第3話  なんか、おる?

 本鈴と同時に、教室に滑り込んだ僕は、ぎりぎり遅刻扱いにならずにすんだ。

 左ポケットの中が、ほんのり温かい気がするのは気のせいか。服の上から、そっとおさえると、丸くて柔らかい感触がして、中で、もちまるが、ぽて、と身動きしたのが分かった。

 

 それにしても、また朝から、厄介ごとを抱えてしまった気がして、僕は、一つため息をついた。

 ポケットの中のそいつが、何を考えているのか、ほんとのところ、何が狙いなのか、

まだよくわからない。極悪非道なタイプではなさそう、ということぐらいしか、わからない。

 それだって、あくまで印象だ。やつが、超演技派だった場合は、そんな印象など、全くあてにはならないが。

 僕は、なぜか、よく厄介ごとに巻き込まれる。人に(人以外でも)頼られると、あまりいやとは言えなくて、ついつい振り回されてしまいがちな性格だ。気づくと、これまで、何度となく、困った目にあってきた。

 今回も、この先何が起きるのか、まるで予想もつかないけど、早くも、白旗を上げたい気分なのは確かだ。

 

 1限目の授業が終わって、前の席の和也が、振り向いて言った。

「どないしたん? ふられたんか?」

 唐突にそんなことを言う。

「な、なんで? ふられてへんし。ていうか、それ以前に、そんな相手もおらへんし」

「そうか・・・。いや、授業中何べんもため息ついてるから、てっきり・・・」

「・・・え。そんなにため息ついてた?」

 気づかなかった。

 僕の右隣りの席から、丈くんが、

「めっちゃ、深~いため息、つきまくってたで」

「ほらな。何かあったんか、心配したくなるくらい、盛大なため息ついとったで」

「そうか・・・。いや、確かに、ちょっと心配事はあるねんけど・・・」

「恋の悩み?」

「ちゃうちゃう」

「なんや、そうか。残念やな。恋愛相談やったら、まかせて。おれ、いつでも、相談のったるで」

 和也が、笑いながら、自信たっぷりに言う。

「おまえ、相談のれるほど、経験あるんか?」

 丈くんが、言う。

「いや、ないけどな。なんとかなる。まあ、とにかく、笑顔や。相手を落とすには、笑顔第一。そうしたら、たいていうまくいくもんやで。・・・しらんけど」

「なんやそれ」

 丈くんが笑い出し、僕も一緒に笑い、和也も笑った。

 ひとしきり笑った後、丈くんが、笑いをひっこめて、少し真面目な顔で言った。

「まあ、とにかく、なんか、おれらで、力になれることあったら、言うてや」

 丈くんは、いつも頼もしい。同じ年なのに、なんだか、ちょっと兄貴っぽい。

 横で、和也も、うんうんとうなずいている。

「・・・うん。ありがとう」

 僕は、頼もしい二人に、感謝しつつ、それでも、これは、言えそうにないよなあ・・・と、もう一度ため息をつきそうになって、あわてて、それを飲み込んだ。

 ポケットの中では、もちまるが、ぽてぽてと、身動きしている。何か言いたそうだ。僕は、「黙ってて」という気持ちを込めて、軽くなだめるように、ポケットをぽんぽんと軽くたたいた。僕の意図が伝わったのか、ぽてっと、1回跳ねた後、もちまるは大人しくなった。


 微妙に長かった一日が終わって、和也と丈くんは野球部に、僕は、いつもなら普通に、部活に参加するところだけど、今日は、ポケットの中が気になるので、帰るつもりで、荷物を肩にかけて、歩きだした。とりあえず、今日は帰る、と誰か同じ部のやつに伝えておこうと思って、隣のクラスを覗く。それらしい姿は、ない。

 しかたなく、部室に向かう。中棟に向かう渡り廊下には、誰もいない。

 本棟の喧騒が、少し遠ざかる。

「なあなあ」

 人気のないのを察したのか、もちまるが、小さな声で囁く。

「なに?」

「大吾、なんか、困ってるん?」

 もちまるの声は、どことなく心配そうだ。

(あんたが言うか?)

 僕は、そう言いたかったけど、

「いや、別に。ただ、朝からちょっとびっくりしたしな」

「・・・そうか。おれのせいか。・・・ごめん」

 ポケットの中で、ぽて、と小さく動く気配がする。

 なんだかしょぼくれてるような気配だ。僕は、思わず言ってしまう。

「・・・ええよ。気にすんな」

「ありがと」

 そのとき、後ろから、ばたばた走ってくる足音がして、もちまるは、黙った。

「伏見くん! 部活行く?」 同じ部で、隣のクラスの美月だ。

「いや、今日は、ちょっと用事あるから、帰らなあかんねん。それだけ言うて帰ろと思って」

「え~、そうなん。今日、ついに火山模型の噴火実験やるって言うてはったで」

「え、ほんまか。見たかったな」

 模型は、つい先日完成したばかりだ。

  

わが地学部の活動日は、月曜日から金曜日まで、毎日だ。

 といっても、ただ、みんな、毎日集まって、宿題したり、喋ったり、勉強したり、時に、お湯を沸かして、ラーメンを作って食べたりしている、ゆる~い部だ。

 もちろん、地学に関わる活動も、する。

ラジオの気象情報を聞きながら天気図を書いたり、望遠鏡で太陽の黒点観測をしたり、火山の噴火模型を作ったり、蓄光テープをくりぬいて作った星でプラネタリウムを作ったり、ワセリンを塗ったプレパラートで宇宙塵を集めたり、とにかく、気が向いたことを、気が向くままに、みんなでやる。

 毎日、みんな部室に集まるけど、絶対、行かないといけないわけでもない、気楽な部だ。顧問の先生も、ほぼ姿を見せない。

 先輩の話によると、学期に1回くらい、覗きにくるくらいだという。

  

 もちまるは、大人しくしているだろうし、まあ、大丈夫か、やっぱり部活やっていこうかなと思いかけたところに、もう一人、同じ学年の里見が、やってきた。

 なぜか周りを見回している。そして、いきなり言った。

「なんか、おる」

「は?」 美月が、怪訝そうな顔をした。

「ようわからんけど、でも、なんか気配する」

ポケットの中で、もちまるが、一瞬硬くなった。

「え? なんか、そんなんわかるん?感じるん?」

 僕は、少し、こわそうな顔をして、きいた。

「いや、軽く気配がしただけや。今は、なにもない。気配、消えた」

 真面目な顔で、里見が言うので、美月は、

「やめてや~。怪談にがてや~」

 少しひきつった顔で言った。

「いや、やから、今は大丈夫や」

 それでも、里見は、まだきょろきょろしている。

(やっぱり、今日のところは、帰った方がよさそうだ)

「じゃあ、僕、今日は用事で帰るって、部長やみんなに言うといて」

 そう言って、僕は、二人に手を振り、渡り廊下を戻って、本棟に向かった。

 里見が、あんなに鋭いとは、知らなかった。いや、あいつのことだから、もしかしたら、はったりの可能性もあるけど。でも、用心は必要かも。

 ポケットの中では、もちまるが、息を止めてでもいるのか、硬くなったままなので、

僕は、ポケットの上からぽんぽんと軽くたたく。

「大丈夫やで」のつもりだ。

 ぽてん、と力を抜いたような気配がする。意外と、『気ぃつかいぃ』なやつみたいだ。

さっきまで、厄介に思えたそいつが、僕には、ほんの少し可愛く思えてきた。

 そっと声をかける。

「もちまる、帰るで」

「うん」

 ぽてぽてぽて、ポケットの中で、なんだか喜んでる気配がする。

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