第25話 覚悟
「ここに来るだけなら簡単じゃ。『ときわ』という特急がいわき駅から出ておる。福島から乗れば案外東京の上野まで入れるかもしれん」
だが駅構内のカメラに写ってしまうため、人相を隠していても明日には同定されてしまう可能性があるという。
「そうか」
「見つかっても良ければ、早いのはこれが一番じゃろう」
「他に方法は」
「わしの手元の情報じゃと、現状、千葉から北は茨城市内まで、警察が警戒しているようじゃな」
爺さんの手元で、キーボードをうつ音がする。
どのサイトを参照して言っているのかはあえて訊かない。
爺さんはハッキングなんかも簡単にやってのけてしまう人だからな。
「茨城か……」
「ふはは、これはたまげたわい。ものすごい数が動員されておるぞ」
さすがは世紀の脱獄劇じゃな、と笑う。
爺さんはなにか楽しそうだ。
「10日も待てばもう少し手薄にはなるじゃろうが」
「そんな余裕はない」
「……ふむ。話は変わるようじゃが、小僧、現金で100万は払えるか」
「今は換金しないと無理だ」
「ではしかたない。郡山までタクシーで出ろ。わしがこれから手配してやる」
郡山は福島の中核都市だ。
車なら、ここからだと一時間半くらいか。
「それからは?」
「郡山の駅前でクリスマスイルミネーションをやっておるはずじゃ。そこに知り合いを待たせる。そいつがお前の持ち物を換金してくれるじゃろう」
「ほう」
爺さんが合言葉なども教えてくれる。
「ありがたいな」
「タクシーと落ち合う場所を伝えるから15分後にまたかけろ」
承知した旨を伝えて、電話を切る。
◇◆◇◆◇◆◇
湯を張ったが、入らずにアリルンをしまい、ホテルを出てきた。
爺さんに言われた通りの場所に行くと、黒塗りのタクシーが一台だけ止まっており、運転手らしいひょろりとした中年の男がタバコをふかして待っていた。
男は俺を見るなり、たばこを踏んで揉み消し、車に乗り込んで後部座席のドアを開けた。
「郡山でイルミネーションを見たいんだが」
それが合言葉だった。
「聞いてるぜぇ。乗んな」
タバコ臭い車内だったが、俺は乗り込む。
大丈夫だからな、アリルン。
すぐ直してやるから。
心のなかでそう唱えながら、俺は後部座席で腕を組んだ。
男は無言のまま、有料道路を猛スピードで突っ走ってくれた。
150キロくらい、出ていたんじゃなかろうか。
なんと1時間かからずに、目的の郡山駅前に着いた。
代金は21500円と表示されている。それに有料道路代金だ。
「ありがとう。お代は――」
「有り金全部出しな。黙っててやるぜぇ」
男は左手を俺に差し出し、そう告げた。
「ああ。これしかないが許してもらえるか」
俺は持っていた金をすべて渡した。
この状況で、この値段で安全を買えるなら、安いものだ。
「アンドロイドの姉ちゃんを連れてるんじゃなかったのか」
男は渡された札を確認しながら、俺を見た。
「大事なところに隠してある」
「そうか。ならほれ。その姉ちゃんに飯でも食わせな。それとお前のだ」
そういって、男は1万円札を2枚、返してくれた。
「助かる」
「絶対にしゃべんじゃねえぞ」
そう言って、男はタクシーをUターンさせ、去っていった。
◇◆◇◆◇◆◇
吐く息は真っ白になっている。
夜中の1時を過ぎ、すでにイルミネーションは消灯していた。
だがそこに数人、人がいる。
あからさまに酔っぱらって「仰げば尊し」を歌っているスーツ姿の男3人。
夜なのに、真黒なサングラスをかけた筋肉質の男。
大きめのアクセサリーばかりを身に着けた、女二人。
俺はそのうちの一人に近づいた。
「イルミネーションはもう消えたのか」
「とっくの昔に」
「じゃあカラオケでも行くかな」
「……付き合う」
合言葉のやり取りを終え、すぐそばにあったカラオケ屋に入る。
そう。このサングラスの男が俺の宝石を買い取ってくれるはずの相手だ。
