第30話 姫の約束
そう。本当に、飛び込んできたという感じで、思わず僕はその本を手に取った。
『ふるさとの記』というタイトルの青い表紙の本だ。
僕は、その本のページをめくった。
その本の筆者が、明治大正昭和あたりから現在に至るまでの、ふるさとの村の歴史や思い出、言い伝えなどをまとめている本だった。そして、その村の名前は、確かおばあちゃんのふるさとのものだ。
目次を見ていると、その中に、『姫』という文字があって、思わず僕の目は、その文字に吸い寄せられる。
『お姫様の塚』についての話のようだ。読もうとしたとき、ちょうど光子おばさんが、戻ってきた。
「あら、大ちゃん。その本、気になる?」
「あ、はい。ごめんなさい。勝手に見て」
「かまへんよ。おばあちゃんが送ってくれたのよ。私の好きなお話が載ってるで、って言うて」
うちの母と光子おばさんの母親、つまり僕のおばあちゃんは、大阪出身ではない。田舎から都会に出てきて、最初は、なかなかなじめなくて苦労した、なんて話を聞いたこともある。
「ええとね。これこれ、このお姫様の話」
ちょうど僕が気になっていた話だ。
「病気になって、都から小舟に乗せられて流されてきたお姫様の話でね。なんでも、はじめにたどり着いた海辺の村では、お姫様が病気だったせいで、誰も受け入れてくれなくてね。その村を追われるようにして離れ、あちこちさまよい歩くうちに、ある山奥の小さな集落にたどり着いて。そしたら、その村の人たちは、とても温かく優しくお姫様を迎え入れて、村の空いている家に住まわせるの。食べ物や着るものも、村の人たちがせっせと運んで、手厚くお世話をして。姫様は、とても頭のいい方だったそうで、難しい漢字やお経の文字を書いていて、紙がなくなると、……当時、紙はとても貴重品だったからね、平たい石に文字をすらすら書いてたそうよ。だから、村の人は平たい、文字の書きやすい石を見つけると、それを拾ってきては姫様に届けたんだって」
僕の頭に、姫の姿が浮かぶ。この話は、もしかしたら。
「それでね、姫様は、この村の人たちに大変感謝してね、言ったんだそうよ。『この村に来て、優しく迎え入れてもらってとても幸せだった。だから、この村からは、けっして、私と同じ病で苦しむ人が出ないようにする』
そう約束して、亡くなったんだって」
約束。
――――これは、僕の知ってる姫の話かもしれない。
「このようなお話は、各地にあって、伝説のようなもんや、と言う人もいるんやけどね。でも、私は本当のお話やと思ってるねん。……見て」
おばさんが、同じページの白黒の写真を指さす。平たい石を積み上げて造られた塚の写真だ。この塚は、お姫様が文字を書いた石を積み上げて造られたものやねん。私は、小学生の頃、この塚を直接見たことがあるのよ。石の一つ一つに、墨で書かれた文字がハッキリと残ってた。大半がお経の文字やったみたいやけど、もしかしたら、その中には、お姫様が、故郷を思って書いた、日記のようなものもあるのかもしれない、とか思って、一生懸命さがしてね。それからずっと、このお姫様の塚のことが忘れられなくて……。今は、その文字ももう、うっすらとしか残ってないらしいけど」
「うちのお母さんも、そのお話知ってる?」
「う~ん、聞いたことはあると思うけど、詳しくは知らんと思うわ。私がまだ小学校2年か3年くらいやったから、あんたのお母さんはまだ幼稚園児やったしね」
確かに、母から、そんな話を聞いたことはなかった。おばさんは、各地にある話だといったけれど、僕には、火の玉から聞いたばかりの話と結びついて、ひとつの確信のようになって胸に残った。おばさんは、今は塚がどうなっているのか、今のその村がどうなっているのか、という話を、あまり詳しくは知らんけど、と言いながら、少し話してくれた。
「本持って帰って読む?」
僕がお姫様の話に興味を持ったのが嬉しかったようで、おばさんはそう言ったけれど、望遠鏡もあるので、とりあえずその本のページをスマホで写して、家に帰ってからじっくり読んでみることにした。
「嬉しいわ。お姫様の話、なかなか聞いてくれる人いてへんかったから。タツヤに言うたら、『へ~』って言うただけやってね。大ちゃん、聞いてくれてありがとう」
僕こそ、ありがとうや、と思いながら、おばさんにいっぱいお礼を言って、家を出た。
望遠鏡を抱えて家に帰る途中、もちまるは、ポケットの中ぽてぽてころころと、弾んでいた。
「嬉しい?」僕は訊く。
「うん。嬉しい。望遠鏡も嬉しいけど。それ以上に、姫がいい人たちに出会えたのが嬉しい」
ポケットの中で、もちまるがぽてっと身動きした。
「そやな……よかったよな」
僕は、姫に伝えたい話がいっぱいできたことを嬉しく思いながら、望遠鏡をしっかりと抱え直した。
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