第2話 出会い


 懲役28年の実刑判決。

 これだけ聞くと、俺を極悪な人間だと思うだろう。


 けど、今まで外れた生き方をしてきたわけじゃない。


 スポーツは水泳と卓球にハマり、家ではきちんとゲームにもハマりながら、みんなと同じように小中高を出た。

 いじめに遭ったことはあったが、いじめ側になったことは断じてない。


 大学では親の仕送りを減らすためにバイトがてらの生活を送っていた。

 長らく旅に出たこともあるけど、そこでも他人を言葉ですら傷つけたことはない自信がある。


 だから刑務所に放り込まれた当初は「やってない」と足掻いたりもした。

 持病で薬を飲んでいたこともあってか、その日のこと、覚えてなかったんだ。


 が、それから5年もたった今は、自分が犯したと認めて28年を償う覚悟はできている。

 覚悟というか、諦めなのかもしれないけどな。


 そうだ。俺の名前を言っていなかった。

 神酒坂みきさかきょうという。


 まあ一人を除いて、誰も俺を実名では呼ばないんだが。


「ふぁ。もう朝か」


 畳の硬さが伝わる敷布団の上で、あくびをする。

 四肢は氷のように冷え切っているが、慣れたものだ。


 ここは花咲島という、千葉の東にある小さな島に作られた、L級(刑期が八年以上の者)ばかりを集めた刑務所だ。


 みんなからすれば、刑務所なんてところは当然馴染みがないだろう。

 言うまでもないが、ここは異常な世界だから、いろいろなことに慣れなければならない。


 その中でも強いてひとつ挙げるなら、特殊な人間関係。


 俺も最初のころは意味なく刑務官に怒鳴られ、戸惑ったりした。

 囚人同士の力関係の確認なのか、面倒事が絶えず、とばっちりで懲罰房に入れられたこともある。


 しかし5年も年季が入ってくると、刑務官はあまり言わなくなるし、変な囚人も寄ってこなくなるし、食堂にも自分の居場所ができる。


 これが、慣れってことだ。


「この本、そこそこ面白かったな」


 上半身を起こした俺は、昨晩消灯まで読んでいた古びれた伝記に目を向ける。

 今、「慣れが大事」と言ったばかりだが、このきつい世界に慣れていくにはやはり、なんらかの心の支えは必要だ。


 俺の場合は、それは本だった。


 本は素晴らしい。


 本が作り出す空想の世界に浸かるのが、俺はたまらなく好きだった。

 だから本を読んでいると、あっというまに時間が過ぎていく。


 本というものを考え出してくれた人に感謝しなければならない。

 刑務所で与えられる有り余る時間を、こんな幸せな形で過ごせるのはその人のおかげなのだから。


 その日も次に読む本のことばかりを考え、過ごしていた。

 午後の刑務作業と夕方の食事を終え、ルーチン通りに自分の独居房に戻った。


「トリス、出ろ」


 すると、座る間もなく刑務官に連れ出された。


 ここでは皆、本名より仮名で呼び合っていることが多い。

 肩の入れ墨から『バタフライ』とか、焼けだした家から出てきたような髪をしているから、『ファイア』とか。


 俺はとある理由もあって、トリスと呼ばれている。


「はい」


 ついていくと、行先はなんと所長室だった。


 当然、こんなところは初めてだ。


 そこで俺は、人生を変える話を聞かされた。

 そう、所長のこの話がなければ、俺は脱獄など考えずに28年間ひたすら本を読み続けたに違いなかった。


「知事から指示された更生プログラムの一環で、図書係をする囚人をひとり探している。聞けば君は随分と本が好きなようだ。いろいろ探したが、模範囚の中で該当するのは君ぐらいだ。どうだね」


