第29話 ロレッタ
俺は花咲刑務所に戻され、残る刑期のほかに、懲役が追加された。
もちろん模範囚でいられるはずがなく、最低レベルの4種に落ちている。
あれからアリルンをどうしたかは、ひとつも聞かれなかった。
刑務所は県から新品のアンドロイドの交付を受けられるそうで、このままアリルンが戻ってこない方がありがたいらしかった。
2か月くらい経って、匿名からの手紙が来た。
名前は書いていないが、間違いなくベルサイユからだ。
警察に読まれても大丈夫なように、極悪人、人殺し、社会のごみなどの文字が繰り返され、文章もアナグラムになっていたが、言いたいことはすぐに伝わった。
「………」
俺は手紙を破り、握りしめた。
アリルンの修復作業は、非常に難航しているらしい。
◇◆◇◆◇◆◇
刑務所に舞い戻ってから、半年経った夏の日のこと。
俺は裁判のやり直しで証拠不十分となり、三陽先生が言っていた通り、本当に無罪になった。
脱獄の罪と、今まで服役していた6年が相殺され、俺ははれて釈放となった。
釈放されるやいなや、メディアが一斉に押し寄せた。
テレビ番組への出演も、全局じゃないかと思うほど、数多くから依頼された。
世紀の脱獄、そして無罪での服役について語ってほしいと、2000万の入ったアタッシュケースを持って刑務所の入り口で待っていた局もあった。
それだけではない。
頬を染めた三陽先生からも、結婚して一緒に暮らしたいというありがたい話を頂戴した。
私が一生その病気を起こらなくしてあげる。
アリルンさんが直るまででもいい。
彼女はそう言ってくれたが、俺は丁重に断った。
もちろん、テレビ局の申し出も全て断った。
俺はあの秋葉原の、高木爺さんたちがいるマンションに家を借りた。
出所して一か月が瞬く間に過ぎたが、アリルンの修復作業はまだ終わらなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
出所してから2か月が過ぎ、やっと待ち望んだ日になった。
アリルンを預けてから8か月。
とうとうアリルンの再起動を試す日だ。
俺はタキシードを着て白い手袋をはめ、爺さんの家に行った。
「いらっしゃいませ」
アリルンは作業台に横になっている。
彼女によく似合う、いつも着ていた白と深緑の制服を着て、頭には赤いリボンをつけている。
あのリボンは通常ロボットよりも格上の、奉仕型アンドロイドであることを示す証だ。
「アリルン……」
まだ動いていないというのに、俺の頭の中では山ほどある言いたいことが目まぐるしく駆けまわっていた。
どうか、どうか無事に起動してほしい。
「やれることはすべてやったぞ」
爺さんが、後ろから俺の肩を叩いた。
ありとあらゆる劣化パーツをすべて新品に置き換えてくれたそうだ。
通常なら触らない中枢部分にも、爺さんとベルサイユは介入してくれた。
ただ人間性にかかわりうる部分はできるだけ温存し、細かな修復作業を行ってくれたそうだ。
「本当にありがとう」
アリルンの起動を行うのはベルサイユだ。
彼女には感謝してもしきれない。
修復作業だけではない。
身体を洗ったり、下着や衣服を買ってきたりとアリルンの身の回りも全て世話してくれたのだ。
「ではいきますわよ」
ベルサイユがアリルンのおへそのところにある起動ボタンを押す。
次の瞬間、ふぉん、という音がアリルンの中から聞こえ、内部機器が作動し始めたのが分かった。
俺は彼女の右手を握って、その時を待つ。
たっぷり10数秒が経過して、アリルンがゆっくりと、その瞼を持ち上げた。
俺はもうそれだけで喉元が熱くなり、感極まってしまった。
「アリルン……」
彼女は俺が握った手を放し、両手をついて上半身を起こし、作業台に座る。
ぱちぱち、と瞬きをして、俺たち3人に順番に目をやる。
そして。
「――
アリルンが棒読みで、俺たちにそう告げた。
「アリルン、ふざけているんだよな」
俺の顔には、よくわからない笑みが浮かんでいた。
「アリルン。俺だよ俺」
「ご主人様。失礼でございますが、アリルンとは何でしょうか」
「……アリルン、俺だ。トリスだ。ずっと一緒に居ただろ」
俺はアリルンの両方の二の腕に手をかけて、笑いかける。
「トリス様。承知いたしました。わたくしの名はZOX8000シリーズ A‐RiLN/MM3 SHII28。事前設定でロレッタという名がございますので、そうお呼びください。旧モデルのため、メーカーサポートが終了しております。不具合が予想されますが、どうぞよろしくお願いいたします」
アリルンは淡々と言葉を発した後、頭を下げた。
「アリルン。俺な、無罪になって刑務所から出られたんだ」
