22話 隠されていた真実
僕の父、大林漱( オオバヤシ ソウ )はお寺の住職だ。有名なお坊さんではないのだが、その温厚な性格と優しげな見た目が好まれて地元の人々からとても親しまれていた。
そんな父は大きな山々が連なる外輪山の麓に抱かれるように、小さな寺を構え、弟子も取らずに一人ひっそりと暮らしている。
たまに自宅へ様子を見に帰ってくることもあるが、一年のほとんどは寺におり、自身の修業や境内に眠る故人のために読経や写経を行っているようだ。
「境内や寺院内の清掃、質素な食生活など日常生活の一つひとつが自身の鍛練につながる修行の一環だよ、賢治。どうだい?私と今から読経デートと洒落こまないかい?」
「なに、読経デートって。そんな誘い文句で引っかかるのは母さんくらいなもんでしょ」
「ふむぅ……。賢治にはまだ、早かったか……」
いや、本当に引っかかったんかい……。
たまの日曜日に誘われることも多いけど、今のところ僕は共にお経を読んだことはない。
そもそも、寺にはあまり近付きたくないのだ。
『 ーー…!ーー……!ーー……。ーー……!! 』
ー トタリ…トタリ…トタリ…
ー じーー…
ー オオォォォォ……
そりゃそうだ。
寺にはたくさんの《 霊 》が居るんだから。
「そんな僕が、自分から望んでここに来る日があろうとはね……」
『 ーー…… 』
夕陽に染まり始めた階段を見上げながら、僕と《 古城さん 》は息を呑む。
階段を上り切れば、そこに寺の本堂がある。
階段の長さは、距離にして五十メイトルほど。
そんなに長くない道だが、過去に本堂まで辿り着いたことがあるのは片手ほどしかない。
言わずもがな。原因は他でもない《 霊たちの妨害 》だ。
ちらりと、階段の両側へと目を向けると、光も霧散してしまいそうな鬱蒼と茂る林が見えた。
その影の中で沢山の《 霊 》たちが訪れた僕らを興味深く眺めている。
《 霊 》はほとんどが〈 浮遊霊 〉で、とりわけなにか悪いことをしてくることはない。
構って欲しいのか僕を見つけて、からかい半分で僕の周りをうろついたり、背中におぶさってきたりするだけだ。
どっかの〈 首吊り幽霊 〉みたいに引き込もうという明らかな悪意を抱いたものはいないのが救いか。
彼らも、単に構ってほしいだけなのだが、それも度を過ぎれば面倒なことこの上ない。
「ふーーー…。よし、行こう!《 古城さん 》!」
『 ーー…! 』
気合を入れて階段に足をかける。
一段昇った瞬間、周りの霊たちが騒ぎ始めた。
ー ズシッ!
「うっ!?」
『 ーー…?ーーっ!? 』
三段くらい昇ったところで、背中に子供一人分の重みがのしかかってくる。
視ると《 小学生くらいの男の子 》が、背中におぶさっていた。
確か、事故で亡くなった子だったかな?
「はぁー…。やっぱこうなるよね?ここのみんな、僕が視えることは知ってるからなー…」
『 ーー……! 』
“ねぇねぇ!今日は何しに来たの?”といっているように無邪気な笑顔を向けて、《 男の子 》は僕の背中に覆い被さって楽しそうに笑っている。
「今日はお父さんとお話したくて会い来たんだ。できるだけ、体力を温存しておきたいから、体重をかけるのはやめてほしいかな?」
『 ーー……! 』
ー スッ!
僕のお願いに快く頷くと《 男の子 》の重さは消えた。だけどしっかりと、背中には取り憑いているようで、姿はそのままだ。
まぁ、重さを感じなければなんとか登れないこともないか…。
僕は更に階段を昇っていく。
ー ズシッ!
「ちょっ!?」
『ーー…!?』
階段の中ほどまで来たところで、再び重さを感じた。
来るのは分かっていたので、前に重心を預けていたのでなんとか前のめりに倒れることができた。
不意打ちだったら、階段を転げ落ちていたよ!?