初対面だが、爺さんが呼んでくれた取引相手だ。
ここは信じるしかない。
「時間がない。さっさと出せ」
室内に入ると、男は鑑定用のメガネを右目につけ、そういった。
「これを」
俺は持っていた宝石のうち、5つを男の前に並べる。
全て、旅で異世界に渡った時に手に入れたものだった。
「おいおい……」
男がとたんに血相を変えた。
「……くそったれが。とんでもねぇもの持ってやがる……」
男は急に笑い出し、機嫌が良くなった。
並べた宝石の一つを手に取り、メガネで覗き込む。
「先に言いやがれ。5つも買い取れねぇだろうが」
男は懐から札束を3つ取り出すと、俺に投げてよこした。
300万だ。
「これをひとつ買い取るぜ。足りねぇが我慢しろや」
そう言って男は一番大きな宝石を一つ掴み、俺の返事を聞く前に懐に仕舞う。
「全部持っていってくれていい」
「なんだと」
「これだけ換金できれば大助かりってことさ。あとは謝礼だと思って持っていってくれ」
俺は並べた宝石を、男に投げ返した。
◇◆◇◆◇◆◇
換金を終えた後、俺は郡山で、爺さんに聞いてあったラブホにひとりで入った。
しかしこのあたりは夜更けとはいえ、イブの夜である。
こんな時間でも、案外に出歩いている人が多かった。
深く帽子を被ってはいるが、数人には顔を見られている可能性がある。
「俺だ」
「おお、うまくいったか」
「ああ。爺さん助かった」
俺は秋葉原の爺さんに電話し、タクシーで郡山には出て換金も終えられたことを伝えた。
「安心したぞ……しかし済まぬな。実はこの後の手配に難渋しておる」
爺さんの声には珍しく勢いがなかった。
タクシーで一気に東京まで入る方向で調整してくれているそうだが、急に金額を吊り上げてもなかなか承諾してくれる者がいなくなったという。
おそらく、向こうも相手が凶悪犯の脱獄囚かもしれない、と勘づいたのかもしれない。
「都心では大規模な検問が始まった。タクシーでも見つかる可能性がでてきたぞ」
東京に入るのは困難を極めるとのこと。
やはり数日でもそこで静かにしていてはどうじゃ、と爺さんが俺をなだめるように言う。
「そうか」
俺は電話口で立ち上がり、ベッドに寝かせた少女を見やった。
彼女の寝顔は、とても清楚で、天使のようだった。
「いろいろありがとう爺さん。後は新幹線でそっちに向かう」
「なんじゃと」
それを聞いた爺さんが慌てたようだった。
「馬鹿なことを。急いては事を仕損じるぞ」
「急くしかないのさ」
時間が経てば経つほど、腐食が進み、アリルンが助かる可能性は低くなる。
「じゃが列車は絶対に駄目じゃ。確実に見つかる」
「アリルンだけでも爺さんのところに置いていく。待っててくれ」
そう。アリルンだけは。
そうしたら、何年追加の懲役が来ても、俺は耐えられる。
いつかシャバに舞い戻った日に、彼女が待っていてくれるのだから。
元気になった彼女に、逢えるのだから。
俺はもう、それでいい。
◇◆◇◆◇◆◇
明るくなるまで仮眠をとった俺は、物言わぬアリルンを一度抱きしめると、懐にしまってホテルを出た。
空には、どんよりとした雲が覆っている。
今朝は昨日よりぐっと冷え込んでいて、吸い込んだ肺に染みるようだ。
(アリルン……)
さっきの仮眠で彼女の夢を見てから、頭はもう、アリルンのことでいっぱいだった。
――実は私も……外の世界に出てみたいとか思うことがあるんですよ――。
刑務所の図書館の中で、ひっそりと暮らしていた12年。
彼女の人生はなんて寒々としていて、寂しいものだったのだろう。
――あはっ! おかしいですよね。私ロボットなのにこんな――。
「アリルン……」
帽子で隠しながら、目元を拭う。
アリルン、待っていろよ。
絶対に助けるから……。
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