俺は白の手袋を脱いでアリルンに近づくと、その手を握り、反対の手でその頬を撫でた。
頬はあのころと一緒だ。温かい。
こうやるとアリルンはいつも、くすぐったそうにしていた。
「……」
しかし今は、身じろぎ一つしない。
まるで人形のようだ。
「ずっと待ってたぞ。アリルン」
俺はアリルンを抱きしめた。
あの時と同じだ。温かい。
だがアリルンは感情のかけらも乗らない声で、言葉を発した。
「性交渉をお望みでしょうか。起動直後でございますので、もう少々お待ちください」
◇◆◇◆◇◆◇
爺さんが予想していた通り、アリルンはシャットダウンした際に、その記憶のほとんどが消去手続きに入っていたそうだ。
爺さんとベルサイユはそれを食い止めてくれた。
記憶野を司るデータ基盤の状態をチェックする限り、9割以上は残されていたはずだという。
しかし今の状況を見ると、どうやら残された記憶は再コネクトされていない。
爺さんにも、その原因はわからないそうだ。
繊細な部分を処置しただけに何らかの手落ちがあった可能性は否めない、と爺さんは支払った金を全額返そうとしたが、さすがにそれは断った。
俺は二人に何度も礼を言って、アリルンを家に連れて戻った。
全く別人のようになっても、俺は彼女がそばにいてくれることに安堵を覚えたのは確かだったのだ。
「お前はアリルンっていうんだよ」
「わたくしはロレッタでございます」
「アリルンでいいの」
「ロレッタでございます」
新しいアリルンは、名前を受け入れてくれなかった。
「俺の名前、聞き覚えないか?」
ロレッタは首を横に振った。
「トリス様とは本日初めてお会いしました。優しくて最高のご主人様でございます」
ロレッタはまさに機械のように、淡々と告げた。
浮かべられた笑みが見慣れなくて、俺は逆に鳥肌が立った。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
ブライダルプロデュースの店員たちは、俺が連れてきた少女がロボットであることに気づいて、ぎょっとしていた。
しかし金はちゃんと払うというと、笑顔を取り戻す。
「素晴らしいですね。ウエディングドレスですか」
店舗に入るなり、ロレッタが感情のこもらない声で呟いた。
「気に入ったのがあればいいんだが」
「え? わたくしが着るのですか」
「そうだよ」
ロレッタは、心底わからないといった顔をする。
「なぜですか」
「着てみたくないか」
「わたくしは結婚しません」
「まあそう言わずに試着してみろよ。着ているうちに楽しくなるから」
「楽しく?」
「そう。さ、ほら」
俺はロレッタの背中を押す。
これがきっかけで、奥深く眠る感情が刺激されて、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。
俺に促されて、ロレッタはしぶしぶ試着部屋に向かう。
「ロレッタ、マリアヴェールもあるから、リボンは外しておいた方がいいぞ」
「ご指摘ありがとうございます。ですが申し訳ありません。これはトリス様のご命令でも外せません」
ロレッタは振り返り、頭を下げる。
「どうして」
「わたくしがアンドロイドである証拠であるとともに、希少な『奉仕型』を示すものだからです」
「……そんなに大事?」
「はい」
「……ふーん」
なんか奉仕型を鼻にかけてる感じがするけど、まあいいか。
誇るようにベースで作られているってだけだよな。
アリルンは全然そういうのなかったし、そもそもリボンなんてなかったけど。
「おまたせしました」
出されたコーヒーを飲みながら待っていると、10分ほどで係の人が俺に声をかけてくる。
カーテンが開けられた先には、ドレスをまとったアンドロイドの少女がいた。
「……すごく可愛い」
嘆息を漏らした。
見ろよアリルン。
今、ゼクシィでずっとずっと憧れていた、あのドレスを着ているんだよ。
「どうだ?」
「………」
ロレッタは申し訳なさそうにしながらも、口を開いた。
「ありがとうございます。ですが、失礼を承知で申し上げると、わたくしは全く楽しくありません」
「……そうか」
彼女は何度も申し上げていますが、と前置きする。
「こんなものを着るより、わたくしはただ日々ご主人様のお役に立てるだけで嬉しいのです。初めて見る景色も、美味しい食事も、なにひとついらないのです」
ロレッタは、胸を張って言った。
それがアンドロイドの誇りだといわんばかりに。
「ですからお金を使われるのなら、わたくしより、人間様の女性のほうがよいです」
そう言って、ロレッタはカーテンを閉め、そそくさとドレスを脱ぎ始めた。
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