第19話 クリスマスの日



 あれから二日が経った。


 暦はすでに12月。世間はクリスマスを間近に控えている。

 千葉でも珍しく雪が降る今年は、例年に比べてずいぶん冷え込んでいるようだ。


「よし」


 壁の穴は残り2割ほど削れば向こうに到達する。

 この調子で行けば、2-3日後には決行できそうだ。


(急がなければ)


 アリルンに残されているのは、今日で6日。

 3日後に出たとすれば、残り3日。


 もちろん脱獄しても、すぐにアリルンを手当てできるわけじゃない。


 頼るべき人は秋葉原に住んでおり、何らかの方法で移動する必要がある。

 脱獄者がするとなれば、金も時間もかかるだろう。


 俺は懐の資金を確認した。

 現金10万とちょっと。


 足りない分は現地で換金しなければならない。

 かなり危険な道になるが、そこに手を尽くしている時間はなさそうだ。


 唯一よかったことといえば、先生が昨日、あの薬をたくさん持たせてくれたことだった。

 新薬は一日一回で良いので、非常に助かる。


 そうやって淡々と準備を進めながら図書係の仕事をこなし、夜になって消灯される。


 騒いでいた囚人たちも静かになり、寝息が聞こえ始める。


 時刻は23時。

 俺はちょうど、うとうとし始めたころだった。


「おい」


 俺の房に懐中電灯を照らした刑務官がやってきた。

 鉄格子を挟んで、卵型で前歯が二本突き出ている顔が見える。


 昔のアニメで出てくるキャラクターにそっくりなので、囚人たちからはネズミと呼ばれている刑務官だった。

 ネズミは上級刑務官で金色のバッチをいくつも付けており、ゴードンたちよりよほど位が高い。


「図書係のトリスだな」


「はい」


「明日17時、知事が来て囚人とともにプラネタリウムをご覧になるそうだ」


 なんと、驚きだった。


 以前話した通り、法務省とやらと掛け合って、話をうまくつけてきたらしい。

 県民に自身の慈愛の深さを印象づけるためか、わざわざクリスマスイヴを返上して人気取りに来るという。


「お前と28が詳しいのだろう? プラネタリウムを起動できる準備をしておけ」


 28というのはもちろん、アリルンのことだ。

 俺ははっと気づいて、とっさに交換条件を示す。


「できますが、呼び出しが届かない場所に籠らねばなりません」


 ネズミが頷いた。


「所長も知事の接待は何を差し置いても優先せよとおっしゃっている。俺から伝えておく」


「なにぶん古い機器のため、時間もかかります。そつなくとなりますと、明日のご来訪まで今から徹夜で作業しても?」


「構わん。その代わり、確実に仕上げて間に合わせろ」


「はっ。ではさっそくこれから取り掛かります」


 鍵が開けられる。

 俺は無表情を装うのに苦労するほどだった。


 こんな都合のいい話があるものなのか。

 天が味方したのかもしれない。


 確認のために位置情報付きの携帯端末を持たされたが、30分おきにかけるだけでいいとのこと。


 これだけフリーの時間を与えられれば、壁は問題なく処理できる。

 今夜中に準備し、決行は明日だ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 翌日。


 シェルターの開閉を踏まえ、脱獄の決行予定は上映開始した直後とした。

 脱出後は夜闇に紛れられた方が断然有利だからだ。


 上映の最中なら、すぐには気づかれない可能性が高い。

 加えて、模範囚以外の囚人は自分の房に閉じ込められているため、3つの監視塔の視線は舎房に向けられるはずだ。


 俺はちらとアリルンを見る。

 アリルンの表情はややこわばってはいたが、俺を見ると、いつものようにニコっと笑う。


 やるぞ、と唇だけを動かすと、アリルンも、はい、と応えてくれた。


「お見えだ。頭を下げろ」


 すべての準備を終え、図書館の入口で待っていると、近くにいたネズミが率先して深々と礼をした。


 赤いドレスを着たあの知事が、やってきていた。

 その周囲に、刑務官が一定の距離を置いて取り囲んでいる。


 知事は俺を見つけると、会心の笑顔で手を振ってきた。


「神酒坂さん! 会いたかった!」


 まるでデートの約束でもしていたかのような素振りである。


 もう一度言うが、知事は50代の女性だ。

 どこにでもいそうな、小太りのおばちゃんである。


「はっ。ありがとうございます。お荷物お持ちします」


 俺は知事が手に持っていた黒のロングコートを代わりに持つ。


「ありがとう。待たせてしまったかしら? 今日は忙しくてね」


 知事は挨拶している所長や副所長たちなど目もくれず、ひたすら俺に話しかけている。


「とんでもございません。またお会いできただけで感無量にございます」


 俺は深く頭を下げる。


 遅れてくれたおかげで、時間としては理想的だ。

 決行の頃はちょうど夜の帳がおりている。


「さて神酒坂さん、私の手を取ってくださる?」


「はっ」


 俺は言われた通りに知事の右手を取り、エスコートの体勢になる。

 所長や刑務官が道をあけて、俺ごと敬意を払う姿に、軽く吹き出しそうになる。


「ぐふふ。行きましょう。私、すごく楽しみにしてたのよ」


 知事はるんるんと跳ねるように歩き始めた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 少々先が思いやられたが、話を合わせながら、知事をプラネタリウム内の特等席に案内する。


「隣、神酒坂くんが座っていいわよ」


「申し訳ありません、実は」


 自分は上映のために操作室にいなければならないことを話すと、案外素直に聞いてくれた。

 だがコートを渡して去ろうとした俺の手を握り、振り向かせる。


「神酒坂くん。上映が終わったら、コーヒーに付き合ってほしいの」


「私ですか」


 知事が頷く。


「……私、今月はさんざんで疲れたのよ。イブの夜くらい、あなたとゆっくりしても罰は当たらないわよね?」


「わかりました。もちろんです」


「ぐふふ」


 いやらしく笑っている知事に、今度こそ背を向けた。


 人気取りではなく、それが目的だったらしい。


 まあ、男とゆっくり過ごしてもらう分には全く問題ない。

 それは俺ではないから。


 俺はプラネタリウム操作室に入り、すぐに扉を閉めた。

 壁紙でごまかしているが、穴のせいで操作室はいつもより冷気に包まれていたからだ。


「アリルン、ごめんな。寒いだろ」


「私は大丈夫ですよ。アンドロイドですから!」


「始まったら、行くからな」


「はい」


 俺たちは操作台の下で、密かに手を握り合った。




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