24話 げに恐ろしきモノは人の欲なりや
「今宵の月は美しいが、少しばかり風が五月蝿いな…」
深夜も廻った頃だというのに、女の子は誰に構うものかと我が物顔で町を歩きゆく。
しかし不思議なことに女の子とすれ違う人々はだれそれと、遅い時間に薄手の着物姿の女の子に気を止めることなく通り過ぎて行った。
「そろそろ、夜も深まり異形の類いが騒がしさを増す頃なら、仕方もないことかもしれんな…。どれ、儂も食事とするか…」
ー スッ…
「っ!?え?あ、あれ?女の子?どこから現れたんだ?」
不意に通り過ぎようとする男性の前に手を出すと、その行く手を阻んだ。
ギラついた目で、男を見上げるとチロリと舌なめずりをして妖美に微笑む…。
「おい、お前…。何か怨みを抱えておるだろう?」
「な、なんだよ急に…。気持ち悪いガキだな」
「気持ち悪い?あぁ、この造形のことか?悪いな、儂も趣味ではないのだが、近くに都合のいいモノがこの身体しかなかったから致し方ないのだ。だが、聞いてくれよ、お前さん。最近、良質な“依り代”を見つけたんだ。それはそれは良質な依り代さ。あれは、百年に一度、いや、五百年に一度の“型”なんだよ。あれならきっと、儂の〈 未練 〉も晴れる。いや、晴れるどころか、干ばつするほどかもしれん!嗚呼…!心躍るよ!」
「……な、なんだコイツ。何かの宗教か?気持ち悪い」
両頬に手を当て、うっとりとした表情で女の子は天を仰いで甘い吐息を漏らす。
その姿に言い得ない異常性を見た男性は、これはおかしな奴に関わられた、早々にその場を離れようと、女の子の脇をすり抜けようとする。
「おいおい!儂はまだ話しておるぞ?何処へ行くんだ?」
「なんだよ、お前…。俺は急いでるんだ。さっさと帰って仕事を片付けなきゃ行けないんだよ。あー、こうしてる間も睡眠時間がぁー…!」
「なるほどなぁ…。お前さんは社畜というヤツか。アハハハハ……!その昔、世の中の理不尽や邪気を一身に受けるために、神社などの柱に生贄として死ぬまで繋がれていた家畜をそう呼んでいた。今のお前さんと大して変わらんな?」
「か、家畜って…バカにしてんのか!お前!」
嘲るように笑う女の子の襟元を掴むと、男性は憎らしげに睨みつける。
自身でも大してその差を感じられないことに余計に腹が立ったらしい。
「フフ……。つまり、お前さんの怨みの相手はその仕事場というわけか。いいだろう。儂がその〈 怨み 〉晴らしてやろう…」
「へっ…。残念ながら恨んでるのは、会社じゃなくて俺の上司だ」
「どちらでも構わんさ。儂のやることに変わりわない。ほら、逝くぞ?」
ー ドスッ!
「え?」
突如、腹に何かが刺さったような感覚が走り全身の血の気が引いていく。
そのおぞましい感覚に堪らず腰を抜かして、その場に座り込むと、目の前で女の子がニタリと笑ってみせた。
「少し生気を抜かれたくらいで、ヘコ垂れるとは。どちらにせよ、お前さんの死期は近かったようだな?過労死寸前といったところか。よかったなー?明日明後日でも死んでいたかもしれんよ?」
「え?あ、え?」
刺された感覚が残る腹に目を向けると、何ともなかったのか、その痕跡を見つけることはできなかった。
「大丈夫だ。〈 怨み 〉を晴らす前に死にはしない。〈 呪い 〉とはそういうものだよ」
「な、何を言って…」
「さて、怨嗟は宿った。あとはコレを…その恨む相手を心から想い、突き刺せば相手に呪いが飛んでいき、すぐさま絶命させることができるぞ?」
「……藁人形と五寸釘?」
「あぁ。知らんわけではあるまい?現代でもよく浸透している“呪具”だよ」
「は、ははは…!そんな迷信だれが信じるかっての!」
「信じるも信じないも、お前さん次第さ」
女の子から手渡された藁人形と五寸釘を見つめ、男性はバカバカしいと苦笑を浮かべて首を振る。
そんな男性を見て、女の子もまた苦笑を浮かべて肩を竦めてみせた。
乾いた笑いが二人の間でしばし続くと、不意に男性は真顔になって女の子を見上げる。
「本当にすぐに殺れるのか?」
