第27話 孫好きなご老人
「次は上野、上野に停まります」
新幹線はあと20分で、俺が目的地としている場所に停まろうとしている。
私服の男が何度か、乗客の顔を眺めていっているが、それ以外に何も起きていない。
「あんた、孫娘と同い年ぐらいなんじゃ。どうじゃ? よければ一緒に動物園にいかんか」
お爺さんとすっかり打ち解け、あれからずっと会話している。
「いえ、そんなに若くないですよ」
「なあに、すぐ済む。娘は奥手で23にもなるのに彼氏がおらんでな。ちょうどいいのを探しておるのじゃ。結婚しておらんのじゃろ?」
フォッフォと笑うご老人。
「してないだけで相手はいるんですよ」
「まあそう言わずに老人の言う事は聞くものじゃ。孫にピッタリじゃよ」
勝手に話を進めるご老人。
どうやら孫娘のために一肌脱ぎたいらしい。
「いえ、あいにく用事が……」
「老いたがな、銀行本社の人事部にいたわしの目に狂いはないぞ」
「いえ、ですから……」
「お前さんみたいな男はなかなかおらん。心が澄みきっていて、いい感じじゃ」
俺は軽く閉口しつつ、客席の前にある車内案内のモニターに目をやった。
そこにはまもなく上野 と表示されている。
あと10分。
「さて、トイレじゃ」
そういって、老人がにこやかな表情で席を立つ。
しかし、帰ってきた時にはひどく緊張したような顔をしていた。
「どうかされましたか」
「いやな。そこでゾッとする話を聞いてしまってな」
「なにか?」
「この電車に、アレが乗っておるかもしれぬそうじゃ」
「アレ?」
「ほれ、テレビでやっとる脱走囚じゃよ」
「……」
俺が真顔になったのを、老人は勘違いしたようだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「間もなく上野、上野に停車します。お乗り換えの方にご案内いたします……」
滑り込んだ上野のプラットホーム。
(……やはり)
無意識に舌打ちしていた。
そこは、武装した警官がずらりと居並び、こちらを見ていた。
「おお、すげぇな」
何も知らない乗客たちは、その物々しい様子をイベントかなにかのごとくに眺め、写真に納めたりしている。
だがそれもつかの間で、列車が停まると乗客たちは荷物をまとめ、我先にと通路に並び始めた。
「おい」
「なんだよこれ」
しかし乗降口たる扉は開かなかった。
そのままアナウンスもなく、降車できない状況が五分以上続いた。
乗客たちがイライラを募らせ、口々に不満を漏らし始める。
そこでメロディが流れ、アナウンスが始まった。
「……お客様にお知らせいたします。車両火災が報告されておりますので、これから車両ごとの避難を行います。この列車は東京行きですが、上野で全てのお客様にお降り頂きます。どうぞご了承ください」
「おい、ふざけんな! 火災なら開けろよ!」
「取引に遅れるだろうが!」
「いい加減にしろ! 会社にどう説明したらいいんだよ!」
「賠償しろ!」
全く悪びれる様子のないアナウンスに、乗客が罵声を発し始めた。
「……例の件を調べるつもりのようじゃな。遅れんといいが」
隣の老人はしきりに時計を見ている。
老人の言う通りだろう。
火災というのは、乗客を不穏にさせないための体の良い嘘と思われる。
これから車両ひとつひとつをしらみつぶしに調べて、俺を探すのだ。
だが。
(まだ終わりじゃない)
追い詰められつつある現況を分析する。
窓の外を見ると、前方のグリーン席の乗客から、解放されているようだ。
降りた乗客たちは一列になり、警察官に誘導されている。
おそらく無難な車両を避難させた後に、自由席、そして俺の指定した指定席のある16両目を調べに来る段取りだろう。
そう、俺は今、自由席に乗っている。
だから彼らは俺を見つけられずにいる。
しかし、それとて時間の問題……。
「――くだらねぇことになんて、付き合ってられねぇ!」
「おお、行こう。こんなの時間の無駄だ」
そんな折、後方に乗っていた客が数人、意気投合して出口に殺到する。
まもなくして、罵声が飛び交ったかと思うと、窓の外の警官たちが後方に集まっていく。
なんと彼らは緊急降車のボタンを押して、警官を押し切ってドアを開け、強引に降りていったらしい。
「おい、後ろから降りられるみたいだぞ!」
「もう行こいこ!」
「無意味すぎる」
そうやって自由席の客たちが、勝手に降り出し、構内を混乱させ始めた。
「どれ、ワシも行こうかの」
ちょっと急ぐんでな、と爺さんも荷物をとり、立ち上がった。
