第38話 たすけて
家の中は、爆風で飛ばされた窓硝子や障子、家具、食器がぐちゃぐちゃになって足の踏み場もない。それでも、裸足のまま、男の子は進んでいく。
倒れた柱と崩れた壁に埋もれるように、彼のお母さんとその背中に負ぶわれた赤ちゃんが倒れている。傾いた大きな箪笥と、倒れてきた柱がお互いを支えるような状態になっていて、わずかにその下にすき間ができている。そこに彼の家族は、倒れていた。
そのすき間は、あまりに狭い。その上、箪笥も柱もいつ崩れてくるかもわからない状態だ。
「かあちゃん! かあちゃん?」
男の子が声をかける。すると、びっくりしたように、赤ちゃんがお母さんの背中で小さな声で泣き出した。
「ようちゃん、ようちゃん、だいじょうぶやったか?」
男の子は、赤ん坊に声をかける。その声に反応したのか、母親が一瞬うっすらと目を開く。それを見て、男の子が急いで呼びかける。
「かあちゃん!」
彼女の額からは、血が溢れるように流れている。その血を小さな手で一生懸命拭おうと男の子は手を伸ばす。そして、母親の腕を抱えて一生懸命引っ張る。不安定で危険な柱と箪笥の下から、なんとかして、母親を引っ張り出そうと思ったのだろうか。
だが、ぐったりした母親と赤ちゃんを引っ張り出せるほど、彼に力はない。それでも何度も彼は、母親の腕や肩を全力で抱える。
そして、母の耳元で呼びかける。
「かあちゃん! かあちゃん!」
「坊……」
消え入りそうな声。
「かあちゃん!」
「……坊……」
母親の声は、いっそう小さくかすかだ。赤ちゃんの泣き声はいつのまにか止まっている。
「かあちゃん!」
男の子は立ち上がった。
「かあちゃん、まってて。ぜったいたすけるから。まってて」
男の子は、自宅の敷地を出て、裸足のまま表へ駆け出した。人の多い町の中心地目指して。
(ぜったい、たすける。だれか、大人の、男の人を呼んでくる。そして、かあちゃんたちを助けてって、頼むんだ)
そう思って走り出したが、周りの家々は、完全に崩れてしまった建物もあれば、ほとんど倒れそうになっているところもたくさんある。
母親と赤ちゃんを、柱と箪笥の下から引き出してくれそうな大人の男の人には、出会えないまま、彼は懸命に走った。
やがて、倒れたり、崩れかけたりした家々のあちこちから、煙や火の手があがり始め、瞬く間に炎が広がっていく。
(たすけて たすけて たすけて たすけて)
ようやく出会った大人の人たちは、立ち上る煙や炎を消そうとするのに必死で、男の子の声に耳を傾ける人はいない。いや、それ以前に、大人たちもみんな、助けを求めていた。傷ついて動けなくなっている人も、倒れたまま動かない人もいる。誰もが、助けを求めていた。
「……水を、水……水」
そう言って、そのまま力尽きていく人もいる。
(たすけて、たすけて、たすけて、たすけて)
男の子の必死の声は、町に広がって行く炎から逃げ惑う人たちの声にかき消されて行く。
すると。無我夢中で走る彼を抱え込むようにして、誰かの腕が引き留めた。
「おい。そっちは、あぶない。かなり火事が広がってる」
声の主は、大人ではないけれど、子どもというよりは、少し頼もしそうな、中高校生くらいの少年だった。
「迷子か? はぐれたんか?」
そう言って、少年は、男の子の傷だらけの足に目をやって、首にかけていた手ぬぐいをとると、小さなナイフでいくつかに裂いた。
「道にいろんな破片落ちてるからな。あぶない。痛かったやろ?」
そう言うと、少年はしゃがんで、男の子の裸足の足に手ぬぐいを巻き付けた。
「ごめん。こんなんしかなくて。でも、裸足よりはマシやろ」
「親と、どこら辺ではぐれたんや? 一緒に探したろ」
ずっと心細い思いをして恐怖の中を走り続けた男の子は、やっと、ほっとして、
「うわぁ~ん」
子犬が吠えるように泣き出した。それまで、泣くまいと食いしばっていた口元から、泣き声があふれ出す。涙が、止めどなく流れる。
「そうか。そうか。こわかったな。心細かったな。……大丈夫や。大丈夫」
少年は、泣きじゃくる男の子の頭を撫でた。そして、小さな肩を抱えて、繰り返し、大丈夫と言った。
「おいで。行こう」
男の子は、少年に手を引かれて、歩き出した。安心したのか、疲れ切ったのか、おそらくはその両方だろう、その足取りは、ゆっくり、とぼとぼとしたものに変わった。
避難しようとする人たちで溢れる道を、2人は押し流されるように、とぼとぼと歩いて行く。炎の燃え盛る範囲はどんどん広がっていくようだ。
どちらへ逃げるのが正解なのか。町がめちゃくちゃになったせいで、みんな方向を見失って、それでも、必死で逃げようとしていた。誰も何が起きたのか、よくわからないまま。
なんだかとてつもなく大きな爆弾が落とされたらしい、そんなささやきも聞こえてきたりする。
僕は、そんな2人の様子を見ながら、黙って後をついていく。
何もできないまま。誰ひとり助けることもできず、何一つ役に立つこともできず、ただ、ついていく。もどかしい。すごくもどかしくて、苦しい。
ただ、そんな中で、男の子に手を貸してくれた少年がいたことが、僕には、とても嬉しかった。
「よかった……」
思わずつぶやいた、その瞬間、僕は、自分の部屋のベッドの上で目が覚めた。
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