「ちょっと!危ないから、急に乗るのはやめてください!」
『~~…ヒック…!~~…ヒック…!』
背中を振り返ると、《 男の子 》の背中に抱きつくように二十代くらいのドレスを着た素敵なお姉さんが居た。
座った目、しゃっくり、左手に一升瓶。
どうやら酒に酔っているようだ…。
『~~…?ヒック…~~…?』
これまた、“あれー…賢治だー?なーにしてんのー…?”みたいに、僕と《 子供 》と《 古城さん 》を見ながら酒を煽っている。
「うわ、酔っ払いが来たし…」
『 ~~~…? 』
昔は有名な夜の蝶だったらしいけど、酒が祟って病死。今も懲りずに浮遊霊相手に、夜の蝶をしているようだ。
ただ、酒癖は…正直、悪い。
「乗るなら、体重をかけないで…」
『ーーー…!!(ぷんぷん!)』
ー スッ!
重いと言われて、プンスカと目に視えて怒った《 夜の蝶 》は体重をかけるのをやめたが、背中から降りることはしなかった…。
その後も…
ー ズシッ!
ー ズシッ!
ー ズシッ!
何人もの浮遊霊たちが興味津々で僕の肩に乗っかって来た。
中には《 霊(人) 》が集まってるのを、お祭りと勘違いしたのか、浴衣姿のカップルたちまで…。
そしてなぜか全員、僕の背中から降りる気配はない。
「もう!ちょっともう!重くしないでって!体重かけんな!こら!誰だ今、お尻触ったの!?この中に変態がいるぞ!?」
『 ーー…… 』
ガチャガチャと煩い連中を連れて、僕はゆっくりとゆっくりと階段を昇っていく。
気がつけば、日はすっかりと落ちていた。
「はぁはぁ!……や、やっと着いた…」
『 (オオォォォォーー!!) 』
ー パチパチパチ…!!
声は聞こえないが、声で震えた大気が波のように伝わって僕の鼓膜を揺らす。
普通の人には風の音のように聞こえると思うが、マスターが聞けばそれは《 沢山の霊たちの大喝采 》だというだろう。
それほどまでに、全身に伝わってくる振動は大きなものだった。
目に視えて皆も、まぁ満足そうな顔してるし。
この見立ては間違いないだろう。
「ははは……。随分と賑やかな気配がしたと思ったら、賢治だったか。今日は何人連れてきたんだい?」
「父さぁーん……疲れたぁー……」
階段を昇りきり、門から見えた境内に父さん、〈 漱住職 〉が苦笑を浮かべて立っていた。
「まぁ、お上がりなさい。皆さんもどうぞこちらに」
「はぁ……。毎回毎回肩こるよ」
「はは。お前は本当に皆から慕われているね」
「単に〈 視える 〉から絡まれてるだけだよ」
父さんの姿を見た瞬間、《 霊たち 》はスッと肩から離れると頭を下げて、境内を各々好きに散策を始める。
中で眠る人々と談笑して楽しんだり、経内の澄んだ空気で寛いでいるようだ。
《 霊たち 》から開放された僕は凝り固まった肩を解しながら、父さんの招く本殿へと足を運ぶ。
途中で、寺で眠っていた《 霊たち 》が何人も僕を見に来ては、何ごとか話しかけて微笑みながら帰っていった。
住職の息子だから、目をかけてくれてるのだろう。
ここの人達は小さい時から知っているためか、いつも親しく接してくれる。
「さっき、室くん(マスター)から連絡はもらったよ」
「あぁ。だから遅くなっても、父さんが外で待っててくれたんだね」
「今日も結構、待たされたよ…。次はこの半分で上がってきてほしいかな」
「それ、僕に行っても仕方ないことだから…」
戸を開けて夕陽の差し込む寺の中に二人、肩を並べて仏像を見上げる。
中は線香が炊かれ、夜に向けて少し早めの火が蝋燭に灯されていた。
開けられた戸に背を預け座り込んだ《 古城さん 》は、静かに僕らを見守っている。
「父さん。僕、知る覚悟はできたよ」
「あぁ……そのようだね。〈 眼 〉が語っている。《 霊 》との接し方に迷っていた頃に比べて隋分と色が良くなった。いいだろう。私の知っていることを話すよ。心して聞くように」
「うん…」
父さんは目を閉じると深く息を吐いて頷くと、お坊さんらしい落ち着いた口調で静かに語り始めた。
「まず、〈 瀬田祐奈 〉さんが“普通の人に見えない”というのは、間違いない事実だ。また、これは室くん(マスター)や灰塚くんのように〈 存在が感じれる人 〉なら彼女の存在を認めることができることから、賢治のただの妄想…“イマジナリーフレンド”でないことも分かる。ここまでは知っているね?」