「前の方が手薄になってるみたいです。行きましょう」
「おお、一緒に来てくれるんか」
孫が喜ぶのじゃ、と爺さんが嬉々とする。
「いや、降りるところまでですよ」
俺はお爺さんを連れて二人で前に向かう。
降車口のドアは閉まっていたが、非常用のボタンを押すと、あっさりと開く。
「お、降りないでください!」
下っ端っぽい、制服も着せられた感のある若い警官が、ひとりで俺たちを手で静止してくるが、「いったいどういうことなんですか」と言いつつ、降りてしまう。
爺さんは膝が悪いのか、降りるのがちょっとつらそうだったので、肩を貸した。
「じ、事情は話せないんですけど、あの、調べが終わるまで……」
「喋ってないで手を貸せ」
俺はその若い警官を睨むと、降りないでといいつつ、警官は爺さんの反対側を支え、手伝ってくれた。
「急いどるんでな。じゃ」
そう言うと、俺と爺さんは警官を振り切り、構内にいた列車待ちの人混みに混ざる。
「うまくいきましたね」
俺は爺さんを支えながら、笑う。
「ふぉっふぉ。こんなのはお茶の子さいさいじゃ。しかし、お主、本当に気が利くの」
「いえいえ」
俺は爺さんを支えたまま、何食わぬ顔で人混みとともに上りのエスカレーターに乗る。
「歳を取るとどうも膝がつらくての」
「わかります。知り合いのお爺さんも同じことを言っていましたから」
その人はほとんど家から出られなくなっていまして、と言うと、爺さんは笑った。
「ふぉっふぉっふぉ。よくわかっておる。わしも孫の用事以外はほとんど出んのじゃ」
ちょうどその時、背後で男の大声が聞こえた。
「――火災ではありません! この車両に脱獄囚が乗っている疑いがあります。危険ですので我々の指示に従ってください!」
とたんに周囲のざわめきが大きくなるのがわかった。
(今頃遅いだろ)
先にそう言えばまだ良かっただろうに。
火災ではみんな車両から逃げたがるに決まっているし、警官の静止を振り切って立ち去っても、言い訳が成り立ってしまう。
「男女二人の方、優先的に調べます! その場から動かないでください」
エスカレーターを登りきったあたりで、下からそんな言葉が聞こえた。
警官はアリルンを隣に連れていることを念頭に置いているようだ。
「お主、腹は減っておらんか」
「案外大丈夫です」
話しながら改札を出る。
ここまで来ると、全く警戒されていなかった。
カメラにはどうしても映ってしまったが、3つ目の帽子をかぶり、爺さんの隣を歩かせてもらった。
アリルンを連れていない上に、連れが爺さんなら、かなり否定的に見えるはずだ。
(ありがたい人だ)
この爺さんには感謝してもしきれない。
助けているようで、助けてもらっているのは俺なのだ。
駅を出ると、外はよく晴れていた。
東京は放射冷却したのか、ずいぶんと肌寒く感じた。
上空でヘリが飛んでいるほか、周りには5台ほど、赤色灯をつけたパトカーが停まっている。
警戒しているのみらしく、動く様子はない。
「ここまで来たのじゃ。孫に会っていかんか。泰明軒のチャーハンもうまいぞ」
信号待ちのところで、爺さんが一人で大丈夫じゃ、と離れると、俺にそう言った。
俺は爺さんにありがとうございました、と頭を下げる。
「せっかくのご縁ですが、これ以上はご迷惑になります」
「迷惑になどならん」
どうじゃ、いかんか、と爺さんは再三に渡って誘ってくれる。
この人の良心を騙している気がして、俺はもう一度頭を下げた。
「本当にありがとうございました。たくさん助けて頂きました」
心からの言葉だった。
この人がいなければ、俺は列車から降りれなかったかもしれない。
「行くのか」
「はい」
「……そうか。残念じゃ。お主のような心の澄んだ男はなかなかおらんのにな」
「とんでもありません」
すっかり誤解させてしまった。
そんな人間はそもそも、刑務所には入らない。
「なら達者での」
爺さんがにっこりと笑う。
信号が青になる。
「お孫さんによろしくお伝え下さい」
「ふぉっふぉっふぉ」
渡るのは爺さんだけだ。
俺はこのまま秋葉原まで徒歩で動くつもりだったので、渡るまで見送ろうと立っていた。
しかし、横断歩道の途中で爺さんが振り返った。
「ああ、言い忘れておった」
「はい」
「連れのアンドロイドによろしくのぅ」
「………」
俺は、言葉が出なかった。
ただ目頭が熱くなって、歪みそうになった顔を隠すために、頭を深く下げることしかできなかった。
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