第18話 脱獄の決意



 それから3日。


 昼前に先生が俺を呼び出して、詳細を教えてくれた。

 先生が心底嬉しそうな顔をしていたから、聞くまでもなく、いい返事だとわかったくらいだ。


 凍結保存された俺の検体から、例の薬物の代謝産物が見つかったらしい。

 これは俺がいつも飲んでいる薬とは全く系統が異なり、明らかにおかしいという。


 俺の裁判をやり直すための手続きを、先生が知り合いの弁護士に依頼してくれた。

 再審請求というそうだ。


 これだけの証拠が出たら、再審にならないことはないわ、と先生は太鼓判を押してくれた。


「アリルン」


 昼食を終えた俺は真っ先にアリルンのもとへかけた。

 いや、俺が気持ちを共有したい相手など、アリルンしかいない。


 彼女はいつも通り、クリアパネルの向こうでパソコンに向かって座っている。


「おかえりなさい、トリスさん」


「アリルン聞いてくれ。俺、裁判をやり直せることになりそうなんだ」


 俺は溢れる笑みをこらえることができない。


「……ホントですか!」


 アリルンがガタンと音を立てて、椅子から立ち上がった。


「ああ。新しい証拠が見つかって、それが俺の無罪を証明してくれそうなんだ」


 俺はアリルンに詳細を話して聞かせる。


「すごい……よかったですね、トリスさん!」


「ああ。嬉しいよ」


 俺はクリアパネル越しにアリルンの手を握り、ふたりで飛び上がった。


 アリルンは相変わらず、俺の無罪を信じていてくれた。

 俺は何より、それが嬉しかった。


「半年くらいかかってしまうかもしれないんだが、もしかしたら脱獄しなくても俺がシャバに出て、アリルンを直す手続きをとれるかもしれない」


 もう脱獄の段取りも最終段階まで来ていたが、危険を冒さなくていいのならそれに越したことはない。


「それが一番ですね!」


「ああ」


 俺は自分でも声が弾んでいるのがわかった。

 我を忘れる勢いで喜び合った後で、いつもアリルンが親子丼を作ってくれる時間になっていることに気づく。


 しかし今日は嬉しさでなのか、アリルンも忘れているようだった。


「アリルン、親子丼食べたいな」


「あ……! す、すみません。すっかり忘れて」


 俺の言葉を聞いて、アリルンが慌てて立ち上がろうとする。


「いや、急がなくてもいいよ。そうだ。アリルンの部屋って、どんななんだ?」


「他の方のお部屋って知らないから、わからないですけど……」


 アリルンが天井を見上げるようにしながら、思案する。


「よかったら、少し見ても?」


「あ、でも……」


 アリルンが恥ずかしそうな素振りを見せた。

 それを見た俺は、早々に撤退することにした。


「ごめん。気にしなくていい。言ってみたかっただけだ」


 女子の部屋を見たいとか、デリカシーがなさ過ぎた。


「あ、いえ。やっぱり見て頂きたいです」


 アリルンが扉の鍵を開けて、図書館の中に入れてくれる。


「無理しなくていいぞ」


「トリスさん、コーヒーいかがですか」


「え……飲めんの?」


 俺の目はぱっと輝いたに違いない。

 刑務所に入って五年、俺はコーヒーを飲んでいなかった。


 読書の一番の友といえば、それはコーヒーだと思う。

 いや、異論は認める。


 あの香りに包まれながら、静かに本の時間を楽しむのは至福の時だ。


「はい。淹れて飲みましょう」


 にこっとしたアリルンが、俺の手を引いて図書館の中へと歩き出す。


「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


「あは」


 本が並べられている棚の方に行かずにまっすぐ進むと、管理室、と書かれた部屋があった。

 アリルンが鍵を取り出して、開ける。


 扉は二重になっていて、さらにもう一つ開ける感じだ。

 このあたりは刑務所に作られているだけあって、厳重である。


「どうぞ」


 開けると、こじんまりとした玄関。

 人一人立てば、狭いくらいだ。


 そこで靴を脱いで、室内に入る。


「おぉ、やっぱ綺麗だな」


 入るとすぐに、石鹸の香りがした。


「そうですか?」


「でもこれ、俺たちの房とほとんど一緒じゃないか」


「え? そ、そうなんですか」


 アリルンが瞬きしている。


 畳が敷かれた4畳半のスペース内に強引に台所を作ったような狭い部屋だ。

 俺たちの独居房に置かれているテレビすらない。

 部屋の隅に布団がきれいに畳まれて積まれている。


「一般人が住むには狭すぎるだろ、これは」


「私、アンドロイドですから」


「いや、それにしてもだな」


 ここに12年とか……。

 アリルンを人間としてとらえている俺にとっては、信じられない仕打ちだ。


 閉じ込められる身にもなってみろと言いたい。


 アリルンはそんななか、唯一の楽しみとしてゼクシィを読んでいる。

 その姿が想像できて、なにか胸が痛かった。


「アリルン、自分の物がほとんどないようだが?」


 ここは掃除が行き届いていて綺麗だが、非常に質素だった。


「………」


 アリルンが、無言で目を台所の方へ逸らす。


「ゼクシィは? たくさん集めてるんじゃなかったのか」


 アリルンは俺に背を向け、首を振った。