「うん。小学校の頃まで実際に存在してたわけだし、何よりも最近まで、ユウの存在は〈 解る人 〉にはわかってたみたいだ」
“聴こえる”マスターや“感じる”灰塚は目で見えないながらも、その存在を知っていたようだ。
二人ともユウのことを聞いたときにちゃんと、一存在として認めている節はあったので僕の妄想ではないことは間違いないはずだ。
「では、ここで一つの仮説が生まれる。〈 瀬田祐奈 〉は《 死霊 》なのか?という点だね。だけど、そうとは断言できない事情が実はある。これは、残念ながら私と瀬田さんのご両親しか知らないことだ」
「え?どうゆうこと?」
「此度の件、【 瀬田祐奈の消失 】の始まりは、昨日今日の話ではないということだよ。話しはそう……賢治が小学生の頃まで遡ることになる」
そう言って、父さんは優しくも冷たくも見える仏像を見上げ小さく息を吐いた。
ー 賢治小学四年の頃 ー
耳をつんざく蝉の大合唱。茹だるような暑さの中で、子供たちは暑さもまた遊び友達と言わんばかりに元気に外を駆け回っていた。
ある夏の日の出来事である。
僕は近所の友達と、話によく出る公園で遊んでいた。
何をしていたなど、記憶にははっきりと残っていない。
よく覚えているのは、あの日の理不尽な暴力と嘲笑を混ぜ込んで吐き付けられる侮蔑の言葉だけだ。
それだけ、子供の記憶には印象が強いことが起きた。
僕が対人関係が露骨に苦手になったきっかけといってもいい出来事。まさに、トラウマというものだろう。
「あぁ…。思い出したくない…」
「ゆっくりでいい。今のお前なら、苦くとも咀嚼し呑み込むことができるはずだ。瀬田さんが今までずっと側でかけてくれた言葉をよく思い出してごらん。きっと心が落ち着いてくるはずだ」
苦虫を噛み潰したように顔をしかめた僕へ、父さんは優しく目を細めると安心させるように、背中を軽く叩く。
深く息を吸って吐き出すと、スッと力が抜け頭がまわり始める。
当時の嫌な記憶が鮮明に思い出されてきた。
過去何度もフラッシュバックする度に、頭を振って振り払ってきたものだが今回は違う。
〈 ユウ失踪の真実 〉に辿り着くために、自ら傷口に指を入れてほじくり返すような痛みを胸に伴いながらも真実を掘り起こしていく。
驚くことに、昔ほどの不快感はない。
これもまた、ユウの存在の大きさ故なのだろうか。
「いい眼だね。では一つずつ確認しながら話を進めていこうか。まずは、賢治の記憶からだ。近所の友達と遊んでいた時、不意に上級生の数名が賢治を見つけて絡んできたんだったね。合っているかな?」
「そうだよ。あの嫌な顔、今でも忘れるもんか…」
「心を平静に保ちなさい、賢治…。客観的に物事を眺める眼を養うことも大切だよ」
「うっ……分かってるよ…」
最初は口での侮辱が大半だったが、一人の子供がそれだけでは済まなくなり、ついに手を出してきた。
複数回の殴る蹴るの後、地面に転がった僕を見て、我慢ができなかったのだろう…彼女が…〈 瀬田祐奈 〉が現れたのだ。
「私の知り得た情報ではこの時、賢治と遊んでいた友達の中に瀬田さんはいなかった。どうやら、上級生が現れた時点で危機を察した子が私たち大人に助けを求めに走った道すがら、彼女に出会って事情を話したようだ」
「わざわざ、話を聞いて駆けつけてくれたんだ。ユウはやっぱりヒーローみたいな子だな」
「あぁ…そうだね。誰もが皆、真似できることではない。だからこそ、それがいけなかったのかもしれない」
「え?」
「ここから、“賢治の記憶”と“私の知る事実”との違いを話そう。少々辛い内容になる。心を強く持ちなさい」
「う、うん…」
僕の危機に駆け付けたユウは上級生たちの前に立ち塞がると、両手を広げて仲裁に入った。
しかし、それでも上級生は止まることはなかった。
賢治を庇ったことで、ユウもいじめの標的にあってしまったのだ…。
そして、そのまま…賢治が受けていた矛先がユウに向けられたのだ。
『 ユウが間に入って助けてくれた。いじめっ子たちを倒してくれた 』……なんて、僕は灰塚や周りの人たちに説明していた。
でも、そんなの…そんなの現実的に無理だ…!
