第14話 屋上清掃



 さて、壁を破る場所が決まったので、その後の詳細に移る。


 次は高所の綱渡りをすることになるが、刑務所の全体構造がどうなっているかを先に説明しよう。


 建物は大きく分けて4つあり、刑務官たちが詰めているバビロン棟を中心として


 南に懲役を行う工場

 西に星型をした俺たちの舎房

 北に図書館・プラネタリウム

 東にはなにもない


 となっている。


 なので、壁を破った後は最北の建物の上にいることになる。

 一番近い塀は北になり、北側のそれを乗り越える形になる。


 なお、刑務官が見張りを行う監視塔は『北』、『中央』、『南』の3箇所配置されている。


 北は図書館のほぼ真上、中央はバビロン屋上、南は工場よりさらに南で、全て一直線上に並んでいる。


 外に出た際、北からは見えないと言っていい。

 まさに灯台下暗しになっているためだ。


 南も、直線状に並んだ中央監視塔が邪魔で見えない。

 見られる可能性があるのは中央監視塔のみだ。


 そこからの視線を遮る方法はなく、大きな賭けになる。


 だが監視は重点的に舎房の方を見るはず。

 照明が当たらない場所なだけに、夜闇に紛れられれば勝算は高いと踏んでいる。


 図書館の建物を離れ、懐のロープを使い、地上に降りることができたとして、次の難題は柵越えになる。


 刑務所内に張られている柵は、電気柵と通常柵の二種類がある。


 電気柵は、運が悪ければ触れただけで命を落とす可能性があるという。

 さすがに即死するような危険物を配置することは日本の法律が許さないらしく、立てなくなるくらいらしいが、アリルンも連れるのでできれば避けたい。


 問題は、図書館から北側に、どの柵が張られているか、見えないことだ。

 通常柵ならば、図書館の上から柵に向かって綱渡りをすれば、柵越えの問題はほぼなくなる。

 ただ、電気柵だと、さらにひと手間かけて越えなくてはならない。


(できれば直に見て、事前にその確認もしておきたいが……)


 などと思案に暮れていると、その日の昼食時に思いもかけず、夢のような話が降ってきた。


「屋上清掃担当を募集する」


 毎年、刑務官たちはこの時期に、バビロンの屋上清掃を行っていた。

 その理由は知らないし、なぜ囚人を一人雇うのかも不明だった。


「担当だった囚人が仮釈放になったからな。どうだ、希望者は手を上げろ!」


 声を張り上げているのは刑務官のドジ男だ。

 こいつは集合時間を間違えたり、合わない鍵を持ってきて俺たちを寒中に放置するなど、多彩なドジを披露してきた。


(仮釈放じゃないだろ)