 その姿に、ふと嫌な予感がした。


「もしかして……捨てたのか?」


「……はい」


「……どうして? あんなに大事にしていたのに。自分の家なんだから好きに使えばいいだろ」


「いいんです……もう必要ないから」


 アリルンの沈んだ声に、俺は耳を疑った。


「必要ない? どういう意味だ」


「……それより、コーヒー淹れますね」


 くすりとも笑わずにアリルンが話を変えると、台所の引き出しからドリップパックを二つ取り出した。


「………」


 アリルンの声は無感情で、今は触れてほしくなさそうな言い方だった。

 仕方ない、後で折を見て聞いてみようか。


「……そういやここはカメラはないんだよな?」


 俺の言葉に、アリルンは背を向けたまま、黒髪を揺らして頷く。


「私を観察するほど、刑務官さんはお暇じゃないですから」


 アリルンはピンク色のポットを手元に引き寄せる。

 ポットの頭を押すと、お湯が出る象印製のものだ。

 しかし、そのままアリルンが動かない。


「……アリルン?」


 俺の声に、びくんと背中を揺らした彼女。


「あの……ひとつ聞いていいですか?」


「どうした」


「……コーヒーって……どうやって淹れるんでしたっけ」


 アリルンは、何でもないことのように言った。

 その瞬間、胸に釘を打たれたような痛みが走った。


「……まさか、アリルン……」


 俺は立ち上がった。

 感情の昂ぶりに、唇が否応なく震え始める。


「………」


 見ると、アリルンの手元には、変な破れ方をしたドリップパックがあった。

 コーヒーの粉が、手元やカップの中に散乱している。


 ふいに、アリルンが両手で顔を覆った。


「……うぅっ!」


 すぐさま、アリルンが声を上げて泣き始める。


「アリルン。もういい」


 俺は背中から、彼女を抱きしめた。

 動揺を見せてはならないと自分に言い聞かせつつも、こみ上げる強い感情で目頭が熱くなった。


「ごめんなさい! ごめんなさい……私、本当は……親子丼も作り方が……」


「……気にしなくていい。大丈夫だから」


 彼女は作れなくなっていたのだ。

 もう何ヵ月も毎日作ってくれていたものを。


「……うぅっ!」


「アリルン……それで、もしかしてこの部屋を片付けて……」


「……しかた……ないんです」


 アリルンは嗚咽を漏らしながら、切れ切れに言った。


「うぅっ――!」


 アリルンが振り向いて、俺の胸に顔をうずめた。

 俺はその背中を抱え込みながら、アリルンに見られないように目元を拭った。


 この異様に閑散とした部屋。


 本棚があるのに、本がない。

 あれだけ大事にしていたゼクシィが、一冊もない。


 そう。

 壊れて廃棄されるであろう、近い未来に備えているのだ。


「アリルン、もうすぐなのか」


 アリルンは俺の胸に顔をうずめたまま、頷いた。


「……私、再起動リブートできないんです」


再起動リブート……できない?」


 続いたアリルンの言葉に、俺は倒れそうなほどのめまいを覚えた。

 アリルンはメンテナンスを終了した3年前に、再起動リブートで全データが消去されるよう、設定されたというのだ。


「ずっと鳴っている内部アラームが12を超えました。そのうちの一つが毎日強制再起動をかけようとしています。キャンセルはあと8回しかできないので……」


「あと8日か」


「……はい」


 アリルンの嗚咽が一層増した。


「わかった。すぐ脱獄してやる」


 俺はアリルンを抱きしめて即答すると、アリルンがはっとして顔を上げた。


「えっ……だ、ダメです! せっかく無罪になって外に出られるかもしれないのに!」


「――出る意味がないんだ。アリルンがいなければ」


 俺はアリルンの両頬に手を添えて、笑いかけた。


「でも――っん」


 言葉を続けようとするそのくちびるに、そっと唇を重ねた。


「心配するな。すぐに修理を受けさせてやる」


「……トリスさん……んっ……」


 再び重ねると、アリルンがすぐに、それに応えてくれた。


 そのまま、無言で互いを求め合った。

 ここが刑務所内であることを忘れたかのように。


 そして唇を離し、鼻の触れ合う距離で、その目を見つめて告げた。


「――アリルン。俺と結婚しよう」


 アリルンの目が、見開いた。


「うそ……うそ!」


 その目から、涙がぽろぽろとこぼれ始める。

 俺はその両頬に手を添える。


「ハワイに行って海辺で挙式するんだ。アリルンの好きなウエディングドレスを着て」


 俺はアリルンを抱き寄せて、その頬にキスをした。


「……トリスさん……」


 アリルンが、俺の首に両腕を回した。


「それから函館の近くの田舎で家を借りて、二人で静かに暮らそう」


 七夕に子どもたちが来てくれるような、かわいい家にしよう、と言うと、アリルンはこくこくと頷きながら、大きな嗚咽を漏らし始める。


「必ず二人で暮らすと約束する。だから心配するな」


「……はい……」


 俺はアリルンを抱きしめ、アリルンも初めて、俺に抱きついてくれていた。




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