小学生四年生の女の子一人が、五六年生の男子集団と喧嘩をして無傷で勝つなど現実的に不可能だ!
「そうだよ。落ち着いて考えれば、普通勝てるわけが無いじゃないか…」
「だけど、瀬田祐奈は立ち向かったのは事実だ。これは、現場を見ていた子が証言している」
「そんな…」
殴られ蹴られ、転けた拍子に膝や肘から血を流しながらそれでもユウは僕の前で両手を広げて立っていたと、目撃していた子はそう証言したらしい。
その鬼の宿ったような目を見て、上級生たちは一瞬怯んだらしい。まるで子を守る獣のような姿に恐ろしさすら感じたそうで皆、次第に戦意を削がれていったそうだ。
「……だけど、それでも止まらなかった者もいた。あろうことか、瀬田さんを押し倒し馬乗りになって、何度も殴りつけたそうだ」
「そんなっ……相手は女の子だよ!?自分よりも力の弱い女の子になんでそんなことができるんだよ!」
「先にも話したとおり、子供であっても、女の子相手に後には引けなかったのだろう。手を挙げたのは、いじめグループのリーダーだったとも聞く。賢治や瀬田さんだけじゃなく、色んな人がその被害にあっていたようだよ」
「そんな、くだらない見栄のためにユウが傷付いたっていうのか…」
悔しさでギリリ!と奥歯が軋む。握りこんだ拳に爪が食い込む程に、僕の腹は煮えたぎっていた。
その手に静かに手が重ねられると、強く握り込まれた。僕の力など、非力だと思えるほどに、その握り込む手はもっと大きく強いものだった。
「落ち着きなさい、賢治。恨み言は全てを聞いてからにしなさい。そうしなければ、真実は簡単に逃げてしまう」
「くっ…!でも……!」
「気持ちは分かるが、今憤ったところで何にもならない。全て過去の話だということを忘れてはいけない。今大事なのは、過去を正しく知り未来に活かすことだ。怒りは不要。必要なのは、物事に左右されない冷静な心だ。深く息を吸い、吐きなさい…まずはそこから始めればいい」
優しく微笑む父さんは、諦めることなく幾度も僕に深呼吸を勧めてくる。
最初は何を言っているんだと、怒り心頭だったがその仏のような微笑みに次第に落ち着きを取り戻していった。
最後に大きく息を吸い、少し溜めて…大きくゆっくりと吐き出すと、心を泡立てていた黒い感情もまたゆっくりと身体から抜け出ていくように感じた。
「すーー……ふぅーー……。うん……頭は落ち着いた」
「ふふ…。あぁ、それでいい。想いの炎まで消す必要はない。想いは人の原動力なのだからね。ただ、その炎に巻かれて振り回されないように気を付けなさい。心は常に水を打ったような静かさを保つんだよ」
「はーい…」
父さんの諭すような声と眼差しが、未だに少し残った僕の怒りを静かに説き伏せていく。
必要とはいいながらも、ちゃっかりと鎮火させようとしているところに少しの可笑しさも感じた…。
落ち着いた気持ちで振り返ると、ここで一つの違和感に気付く。
おかしなことに、誰もが目を覆いたくなるほど悲惨な状況だというのに僕には全くその時の記憶がないのだ。
「でも、やっぱり変だよ。何回思い返しても僕の記憶に、ユウがそんなことになってる記憶がないんだ……」
「瀬田さんが現れた時には、安心したのか気を失っていたらしい。側で見ていた子がそう言っていた」
「なっ…!呑気に寝てたのか…」
降って湧いた疑問も蓋を開けてみれば、なんてことない。
当時の状況が思い出せないのは、僕が情けなくも、その時には気を失っていたからだと。
僕のせいで、ユウが傷付いていたというのに僕は呑気に寝こけていたなんて…。
自分の無能さにほとほと嫌気が差して、怒りとも悲しみともつかない感情で自身の脚を殴りつけた…。