 俺と他数名の囚人が、顔を見合わせた。

 今までは決まって、元とび職の囚人が屋上清掃を手伝っていたが、昨年その清掃中に落下して命を落としていたのだ。


 だが。


「希望者は――」


 俺は真っ先に手を上げた。


 俺にとっては願ってもない、渡りに船の話だ。

 壁に穴をあけて外に出なくても、バビロンの屋上から刑務所の風景を一望し、目に焼き付けることができる。


 ほかの囚人は全く興味がないようで、手を上げたのは3人。

 俺以外は自殺願望の強い爺さんと、M級(精神障害の囚人)のいつもよだれを垂らしている麻薬中毒の男。


 模範囚は俺ひとりだ。

 刑務官たちの視線は、自然と俺に集まった。


「よし、模範のお前にする。午後から説明を受けろ」


「はっ。ありがとうございます」


 ドジ男が俺から視線を逸らし、周りに目を向けた。


「他のやつは明日いっぱい房から出ることは許されない。刑務作業もないから房でじっとしていろ」


 作業中、房の外に出られる囚人は俺一人ということだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇





「トリスさん、おかえりなさい」


「アリルン、いい話だ」


 アリルンは今日、ポニーテールにしていた。

 肩に髪を下ろす彼女も可憐で素敵だが、パソコンに向かう横向きの姿はすらりとしたうなじが美しくて、つい見とれてしまうほどだ。


「という訳で、明日バビロンの屋上に上がるんだ」


 俺は午後の作業に取り掛かりながら、先ほどの件をアリルンに伝えた。


「え……」


 アリルンがキーボードを打つ手を止めて、俺を振り返る。

 脱出経路の確認になることは伝えたが、アリルンは硬い表情のまま、いまいち喜んでくれない。


「危なくないですか……前の方、転落なさったって聞きましたよ」


「大丈夫だと思うぞ。掃除するだけだから。ただ」


「……ただ?」


「他言するなってさ」


 多少なりとも知られてはまずいようなことをさせるのだろう。


「……トリスさん」


 予想通り、アリルンは心配そうに眉間に皺を寄せた。


「二人でここを出るためだ。なんだってするさ」


「……でも」


「じゃあ指切りしよう。絶対に死んだりしないって約束するから」


「指切りって……? あっ」


 アリルンの右手を掴むと、小指同士を結ぶ。

 そのまま、お約束の歌で指を切る。


「……あの、これって」


 アリルンが目をぱちくりしている。


「あぁ、指切り知らない? 他人同士で約束をする時にこうやって、破らないように指を結ぶんだよ」


「へえぇ……」


 アリルンは本当に知らないようだった。

 地方の七夕の風習を知っていたくらいだから、当然知っている話だと思ったが。


 まあいいさ。俺が教えればいいだけの話だ。


「本当に約束破ったりしませんか」


「しないよ。針飲むのは嫌だからね」


「あは」


 アリルンがやっと笑ってくれた。


 まあもともとは拳万げんまんだから一万発殴られるのだろうが。

 いや、それも嫌だな。


「それより、ポニーテールがよく似合ってる」


「や、やだ……恥ずかしいです」


 アリルンが赤面して、恥ずかしそうに目を泳がせた。

 そんな仕草の彼女を見ているだけで、俺はなにか癒されている気がした。


「そういうわけで、明日は図書係の仕事は休むことになる」


「そうなんですか……」


 アリルンがパソコンのモニターに視線を移して、声を落とした。


「済まないな。雑用押し付ける形になって」


「あの、それは……いいんですけれど」


 アリルンが俺に目を合わせずにいる。

 最近のアリルンは、こういう姿をよく見かける。


「どうかしたか」


「あの……何時から行かれるんですか」


「10時前にはバビロンに行くよ。でもそれまでなら会える」


「……」


 アリルンがモニターを見つめたまま、再びぽっと頬を赤くした。


「はい。……嬉しいです」


 アリルンが小声でそんなことを呟いた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 翌日。

 アリルンの顔を見てからバビロン棟に来た。


「おはようございます」


 言われた場所で待っていると、ドジ男ら刑務官3人と、なぜか三陽先生が待っていた。

 俺を見たら、いつもふんわりと挨拶してくれる三陽先生が「喬くんなの……」と言葉を詰まらせた。


「どうかしましたか」


「……」


 先生が俺に近づき、刑務官たちに聞こえるような声で言う。


「……屋上での作業は大変だから……強壮剤を処方してといわれて、これ」


 先生が俺に、袋に入った粉薬を見せた。


「薬なんかいらないが」


 ただ掃除するのに、そんなものを飲む必要性を感じられなかった。


「毎年、囚人には飲ませているものだ。気にせず飲め」


 ドジ男が言葉を付け足すと、俺はもう反抗できない。


「わかりました」


 素直に三陽先生から受け取ろうとする。

 だがあの先生が、一瞬薬を渡すのをためらった。


(……先生?)


 俺は目で問いかけると、先生も目だけで、応じる。


 ちがうの、と。


 俺は受け取りながら、頷く。


「目の前で飲んで見せろ」


 ドジ男がコップに入った水を突きつけながら、急かす。


 俺は粉薬を口に放り込むと、水を飲んで見せる。

 もちろん粉薬は両奥歯と頬の間に溜めて、ほとんど飲んでいない。


 飲んで見せた俺を見て、ドジ男がにやりとする傍ら、先生が目を潤ませた。


「失礼します」


 先生はいつも発しないような冷たい声を発してドジ男に背を向けると、茶髪を揺らして去っていった。




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