 所長の言う通り、ここに収容されている連中は、全くと言っていいほどに本を読まない。


 読むのは、せいぜいエロがつくものくらいだ。

 せっかくこの刑務所付属図書館が、全国一の書籍量を誇るというのに。


「ここで即答しろ。やるのか、やらないのか。本来囚人の許可などとらんのだぞ!」


 近くにいた刑務官が怒鳴り散らす。


 自分が悪くなかろうとも、決して刑務官たちには逆らうな。

 プライドなど捨てて、もれなく敬語で接しろ。


 これはこの世界で生きるための鉄則だ。

 刑務官に逆らうだけで罰則たる【抗弁】扱いになり、たいてい手酷い懲罰刑をくらう。

 だから俺が敬語で話していても、決して本気で敬っているわけではないことを知っていてほしい。


「やらせていただきます」


 こんなありがたい話はない。

 図書係になれば、今までよりずっと本にアクセスしやすくなる。


 しかも報償金が出る。

 といっても、月に5000円程度だが。


「よろしい。これで知事の機嫌をとれる。慈善団体の支援金も……おっと。もういい。出ていけ」


 俺はネズミのように所長室を追い出される。


(図書係か……)


 本の載せられたカートをがらがらと運び、個々の牢屋を回る。

 あれをやることになるなら、自分の房に持ち込む本を広大な図書館から選べるようになる。

 嬉しいことこの上ない。


 ちなみに、今までこの作業は刑務官が行っていた。

 ちょっと言葉を間違えると怒鳴るような刑務官が、だ。


 だが、そのクソ刑務官を弁護するわけでは決してないが、カートに載っている本のセレクトだけはとても良かった。


 例えば、職業訓練をしている時はその内容の教科書類が必ず数冊載っている。


 娯楽ものも偏らない。

 伝記ものやファンタジー、ミステリー、恋愛小説など、それぞれが長編短編まんべんなく毎日カートに載せられている。


 しかも毎日読み続けても、必ず初めて出会う本があるのが素晴らしかった。


 不思議だったその理由を、5年経った今日、俺は思いもかけず知ることになる。


「帰るんじゃない。こっちだ」


 所長室を出た俺はそのまま別の刑務官に連れられ、図書館に向かう。

 この刑務官は皆がデクノボウと呼ぶ背の高い男で、比較的温和な奴だ。


「トリス、お前何年になった」


「5年です」


「そうか、5年もいてここは初めてだろ」


「はい」


「これから毎日通ることになる。世界が広がってよかったな」


 刑務所2階の作業場を抜けた先に、附属図書館の連絡通路はある。

 なぜか赤い絨毯が敷き詰められた通路だ。


 ちなみに通路は脱獄を考慮して窓一つない……というわけではない。


 むしろ窓はいくつもあるのだが、そのすぐ外に電流の流れる凶悪な鉄の網が張り巡らされている。

 加えて、この島に多いあまたのカラスたちが窓のそばに居並ぶので、外の景観はほとんど見えない、価値の感じられない窓だ。


「ここだ」


 突き当たった先にもやはり、初めて見る世界。

 図書館の入り口にあたる受付だ。


 シャバの人間と面会をする場所のように透明なクリアパネルが嵌められ、顔の高さに小さな穴の開いた円のほか、下の方には本の受け渡し用の台形型の穴も開いている。


 そんなクリアパネルの向こう側に、さらに目を引いたものがあった。


(女の子……?)