こんなことしたって意味がないのは僕が一番分かっている。
でも、こうでもしないと、怒りと悲しみに飲み込まれて気がふれてしまいそうで仕方なかったのだ。
「……やがて、瀬田さんは手足どころか指一本すらも動かなくなったらしい」
「動かなかったって……それじゃあ、ユウは……!?」
「私と母さんが慌てて駆け付けた時には、上級生たちの姿はなかった。あったのは、気絶した賢治と虫の息だった瀬田さんの姿。そして、全てを見ていた子の姿だ」
ただ……、と父さんは少しの間の後に、僕の目を見て真剣に問いかけてきた。
「現場を見ていた子は近くで両肩を抱いて震えていた。うわ言のように、“化け物”がいたと繰り返していた。詳しく聞いてみれば、賢治と瀬田さんを中心に《 黒焦げのたくさんの手 》が地面から伸びて、それらが自分と上級生たちを捕まえて四肢を引きちぎらんばかりに、四方に引いたというんだよ。実際、その子の手足には何かに握り締められた痕がくっきりと残っていた。……賢治は、何か覚えてないかい?」
「黒い手…ごめん、分からない…。記憶にないよ…」
どんなに思い返しても《 化け物 》の正体は分からなかった。
無意識にユウの危機を感じて《 何か 》と触れてしまったのだろうか?
どちらにせよ…〈 化け物 〉というアダ名の由来はその《 黒い手たち 》が原因ということらしい。
「そうか……。まぁ幸い、今までにその《 黒い手 》が再び接触してくることはなかったようだね。最悪、時間をかけて引き込まれる恐れもあったが、それも無さそうでよかったよ。今後は、そうした存在が手を貸すと言って来ても断るようにしなさい。いいね?」
「う、うん…」
幸いと言いながらも、その顔は優れない。
《 この世ならざるものたち 》に触れれば、ただで済まないのが世の常である。
自身が霊障に侵されるか、または身の回りに災いが降かかるか。
安易に《 手 》を借りるのは自己の破滅に繋がると思っていい。
しかも…“彼ら”に時間など関係ない。
いつ、その代償の取り立てが来るかも分からないのだ…。
父さんの顔が優れないのも、“今までは”無事だったというだけで、必ずしもこれからも安全だとは言いきれないためだろう。
「……ユウはそれからどうなったの?」
「外傷が酷く意識も無かったために、すぐに救急車で病院に運んだよ。その時、彼女には私が付き添ったんだ。賢治は比較的軽傷で気を失っているだけだったので、お母さんに連れて帰らせた」
僕の記憶にも母さんがいた。
見慣れた部屋の天井と心配そうに僕を見下ろす母さんの顔。冷やした濡れタオルで、僕の傷口を脱ぐ痛み。
今でもあの時のことはありありと思い出せる。
あの時から…僕はずっと、『 ユウに助けてもらった 』と公言していたはずだ。
でも、実際は全然違っていて……。
ユウが病院に運ばれたとも知らず、自分はのうのうと日常に戻って、まったく情けないったらない。
「ユウ…...ごめん…。本当にごめん…」
「気を落とすのは早いよ、賢治。話はここで終わりではない。ここまでのことは、単なる序章。むしろここから、〈 今の彼女 〉に繋がるだろう奇妙なことが起き始めるんだ」
「奇妙なこと……そうか。今の話じゃ、ユウはまだ病院に運び込まれただけだ」
「あぁ。すぐにご両親が病院に来られ、事情を説明した。当然、酷く心配されていた。無理もない。心を慮ると胸が痛むばかりだ」
それは無理もないことだろう。愛する家族が危険に晒されたら誰だってそうなる。僕も家族に何かあったら、平静を保つなんてきっとできないはずだ。
「もしかして…僕ってユウのご両親に恨まれてるんじゃないかな?」
