第39話 後悔


 戻ってきてしまった。

 僕は、慌てて、もう一度目をつぶった。もう一度さっきの場所を思い浮かべる。

 けれど、目を開けると、やはり僕は自分のベッドの上にいた。


 僕は、何もできないまま、ただそこにいただけで……戻ってきてしまった。

 僕は、腕の中にいる、もちまるを見つめる。

 彼はまだ眠っている。動き出す様子はない。


 彼を起こさないように、僕はそっと体を起こし、もちまるの体を、ベッドに横たえる。

(あの炎と煙と土埃の中を、あの子はまださまよっているのだろうか。あの少年と一緒に)

 そう思って、もちまるを見下ろしていると、

「大吾」

 声がした。

「大吾」

 もちまるの目が開いていた。

「あ、もちまる、目ぇさめたん?」

 僕は、彼に呼びかけた。


 もちまるは、ゆっくりと瞬きをして、ベッドの上に体を起こすと話し始めた。

「……いや。正確に言うと、さめてへん」

「?」

「おまえが『もちまる』って呼んでるやつは、今、疲れて眠ってる」

「……じゃあ?」

「オレは……さっきオマエも見たやろ? ちびと一緒に歩いてた……」

「あ、あの、『坊』を助けて、足に布を巻いてくれた人?」

「うん。そうや」

「ありがとうございます! 僕は、そばにおっても何一つできなくて、見てるしかできへんかって。あなたがいてくれて、どんなにかあの子が心強くて嬉しかったか、僕がお礼を言うのも変やけど、でも、ほんまにありがとうございます」

「いや。オレも……なにもできへんかった。あいつ、かあちゃん、助けに行くって言うてたのに、どうしても連れて行ってやれんかった……」


 そして、少しの沈黙のあと、彼は言った。

「オレも、ずっともちまるの中にいてる。普段、表に出てるのは、あいつで、オレは底の方で眠ってる。時々、あいつが困ったときや疲れたときに交代するんや」


 そして、彼は、あの後の2人について、静かに語ってくれた。

 どうやら、時は、太平洋戦争末期。日本国内のあちこちで、空襲による大きな被害が起きていた。そして、あの日は、今までに経験したことのないような大きな爆弾が落とされたのだという。


 僕がこちらに戻ってきた後、避難しようとする人の波にもまれながら、2人も必死で歩いたそうだ。けれど、あちこちから火の手が上がって、そのたびに、逃げる方向を変えざるをえず、どうしても家にたどり着けなくなってしまったのだという。

 坊の手を引いてくれた少年は、父親はすでに戦死し、母親を病気で亡くしたばかりだった。

「もう、オレには頼るべき人も、守りたい人も、誰もおらん。いつあの世へ行ったかてかまへん。何もかも、もうどうでもええ。……そう思ってた」

 彼は、続けた。

「でも、あのとき、『かあちゃんを助けて』って泣きながら目の前を必死で走って行く、あいつを見たとき、『あかん! そっちは、あぶない。かなり火事が広がってる』思わずそう言うて、止めてた。……せめて、こいつは助けてやりたい。そう思った」

 

 彼はうつむいて、ぽつりとつぶやくように言った。

「……助けてやりたかった。でも、結局、みんなが混乱する中を、2人でさまようただけやった……」

 

「……それでも、あの子はすごく、すごく心強かったと思う。嬉しかったと思う。心細くても、強がってしまうあの子は、あなたの手がどれだけうれしかったか……」

 上手く言葉が出てこないけれど、僕は精一杯言った。


「ん……オレな、後悔、してることがあるねん」

「後悔?」

「あの日な、逃げてる途中、あいつ、途中で『抱っこ』って言うてんや。かなり歩き回ったし、飲まず食わずやったし、よっぽどしんどかったんやろな、はじめのうちは、『だいじょうぶ』ってずっと言うとったのに、とうとう『抱っこ』って。オレな、そんとき、よう抱っこしてやられへんかってん。肩ケガしてて、痛みがどんどんひどくなってて、我慢するのがつらいぐらいやって。せやから、『ごめん。オレも肩ケガしてるから、抱っこ、できへん』そう言うた。そしたら、あいつ、『そうか……ごめん。だいじょうぶ?』て」

 僕は黙ってうなずく。

「ごめん、って。だいじょうぶ? って……。自分もつらいくせに、オレを気遣うんや。オレ、どんだけ痛くても、腕もげても、抱っこしてやればよかった。歯ぁ食いしばってでも抱っこしてやればよかった。……ずっと、後悔してる」

 そう言うもちまるの目から、涙が溢れる。

 僕は、たまらずもちまるを腕の中に抱え込んだ。そっと、でもしっかりと抱きしめる。

 あまりにも優しい、息苦しくなるほど切ない、後悔。


 『抱っこ』にこたえてやれなかったことを後悔する少年。

 言えなかったごめんなさいを抱えたまま、今は眠っている『坊』

 そして、見ているしか何もできなかった、僕。

 3人分の後悔を、僕は抱きしめる。


「ごめん……」

 誰にともなく呟く。


 

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