第16話  きっと気のせい?


 「ありがとうございます。 ずいぶんきれいにしていただいて」

 にっこり微笑む彼に、

 「こんにちは」 僕らは、挨拶をした。

 「私の手が回らなくて、申し訳ないことをしました」

 

 その男性は、このお寺のご住職だった。

 膝を痛めて、しゃがんだり立ったりすることが難しく、気になりながらも草抜きができないでいたのだという。それでも、せめて掃き掃除だけでも、と毎日奮闘していたとその人は笑った。

 「こちらにご家族の方でも?」

 「いえ。家族ではないのですが、知り合いの方がいて」 僕は答える。

 知り合い、といっていいのかどうか。でも、全くのウソでもないかな。生前はともかく、本人と直接話したのは確かだし。

 「そうですか。きっと喜んでおられますね」

 「そうだと嬉しいです」

 「よろしければ、お茶をお淹れしますので、あちらで、休憩なさいませんか」

 「え、いいんですか?」

 「もちろん。ぜひ、どうぞ」


 僕らは、彼の後について、お寺の本堂に上がらせてもらった。

 優しいお顔の仏像が、静かにこちらに向かって微笑んでいる。どことなく、ご住職と似ている気がする。

 ポケットの中で、もちまるがむにむにと僕のお腹を押してくる。何か言いたそうだ。でも、ごめん、さすがに、今は無理だ。 そっと、ポケットの上から、なでる。

そして、あとでな、と小さくささやく。

 ぽてん。 わかった、といってるみたいな気配だ。


 ご住職は、僕ら3人に、お茶を運んできてくれた。

温かい、香りのいいお茶だ。彼は、僕らにお茶を出した後、ゆっくりと腰を下ろし、膝を伸ばして座る。そして、残念そうに言った。

 「正座がまだつらいので、失礼しますね。……何か、お茶のおともになるお菓子があればよかったのですが」

 僕の隣で、美月が身動きする。そういえば、彼女は今日のおやつ担当だった。

 ハッとした顔でリュックを見た後で、う~ん、と首を振って、諦めた顔をした。おそらく、リュックにあるのは、ポテチかなんかだろう。さすがに、お寺の本堂で、ポテチを広げる勇気は、僕も、ない。

 「このお茶、とても香りがいいですね」

 光瀬が、美月の隣で、言った。

 「そうでしょう。私も気に入っています。ホッと心が落ち着く香りですよね」

 とくに、何かこれといった話をしたわけではないけれど、ゆっくりとお茶を飲んで、本堂から、周りの山の緑を眺めて、穏やかな時間が過ぎてゆく。

 

 「そろそろ、戻ります。お茶ごちそうさまでした」 「とてもおいしかったです」「めっちゃ、ホッとしました。ありがとうございます」

 僕と光瀬と美月は、口々に言って、頭を下げた。

 「ありがとうございます。大変な作業ですから、けっして、ご無理はされませんように」

 ご住職の言葉が、優しくしみる。なんだか、とても心が安らぐ。

「ありがとうございます」

 僕らも挨拶を返して、本堂を離れる。


 「なんかさ、めっちゃがんばりたくなったね」

 美月が言う。

 「うん。そやね。私らみたいな高校生に、あんなに丁寧に話してくれる人って、なかなかいてへんよね」

 光瀬も言う。

 「よし。もうひと頑張りしよう。……ところでさ、美月、おやつは、何持ってきてるん?」

 僕が訊く。

 「え。ポテチ、アメ、チョコレート」

 やっぱり。

 「さっき、出そうかどうしようか迷ったけど、なんか雰囲気にあわへんな、と思ってやめてん。あ、でも作業しながら、アメ食べる?」

 「いいね」「食べる」

 僕らは、美月のアメを口に放り込んで、また、せっせと、草を抜き始める。

 

 お昼が近くなる頃、僕らの作業はおおむね終了した。最後に、墓石もきれいな水で絞ったタオルで、そっと汚れを拭う。作法的にどうか、なんてことは、僕らには、わからない。ただ、気持ちよくしてあげられたらいいな、そう思った。

 最後に、僕に依頼してくれた人が、好きだと言っていた花を供える。小さなスイトピーの花束。甘い香りが、かすかに漂う。3人で並んで、手を合わせる。

 

 (ありがとう……)

 声が聞こえた気がした。

 

 帰りに、もう一度本堂を訪れたけれど、ご住職の姿は見えず、僕らは、本堂の仏像に丁寧に頭を下げた。一瞬、仏像が笑い返してくれた気がするのは、きっと気のせいやよな?

 もちまるが、ポケットの中で、また、むにむにとうごいている。

(うんうん。あとでね)

 

 山を下りてバス停に着くと、ちょうどいいタイミングで、バスが来た。

 僕ら以外誰も乗っていない静かなバスの中で、光瀬と美月は、シートに座るやいなや、爆睡している。僕も、心地よい揺れに身を任せて、そっと目をつぶった。

 

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