第32話 相棒
週末、僕は光子おばさんから聞いた話を報告しに、姫の屋敷を訪れた。
「ほら、見てみて」
僕は、姫にスマホの写真を見せた。
『ふるさとの記』に載っていた文章と、塚の写真だ。
姫は黙ってスマホの画面に目を落とす。
僕が屋敷を訪れるたびに、姫は僕のスマホを目にしている(時々さわったりもしている)ので、今では少し慣れてきている。
とはいえ、時々、
「大吾大吾、これ、画面が真っ暗になった」
「はいはい」
ゆっくり読んでいるから、一定の時間が過ぎて、画面が暗転してしまう。すると姫は慌てて僕を呼ぶ。姫の差し出す画面を指でタップして、画面を元に戻し、スマホを手渡す。
「ありがとう」
姫は、僕から再び受け取ったスマホをじっと左手で持って、目をこらす。小さな指を、すいっと滑らせて、次のページを見ている。
「だいぶ、使い慣れてきたね」
「うむ。でも、画面が暗くなると、どうしても焦ってしまうな」
姫の横顔は楽しそうだ。
ここでは電波が入らないので、写真やスマホ内にダウンロードしたものしか見せたことはないけど、もっといろんなものを見せてあげたいと思ってしまう。
読み終えて顔を上げた姫が、ため息交じりの声で言った。
「今……こんな風に語り継がれているのか」
「うん。そうやで。みんなお姫様のお話を、今も大事に伝えてるねんで」
「ありがたいな。もう誰も私のことなど覚えていないかと思っていた」
僕は、姫に光子おばさんの話をした。
「子どもの頃にお姫様の話を親から聞いて、塚で石に書かれた文字を直に見て、それからずっとお姫様のファンなんだって」
僕が少し笑いながら言うと、
「ふぁん??」
「大好きってこと」
「大好き……」
姫は驚いて、目を丸くした。
「会ったこともなく、その村の住人でもないのに、私のことをそんなふうに思ってくれているのか」
「うん。直接会ったことなくても、遠く離れた場所にいても、好きになることはあるよ。心に響くものがあれば……好きになるよ。僕はそう思う」
「……そうだな。そういうこともあるかもしれぬな」
姫がゆっくりとほほ笑む。
「何より嬉しいのは、私のかかった病が、今ではちゃんと治る病になったということだな」
姫の病は、現在では、原因も治療法もわかっており、完治するものになっていることも、『ふるさとの記』は伝えていた。
僕は、おばさんに教えてもらった、現在のその村についての情報を補足する。
「そこに住んでいる人たちは、今では10人くらいになってしまったらしいよ。でも、毎年春に、お姫様の塚の前に村人みんなで集まって、お祭りをするんやって。お祭りっていっても、塚にお花を供えて、持ち寄ったお弁当をみんなで食べておしゃべりする、という和やかな集まりらしいよ。……そういう祭りも、なんかええよね」
僕は姫に笑いかける。
「うん。みんなでお弁当食べておしゃべり、というのがいいな。楽しそうだ」
姫が目をきらきらさせて笑顔で言う。
「年々私の力が弱くなって、もうずっと長いこと、村人の様子も声も、知ることができなくなっていてな。約束を守りたいと願いながらも、もう何も自分にはできないと、もどかしく思っていた……」
ため息をつくように、静かに息を吐いて、姫が言った。
「もう、……大丈夫なのだな? 私が去っても」
僕は静かにうなずく。
「姫が約束を守ってくれたこと、みんなずっと感謝してきたんやね。やから、今でもこうしてお祭りを続けてるんや」
その村がある地方都市の、地元新聞に載った祭りの記事を僕はネットで見つけて、スクショしておいたので、それも見せる。
熱心にその記事を読み終えて、
「ありがとう。大吾。もう、これで、心置きなく……旅立てる」
姫の笑顔が心に染みる。
そして、姫は言った。
「私たちが旅立ったら、この場所はなくなる」
火の玉の彼女が、姫と共にこの場所を守っていたのだという。いつもそばに仕えていた和風イケメンの正体は、なんと元はトカゲだったらしい。姫と許婚者が初めて出会った日のきっかけを作った、トカゲだ。体の模様が珍しくてとてもきれいで、姫のお気に入りだったトカゲ。京にいた頃、庭にいたその子が、いつのまにか姫の旅の荷物に紛れて、ついてきたのだという。
「毎日、楽しませてくれた。ずっとわたしたち2人のそばにいてくれた。生きている間も、……魂だけになっても、ずっと」
姫の瞳で、温かな光が揺れる。
「もう、元の姿に戻っていいぞ」
姫が言うと、和風イケメンの彼は、静かにふっとほほ笑むと、小さなトカゲに戻り、姫の肩に乗った。
なぜ、和風イケメンの姿に? と、姫に尋ねると、
「うむ。その方がいろいろ都合がよかったのでな」
そう言って、姫は楽しそうに笑った。
ふと気づくと、いつのまにか、姫より少し年上に見える優しい面立ちの少女が、寄り添うように姫のそばにいた。
そして、さっきまで屋敷の中にいたはずの僕たちは、帰るときのいつもの草地に、立っていた。
「火の玉さん?」
少女に声をかけると、
「はい」
少し恥ずかしそうにほほ笑んだ彼女は、僕を見て、頭を下げた。
「今まで、いつも親切にしてくれて、ほんとにありがとう」
僕も頭を下げて笑いかける。
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
僕より少し年下に見える、可愛らしい少女の姿の火の玉は、うっすら頬を赤くした。
それを横目に見て、姫が僕を手招きする。
そばにいって腰をかがめると、少し背伸びして、姫が僕の耳元でささやく。
「大吾のふぁん、らしい」
火の玉の少女を振り返りながら、いたずらっぽく笑う。
「もう! なんてこというんですか。姫様!」
火の玉の彼女が真っ赤になり、僕の頬もつられて赤くなる。
それを見た姫は、ちょろっと舌を出して、朗らかに笑うと、
「……私も、だ」
そう付け足した。
「え……」
とまどった僕が、なんと答えればいいのかわからないまま、ぼうっとしていると、次の瞬間、さっとかき消えるように2人と1匹の姿も草地も消え、僕は、自分の部屋に立っていた。
「……帰ってきたのか」
「うん」
ポケットの中で、もちまるが応える。
「ちゃんとした挨拶もできなかった」
僕がつぶやくと、
「大丈夫や。十分伝わってると思うで」
もちまるがそう言った。
「そうかな?」
「2人とも、笑ってたやろ?」
「うん。……そやな」
うなずいた僕の肩に、もちまるがぽよんと跳ねて乗っかった。
そして、僕の耳元で言った。
「なあ。お腹空いた。プリンが食べたい」
「しゃあないな~。売り切れてるかもしれへんけど。買いに行こか」
「やったあ~!」
僕のポケットの中にダイブしたもちまるが、ポケットの中で嬉しそうに転げ回る。
「よし。行くか、相棒」
「おう」
思わず、自分の口から出た“相棒”という言葉に驚きながらも、僕は財布を手にする。
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