「あぁ…。お前さんたちが心配する……なんだったか…ありばり?あしばり?まぁ、そんなものは関係なく、勝手におっ死ぬ。死因は様々だ。病死、事故死、自死。その運命で一番可能性のあるものに作用し、死に至らしめる」
「そっか……俺に被害がないなら。迷う必要はないよな?」
「ないない。お前さんが、心配することは何にもない」
「でも、なんでこんな物、俺にくれるんだ?」
「当然の疑問だな。なーに、答えは簡単。儂は〈 呪い屋 〉をしている者だ。腹が減っている。だから、飯が食いたい」
「な、なんだ。単なる押し売りかよ」
「ただの押し売りではないぞ?ちゃんと数多いる人の中から、選抜して声をかけている。条件は〈 強い強い強い怨念 〉を抱いている人物だ。殺したいほど、相手を憎んでいるのだろう?殺したいほど、相手を恨んでいるのだろう?殺したいほど、相手を苦しめたいのだろう?簡単だ。その怨みを乗せて、藁人形に刺せ。そうすれば…相手はいとも簡単にこの世から消える…!」
まるで男性の汚れた心を見透かすように女の子はそのギラついた目を近付けて、瞳を覗き込むと甘い甘い言葉で誘い込む。
それはまるで、巣に飛び込んだ蝶をゆっくりと糸で絡めとる蜘蛛のように、女の子は男性を欲望という糸で絡めとっていく…。
「あの男が消えるのか…。あの男がいない世界が来るのか?明日から?」
「否……。その藁人形を釘で刺した、その瞬間にさ」
「この瞬間から…あの男が…消える!」
「 〈 さぁ、その怨みはらさでおくべきか? 〉」
「この怨み…………晴らさないわけがあるかあぁ!ああぁぁぁーー!!」
ー ドスッ!
男は藁人形を高らかに掲げると、握りしめていた釘を勢いよく刺した。
「あ…ああぁ!気持ちいい!あははははひひひひひぃひぃひぃ…!」
そのズブリと刺さった感覚が男性のタガを外したのだろう。狂ったように、何度も何度も藁人形に釘を刺し続けた。
「嗚呼……なんと笑う鬼のような顔で怨みを晴らしなさる。あんな怨念を向けられては、相手は一溜りもないだろて。げに恐ろしきは、彼をここまで追い込んだ相手の欲なりや?フフフ……!さて、儂も儂の欲に素直にならんとな?」
男性が藁人形に集中している間に、スッと鞄から財布を抜き取ると中を改めて数枚の紙幣を奪う。
紙幣をペンペンと指で弾くと、ニンマリと笑い男性に向けて手を振った。
「毎度あり……」
「あはは…あははは…!!」
返事など期待していなかったのか、さっさと踵を返して歩き出す女の子。
その後ろでは地面に藁人形を敷いて、執拗に釘を刺し続けていた。
「 あ、危ない!! 」
「あははははははは…はれっ?」
ー ドガラシャッ!!
女の子が離れてから三分と経たないうちに、その場に看板が落下して来た。
“運悪く”そこにいた男性は看板の下敷きになってしまった…。
人が下敷きになったことで、辺りは騒然となる。
すぐさま駆けつけた救急隊により救出活動が行われたが、残念ながら男性は即死だったそうだ。
騒然とする現場を遠くで眺めながら、近くのコンビニで買った弁当を掻き込む女の子はカラカラと笑う。
「あーあ…、やはりな。怨念を抜いて“呪具”を作ってやった瞬間のあのヘタりよう。明日明後日には死ぬと思っていたが、やはり、怨念を相手飛ばした時点で天命に見放されよったか…。最近の輩は聞いた事ないのか?〈 人を呪わば穴二つ 〉と…。目の前の欲に駆られて、自身の命を手放すとは…愚か者め。く、くくく…あははは!まぁ、死ぬ前に僅かでも怨みが晴れてよかったな!いやー。いい仕事をした!飯も美味いことよ!」
カラカラと笑う女の子は最後に大好物の玉子焼きを頬張ると満足気に頷き、空箱を乱雑に近くのゴミ箱へ捨てるとパトライトが照らす人集りとは真逆の闇夜に溶け消えていた…。
『ひどい……!なんて酷いこと……!』
その一部始終を見ていた女の子は、ぐっとスカートの裾を握りしめると涙を溜めて、〈 呪い屋 〉の消えた路地裏を睨みつける。
その横顔は〈 呪い屋と名乗る女の子 〉と全く同じ顔をしていた……。
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