 茜色の夕日に染まって、少女が座っていたのだ。


 黒髪を肩におろした、十六歳くらいの子。

 深緑に白のレースがついた、ワンピースを着ている。


 未成年とわかっていながらも見惚れてしまった。

 まさに「深窓の令嬢」と言った感じだ。


 女は、まったくいないわけではない。

 うちの刑務所には男囚800人とともに女囚が30人程度、試験的に共生している。

 といっても刑務作業の時に、まれに見かける程度だが。


 それから、俺の薬を処方してくれるのも女の先生だ。


「ここでこいつから渡される本をカートに積め。積んだら牢屋をひとつひとつ訊ね歩くんだ。貸した奴は記録に残せ。失くす奴が多いからな」


「図書館には入れないんですか」


 俺はてっきり、本がずらりと並んだあの世界を堪能できるのだとばかり、思っていた。

 クリアパネルの隣には、黒ずんだ鉄の扉が一応あるのだ。

 ここを開ければ本の世界が待っている。


 それから一応言っておくが、普通の刑務官にこんなことは言えない。

 訊ねられるのは、温和なデクノボウだからだ。


「そいつは知らんが、無理だろうな。本はすべてこいつが管理している。ここで本のタイトルやジャンルを言えば、こいつが取りに行く」


「……わかりました」


 入れないことが確定し、本気で項垂れた。


 それにしても、この少女も相当にこき使われている。

 もしかして、俺と同じ受刑者なのだろうか。


 しかしそんな疑問は、早々に解消された。


「あとはこのロボットに聞け」


「ろ、ロボット!?」


 まじまじと見つめてしまった。

 え、この子、人工物アンドロイドなのか。


 少女はきょとんとして、こちらを見ている。


「おまえな、こんなところに人間の女を置いておけるわけないだろうが」


 デクノボウが歯を見せて笑う。


「たしかにそうですね」


「ちゃんと教われよ」


 そう言い残して、デクノボウはさっさと出ていってしまった。


 残された俺は、ため息をつきながら目の前の椅子に座る。


 もちろん、少女がアンドロイドだからではない。

 本だらけの世界で、好きに漁れると思っていたのに、叶わなかったからだ。


「はじめまして! 花咲島刑務所図書館へようこそ!」


 そんな俺の心中も知らず、目の前のアンドロイドがクリアパネルごしに挨拶してきた。

 こちらを見て、きらきら輝くような笑顔を浮かべている。


 こんな元気いっぱいの挨拶は久しく受けていない。


「よう」


 よくできている。

 どこからどう見ても人間にしか見えない。


 アンドロイド産業は安価なパーツの開発や小型化が進んで、20年ほど前からぐっと活発になった。


 俺が刑務所に入った5年前からさらに高度化し、役割が細分化したアンドロイドができているという噂だ。

 こいつも、そのひとつなんだろうな。


「今日から図書係になった。よろしく。トリスと呼んでくれ」


 アンドロイドの言語認識機能は高く、普通の人間と変わりない速度で会話できる。


「トリスさんですね。こんな風に挨拶してもらったの、初めてです!」


 クリアパネルの向こうでにこっと笑う少女は、予想もしない返事を返してきた。


「なぬ」


「よろしくっていう言葉、本当に使うんですね~」


 刑務官からどんな扱い受けてたんだ、このアンドロイドは。


「ところであんた、名前は?」


「あ、私ですか? ZOX8000シリーズ A‐RiLN/MM3 SHII28 と言います!」


 俺の頬を、汗が流れる。

 一つも意味がわからない。


「そう……で、みんなには何て呼ばれてるんだ?」


「最後の28で、呼ばれたりしています」


 鉄人かよ。


「もう一回、名前を教えてくれ」


「はい、ZOX8000シリーズ A‐RiLN/MM3 SHII28 です!」


 よく間違えずに言えるな。

 いや、こいつアンドロイドだった。


「じゃあアリルンにしよう。真ん中ぐらいにそんな名前入ってるだろ」


「……え?」


 少女が、キョトンとする。


「悪いがアリルンで略するぞ。そんな長たらしい名前、呼びづらくてかなわんから」


「……アリルン……」


「そ。アリルン」


「人間の名前みたい! うれしいです!」


 アリルンはぱっと花が咲いたような笑顔になる。


 聞けばアリルンは奉仕型アンドロイドとして12年前に作られたが、すぐにこの刑務所の図書館に配置され、12年間ここから一歩も出ずに図書係をしてきたそうだ。


(え、奉仕型なのに……?)


 古い知識ではあるが、奉仕型といえば、希少アンドロイドだ。


 高級な精密機器が随所に使用されており、本来医療や介護の場で奪い合いになるほど重宝されるはずだ。

 こんな刑務所の図書館で、本を相手にしている意味がわからない。


「ではトリスさん、もう遅い時間ですけど、詳細をお伝えするように言われてますので」


 そんな俺には気づかず、アリルンは明るい調子で話し始めた。

 話しぶりも、人間にしか見えない。


(アンドロイドって、こんなにも人間っぽいんだ……)


 手取り足取り教えてくれるこの少女が、もはや人間にしか見えていない自分が可笑しく思えるほどだった。


「ふふ、なにかおかしいですか?」


「いや、気にしないでいい。続けてくれ」


 そうやって笑っている俺は、当然知らなかった。

 この日が、脱獄への最初の一歩だったことを。


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