第8話 なんで?
光瀬家は、僕の以前住んでいた町にあって、学校の最寄り駅から電車でほんの
2駅、離れているだけだ。
僕と美月は、駅から少し歩いたところにある、光瀬家を訪ねた。
ベルを鳴らすと、光瀬のお母さんが、玄関先に出てきて言った。
「あら。 美月ちゃん。 ・・・あら、大ちゃん! まあ、2人とも心配してきてくれたん?」
美月は、光瀬とは高校で出会って親しくなって、家に何度も遊びに来ているらしい。
美月の横に、僕がいるので、お母さんは、ちょっと驚いていたけれど、僕らを家に招きいれて、お茶を出してくれた。
「ごめんなさいね。せっかくきてくれてるのに、あのこ、今眠ってるから、話はできへんのよ」
そう言いながら、お母さんの顔は、とても困惑しているようだ。
「あの・・・」
僕は、思い切って、昨日の帰り道で、光瀬に相談を持ちかけられた話をした。
「そう・・・。あの子、ほんまに困ってたんやね。・・・ちゃんと、本気で聞いてあげてたらよかった・・・」
お母さんは、そう言って肩を落とし、僕たちに、ここ数日の、光瀬とのやりとりを話してくれた。
「声がね、・・・なんか変な声がするって・・・」
「声?」
「なんかね、『こっちへおいで』って誘うような声で。 はじめは空耳かほかの部屋のテレビの声かと思うくらい小さい声で、へんやなって思いながらも、聞き流してたって。それが、だんだん大きくはっきり聞こえるようになって、それも、次第に強い口調に変わってきた、て」
「いつから? いつからそんな声が、聞こえるって・・・」
僕の声も上擦る。
かなりやばそうな感じだ。
「たしか四日・・・いえ、五日前くらいから、そんなことを言ってたような・・・」
「その頃に、何かいつもと違うことや、今まで行ったことない場所に出かけた、というようなことは?」
光瀬のお母さんは、一生懸命、記憶の糸を手繰り寄せようとしている。
「・・・とくに、変わったことは、何も・・・。特にどこかへ出かけたということもなく、いつも通り学校に行って、部活に行って、塾に行って、・・・う~ん。何も思い当たることは・・・」
「声以外に、何か、聞こえるとか、何か物が、置いた場所が変わってるとか、そういうことは?」
「置き場所が・・・ああ、そういえば、カバンが、通学用のカバンが、いつのまにか、自分の部屋にあるって・・・」
「カバン?」
「なんかね、カバンのあたりから声がしてる気ぃする、とか言って。部屋に置いときたくない、て、玄関先に置いてたのよ。それが、気が付くと、いつのまにか、部屋に戻ってるって」
光瀬以外の家族には、何もそんな声は聞こえなかったし、もちろん、カバンにも何もおかしなところは、感じなかったそうだ。
だから、何かちょっとカン違いをしているのか、それとも、先月から塾に行き始めて、少し疲れているんだろう、くらいに思ってたらしい。
僕の左ポケットの中で、さっきから、むにむにと、僕の脇腹を押す気配がある。
もちまるが、動いている。
(もう一押し、情報を)とでも言いたいのか?
そのとき、美月が言った。
「あの、・・・あやちゃんの部屋、入らせてもらってもいいですか?」
僕が、言いたかったことを言ってくれた。
女の子の部屋、しかも、その当人が眠っている部屋に、男子が、入らせてほしいなんて、言いづらいな、と思っていたところだったから、助かった。
僕たちは、お母さんについて、2階に上がり、光瀬の部屋に入らせてもらった。
8帖ほどのゆったりした洋室の壁際にベッドがあり、窓辺に近いところに、机があった。
そして、その机の上に、例のカバンが載っている。青いガラス玉のようなものが紐の先についた飾りが、持ち手にぶら下がっている。
ベッドでは、光瀬が黙って横たわっている。
顔色は特に悪くはない。 目を閉じて、普通に眠っているように見える。
それなのに、いくら声をかけても、何の反応もしないのだ。
呼吸はあるようなのに、人としての気配を感じない。何か、温かい容れ物がそこにある、そんな感じだ。
「あやちゃん、あやちゃん」
美月が繰り返して、声をかけているけれど、身動きすらしない。
「なんで? なんで?」
美月が繰り返したけれど、答えはない。
お母さんは、途方に暮れた顔で、僕たちのそばに立っている。
「昨日の夜から・・・ずっと、こんな具合で・・・。晩ご飯のあと、部屋に上がったきり、降りてこなくて、お風呂にはいりなさいって声かけにきたときには、もうこんな感じで・・・。どうしよう、病院に行った方がいいのか、それとも、何かお寺とかでお祓いしてもらった方がいいのか・・・誰にも相談できなくて・・・」
お母さんの表情は不安でいっぱいで、目には涙が浮かんでいる。
僕のポケットの中で、もちまるが、ぽてぽてぽてとかすかに動いた。
そして、お母さんと美月が、うなだれたまま、ベッドの光瀬を見ているすきに、にゅうっと手を伸ばして、カバンの持ち手にぶら下がっていた、小さな青いガラス玉のような飾りをちぎり取った。そして、そのまま、また僕のポケットの中に納まった。
ほんの一瞬のことで、止めるどころか僕は、声を出さずにいるのが精一杯だった。
結局のところ、僕らには、何もできることが思いつかず、僕らも、うなだれて、部屋を出た。
(僕に何ができるんやろ? )
必死になって考えたけど、情けないことに、お母さんを励ます言葉すら浮かばず、
「何か、お手伝いできることがあったらと思ったんですけど・・・すみません。なんもできなくて・・・でも、もし、何か僕らにできることあったら、連絡ください」
僕と美月は、頭を下げた。
お母さんは、力なく微笑みながら、
「いえいえ、ありがとうね。心配してきてくれただけでも、嬉しいわ。また、何か思い出したら、連絡するわね」
そう言って、静かに家の中に戻っていった。
僕と美月は、ただ黙って、駅までの道を歩いた。
駅まで来ると、美月は、
「じゃ、私んち、あっちの方向やから、ここで」
ぽそっとつぶやくように言った。
「送るよ」
ずっと青い顔をしたままの美月が心配になって、僕は言った。
「いい。うち、踏切わたってわりとすぐやし。まだ明るいし。一人で大丈夫」
呆然とした美月の後姿が踏切を渡っていくのを、僕は、見送った。
そのとき、もちまるが言った。
「ちゃんと送ったりや。おまえ、昨日も、そうやって見送って、後悔したやろ」
僕はハッとして、美月のあとを追いかけ、美月の横に並んで、一緒に歩いた。
お互い言葉は出ない。ただ黙々と歩く。
家の前まで来ると、美月は、僕に、
「ごめんな。・・・ありがとう」
それだけ言うと、家の中に入っていった。
ぼーっと、美月が姿を消したドアの前で立っている僕に、
「帰るで」
もちまるが言った。
「うん」
「これ。こいつが、原因やろな」
もちまるが、ポケットの中で、小さな声で言った。
ポケットに触れると、ぽてぽてしたもちまる以外に、コロンとした硬い感触がある。
さっき、もちまるがカバンから、ちぎり取ったガラス玉のようなものだろう。
「早く帰って、話そう。大吾、急げ」
もちまるが、僕をせかす。
「お、おお」
僕は、足早に、駅を目指した。
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