「いや……。悲しまれてはいたが、お前を守るために身体を張ったことに関しては誇りを持たれていたし、賢治が無事だったことを知って、二人はとても安堵していた。この親にしてこの子あり。本当に強いご両親だと、私も思わず胸が熱くなったよ」
僕の不安をしっかりと否定するように首を振ると、瀬田ご両親への深い感謝と敬意を表す。
僕はユウだけではなく、そのご両親にも助けられたんだ。
「本当に遅くなったけど、ユウとユウのお父さんたちにお礼が言いたい……」
「感謝の気持ちに期限はない。二人もきっと歓迎してくれるだろう」
目を閉じ、私は何年も同じ気持ちだったと頷くと父さんは微笑みを浮かべる。
しかし、すぐに顔を顰めると改めて仏像を眺めた。
「しかし、感謝の気持ちを示そうにも肝心の当人は消えてしまった」
「 ………… 」
「その次の日のことだ。病院から祐奈さんは忽然と姿を消した。現在も〈 瀬田祐奈 〉は失踪扱いになっている」
「…………え?」
思いもよらない言葉に、僕は上擦ったような声で聞き返してしまった。
失踪?……ユウが失踪していたのか?
え?でも、ユウは《 霊 》で。消えたのはつい昨日の話で……だ、だめだ…。こんがらがってきた……。
「少し、混乱してしまうね。簡潔に言おうか。問題の日、病院に祐奈さんは運ばれ治療を受けた。そのまま回復待つはずだったが、次の日の朝に姿を消したんだ。皆、身を案じていたが、〈霊が視える〉賢治が“瀬田祐奈”が視えていることから、皆、失踪後に“何らかの理由で瀬田祐奈は死亡した”と考えた。ご両親と共に私たちも嘆き悲しんだが、彼女の想いを汲み、我々は賢治を支えることにしたんだ。賢治を悲しませないために、全てを隠すことをお願いしてきたのも…祐奈さんのご両親だった」
「そ、そんなの変だよ。ユウの怪我の原因は僕なのに!なんでそんなこと……」
「お前も人の親になれば分かる。〈 失踪 〉という形にしたのも、“まだ生きている可能性”を捨てきれない〈 未練 〉からだ。同時に、お前を通して元気な祐奈さんの姿を見ることで、ご両親もまた僅かだが救われていたんだよ」
「………僕がユウの依り代だったってこと?」
「ご両親からすればそうともいえるね。見方によっては祐奈さんは〈 守護霊 〉だったのかもしれない。賢治をずっと、心身ともに守ってくれていたのは紛れもない彼女と彼女のご両親の想いに他ならないんだからね」
「……そう、だね」
思えば、僕のためにたくさんの人が支えてくれていた。
たくさんの人の想いが僕を救ってくれていたんだ。
皆の想いに気付けなかった悔しさが心から込み上げる。
のうのうと過ごしてきた自分への怒りが全身を駆け巡る。
皆の優しさを知って温かさが胸に広がる。
皆の期待を感じて全身が震える。
ユウへの愛しさで…胸が張り裂けそうになる…。
「言い得ない気持ちにさせられるね。全て、賢治のための優しさだ」
「うん…うん…。ぐす!……ユウ…ゆぅ……!」
畳に伏せ、ごちゃ混ぜになった想いが溢れでて、畳を描き毟らんばかりに咽び泣く。
彼女に会いたい…。祐奈に…感謝の気持ちを伝えたい…。
いや、もっと単純なことだ。
ユウの笑顔が、また、どうしても見たい…。
「ぐっ……!ぐす!ユウ……必ず見つけ出すよ…。必ず見つけ出す。必ず。何年かかっても。ユウが僕を何年も支えてくれたんだ。それくらい、どうってことない。たとえ《 霊 》だって構わない。僕にはユウは…“大切な人”だから!」
「……あぁ。そうだね。祐奈さんを見つけよう。私たちもできるだけのことはしよう」
顔を上げ、涙を拭い鼻をすすりながら、僕は決意を父さんに告げる。
深く頷いた父さんは僕の手を取ると、僕の決意を応援するように優しく重ね、気合いを込めるようにぽんぽんと軽く叩く。
