


「ここは……」




 ◇◆◇◆◇◆◇




「ここは……」


 こんな驚いた表情を浮かべるロレッタは初めてだった。


「まさか記憶が?」


 俺ははっとして、ロレッタの両方の二の腕を掴んだ。

 しかし彼女は即座に、首を横に振った。


「いえ、知識になかったので……あの、痛いです」


「あぁ、済まない」


 力が入ってしまっていた。

 俺はロレッタを放し、図書館に向き直る。


(ありえないことを)


 何を夢見てしまったのだろうとつい苦笑し、気分を変えて歩き出す。

 アリルンはもう、戻らないのだ。


 俺は大きく息を吐き、周りを見る。

 毎日、毎日、アリルンとカートに本を載せていた場所だ。


 そういえば、本、読んでいないな。

 もし外に出られたら、いろいろ買って読もうと思っていたのに。


 アリルンにも薦めたい本が山ほどあったのに。


 図書館の中では自由行動が許されたので、アリルンが住んでいたあの狭い部屋にも行ってみた。


 鍵が閉まっているかと思って戸を引いてみると、なんと開いた。

 その奥の戸も鍵がかかっておらず、小さく開いている。


 俺はその戸を開ける。


「………」


 しかしそこには、生活感のない、かび臭い部屋があるだけだった。

 すべてが片付けられ、閑散としている。


「ずいぶん狭い部屋ですね……。これが何か?」


「いや、なんでもない」


 これでいい。


 アリルンはどこにもいない。

 それをきちんと理解できれば、俺は忘れられるから。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 100人以上が図書館に入り、思い思いの場所で皆が本を手に取り、読んでいる。


「ではそろそろプラネタリウムに向かいます。ご希望の方は私についてきてください」


 新人刑務官が旗を持って、階段の前に立っている。

 希望しない人はこのまま図書館で本を読んでいて構わないそうだが、全員かよ、と思うほど、参加者たちが列をなして階段の前に並び始めた。


「はい、あと12人で定員です!」


 新人刑務官が大声を上げている。


「……プラネタリウムですか」


 ロレッタが階段の方を見ている。


「ああ。見に行きたいか」


「ありがとうございます。ですが希望を聞いてくださるなら、わたくしはできれば遠慮したいなと」


 人ごみは苦手なので、と言う。


「わかった」


 ずいぶんわがままを通してきたから、それくらいは聞こう。

 このまま上映が終わるまで、ここで本でも読んでいようか。


「プラネタリウム、あと4人です」


 ――しかし。

 見ないと決めたとたん、急に気持ちが落ち着かなくなった。

 黙っていると汗まで出てくる。


(どうしたんだろう)


 やけにそわそわする。

 汗を拭きながら、なんとなく視線を向けた、プラネタリウムへの階段。


「………!」


 俺は椅子を倒して、立ち上がっていた。


 手招きしていた。

 昇り階段のところで、深緑と白のワンピースを着たあの時のアリルンが、にっこりと笑って。


「あ……」


 瞬きすると、すぐにそれは消え去り、ただの階段になっていた。


「………」


 ただの錯覚だったのに、俺は喉の奥が熱くなって、視界が一気に潤んだ。

 必死で堪えてきた気持ちに抑えがきかなくなっていた。


 がっくりと膝をつく。


「アリルン……!」


 お前に、お前に会いたいんだよ。


 どこにいるんだよ。アリルン。

 出所できたんだぜ、俺。


 なのにずっと、ずっと見つけられなくて。

 俺はもう、心が折れてしまったよ。


「うっ……くっ……!」


「……トリス様?」


 溢れてくる涙をそのままに、ただアリルンのいなくなった階段を見つめる。

 みんなが不思議そうに俺に視線を向けるのも構わずに。


「――やったぁ間に合った!」


 そうしているうちに、カップルが列に駆け込んでいった。


「さぁ、あと二人で締め切りですよ」


「……!」


 俺は、はっとする。

 慌てて立ち上がる。


 泣き呆けている場合ではない。


(アリルンは手招きしていた)


 それはつまり、そういうことだ。

 ただの錯覚と言われようと、今の俺が一番に信じる人が、俺を呼んだ。


「――おい、見に行くぞ!」


「えっ」


 俺はロレッタの腕をぐいと掴むと、駆け出した。


「ちょ、いたい、痛いです!」


「いいから来い!」


 俺は周りにあった椅子を根こそぎ吹き飛ばすようにして走り、列に向かう。

 列の近くに座っていたカップルが同じことを考えたらしく、今、椅子から立ち上がった。


「――おおぉ!」


「やめて、痛いです!」


 ロレッタの悲鳴が上がるが、もはや気にしない。


 列に並ぼうと、歩き出す別のカップル。


 その横を駆け抜けて、俺とロレッタは列に加わった。


「あひっ!?」


 並ぼうとしていた男の肩にちょっとぶつかり、吹き飛ばしてしまった。

 加えて、止まりきれずに前に並んでいたカップルに追突する。


「な、なんだよ……」


 男のほうが不満げに振り返る。


「ああ、ごめん。ちょっと勢いがありすぎたな」


 俺は適当に笑ってごまかした。

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