重みと共に、何か大きなものを託されたようにも感じた。
「さっきも言ったが、瀬田さんは《 死霊 》である可能性があるという範囲で留まっている。〈 失踪届 〉は出されているが、幸か不幸か、ご遺体はまだ発見されていない。〈 生きている可能性 〉は十分にあるんだ」
「でも、僕には《 ユウの姿 》が視えてるよ?」
「賢治……。はぁ~……賢治……これだから、賢治は……はぁ~~~」
「なんだろう。今までの感謝の気持ちを返してほしいくらいに腹が立ってきた…」
頭に手を当て、深々とそれはもう深い深いため息を吐いて父さんは僕を見る。
ガッカリを通り越して、ガックリという言葉が相応しい程に落胆した様子の父さんは僕の肩に手を置いて、開かれた戸を指さした。
「修行が足りないな、賢治。今から階段を百往復しなさい。御百度参りも兼ねて、上がってきたら仏様に手を合わせ、“祐奈さんが無事に発見できるよう”に心から祈りなさい。それが終われば、私の辿り着いた結論を教えよう」
「え゛ぇっ!?」
「ほら、夜の気配も強まって来ている。急げ賢治!丑三つ時までには、終わらせなさい。悪鬼羅刹が跋扈する前に!」
「ぇえええ何でぇええ……!?」
「よーい!ドンッ!《 霊 》の皆さんも聞いてましたね?お手伝い願います!」
「えっちょ!?」
『 ーー…! 』
父さんが気合いを入れるように背中を叩くと、背後ににっこりと笑った《 古城さん 》が立っていた。
「ふ、古城さん?」
『 ーー……!(にこーっ!) 』
そのまま僕の手を取ると、寺の外へと案内する。
外では寺で眠っていた《 霊 》たちと寺の周りを住処にしている《 浮遊霊 》たちでごった返していた。
十や二十どころではない……。
気配だけなら、百人はいそうだ。
ー オオオォォォ……!!!
皆、やる気満々、期待に満ちた目で僕を見ている。
これは、あれだ…。端的に言って逃げ場なしという状態だろうか?
「え、ちょっ、本気?僕、すぐにでもユウを探しに行きたいんだけど…」
「今の賢治では、見つけられない。お前は大事なことを忘れている…。残された可能性を見落としている。それを見つけるまでは、ここから出さないよ?」
「と、父さあぁーん……」
「さぁ!始めよう!〈 恩人・祐奈さんのために御百度参り 〉!」
ー オオオォォォオオオォォォ……!!
寺から声を張り上げる父さんに答えて、《 霊 》たちも祭りのように歓声を上げると拳を高々と掲げる。
霊たちの声は聞こえずとも、大勢の声で震えた振動が大気を揺らす。ふいに強く吹いた風に、大勢の声が聞こえた気がした。
「うむ!今日は満月!絶好の修行日和だ!はっはははっ!」
実は我が父は年中、寺に籠って修行に明け暮れているせいで、修行となるとストイックになってしまった残念系父である。
修行スイッチが入ると、途端に仏のような大らな性格から一変、格闘選手のように熱い…否、暑苦しい男になる。
「あー出た出た…。修行バカ…」
「〈 鬼百度参り 〉に変更!!」
「御・二百度参り!?鬼!鬼いぃー!」
「喝ッ!!修行が足りない!!そんなでは、祐奈さんのご両親に顔向けできないぞ!」
「ぐっ!?そ、それは卑怯だよ!」
「分かったら、走れ!賢治!〈 瀬田祐奈 〉を見つけるために!」
「くうぅぅぅ~~…分かったよぉーっ!」
こうして、僕は何故か〈 ユウの失踪事件 〉を解決するために強制イベント〈 鬼!百度参り!(御・二百度参り) 〉を敢行する羽目になってしまったのだった…。
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