17話 マスターの箱

ちなみにもう一つの気になることについて……。



「この箱って……」


「えぇ、伝えた通りよ。“悪いモノ”が憑いていたから祓っておいたわ」


「は、祓った……?」



灰塚から事情を聞いて、木箱を両手で持ったままマスターは目を丸める。

木箱を祓ったってことは、そこに憑いていた霊も祓ったってことだ。


ということは……マスターの探していた《 子供の霊 》は……。



「あー……てことは、《 子供の霊 》は祓われちゃったてことかな?」


「そうなんじゃない?視たところ……《 子供の霊 》は憑いてないみたいだし」


「わ、私の座敷わらしちゃんがー!!」



箱を抱えて、さめざめと涙を流すマスターに僕らはかける言葉が見つからなかった。

一人、祓った灰塚は小首を傾げると腕を組んで僕らを見る。


なんのことか分からないといった様子だ。

祓った本人が分からないとかあるのだろうか?

って、あぁそうか。


灰塚は〈 祓い屋 〉だけど、霊の姿も声も〈 視えない・聴こえない 〉だったっけ。


ただ、霊の発する気配は感じれるみたいなので、〈 霊感ゼロ 〉というわけでもないらしい。



「賢治、説明してくれないかしら?」


「え?あ、うん。前から、この店には《 子供の霊 》が出るらしくて、その子がいなくなったら探してほしいって依頼が〈 父さん伝 〉に来たんだよ」


「漱(そう)さんからの依頼なのね。ということは、“お家”絡みかしら 」


「さぁ?それは知らない」


「そう……。〈 座敷わらし 〉というのは?」


「なんか、霊が側にいると調子がいいんだって。《 子供の霊 》だし〈 座敷わらし 〉だったんじゃないかって……マスターが言い出して……」



霊がいて調子がいいとか、聞いたことがなかったので初めは驚いたが……よく考えれば、僕の肩に乗っかってる《 古城さん 》が来てから〈 人ならざるもの 〉から接触される機会も格段に減った気がする。


それでも多いように感じたら、それは誤解だ。

これまで僕は語っていないだけで毎日、多くの霊に遭遇していたからね。


今では《 古城さん 》が睨みを効かせてくれているおかげか、接触してくるのは《 取り分け存在が強い霊 》くらいになっている。


あの、強制的に祓われた《 大口を開けた男 》とかね。


つまり、マスターの言っている霊もそんな〈 守護霊 〉的存在なのだと勝手ながら思っていたけど……まさか、人知れず祓われてしまっていたとは……。




「《 子供の霊 》?とんでもない。その箱に憑いていたのは〈 呪詛 〉の塊よ?それはそれは強い《 怨念 》が感じられたわ」


「え、呪詛?」


「えぇ。箱の中は一見空だけど、底に板がはまっていてね。それを剥がすと、中から“指”と“髪”が出てきたわ」


「「指と髪!?」」


「恐らくはこの中の“物”に呪詛をかけていたんでしょうね」



箱を受け取り、皆の前で板を取り外す。

中には古びた和紙だけが、取り残されていた。


和紙の中に指と髪が包まれていたらしく、今はお焚き上げをして残っていないそうだ。


「マスター。この中身ってなんだったんですか?」


「それは分からないんだ。大きさから壺や置物かと思ったんだけど、店にも家にもそんなものなくて」


「それなら、うちで祓った物ね。お爺様は几帳面な人だったから過去に祓った物を記録していたの。その中に、この店からお祓いを依頼された物があったわ」


「父さんかな?知らなかったよ」


「青磁壺だったらしいわね。覚えはないかしら?」


「あー。言われてみれば、小さい頃にそんなのを見たような……」



ー カタカタ……



「ん?」



ー シン……



皆が話している時に、何か箱から音が聞こえた気がした。気になり目を向けると、すぐに音は消えてしまう。


皆は気づかなかったのか、壺の形状や特徴を話していた。



『「…………」』


ー ズ、ズズ……



僕と《 古城さん 》だけが箱を見つめていると、上から被せられていた蓋が独りでに浮き上がってきた。


中から……ゆっくりと“白い指”が一本出てくると、まるで外に出ようともがくようにカリカリと箱の縁を掻きむしり始める。


ー カリ……カリリ……


それがやがて、一本や二本と増え始めると、気が付けば上から開く蓋を押し退け、数十もの指が縁を引っ掻いていた。


ー カリカリ……カリカリ……カリカリ……


女とも子供とも、大人とも男ともいえる沢山のたくさんの指が箱を掻きむしっていた。


ー カリ……カリカリ……!カリカリ……!


そのおぞまきさといったら、思わず背筋が凍りそうなほど。



「(え?え?ええぇーー……?)」


『ーー!?ーー……!?』



二人で顔を見合わせ、箱と皆を見回しているが、誰もその不快な音も異常な箱の蓋の動きにも気づく様子はない。



ー ガリガリガリガリ……!ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ……ガリッ!



「ちょ、ちょっと、灰塚!?」



ー ズッ!



指はやがて出るの諦めたのか、示し合わせたように一斉に中へと引っ込んでしまった。



「ん?どうかしたの?賢治」


「え、えー……(あ、諦めたのか……?)」


『 ーー…… 』


「真っ青よ。大丈夫?」



二人で静かになった箱を眺めていると、灰塚は黙り込んだ僕らの様子が気になったのか小首を傾げる。



「えーっと、あの……灰塚。この箱って、お祓い終わってるんだよね?」


「えぇ、終わっているわよ……?何か視えるの?」


「う、うん?うん、うーん……。いや?なんでもない。気のせいかも」



僕は箱と灰塚の不思議そうな顔を交互に見ながら首を振ると、また、カタリ……と箱から音がした。


見ると、蓋がまた浮いていた。


またかと、今度は恐る恐る、空いた隙間から何を覗くと何かがキラリと光って見えた。


その《 何か 》。


僅かに開いた箱の蓋から、二つの眼がじっとこちらを“見ていた”。



「うっ……!?」


『 ーー……!? 』



仰け反るように、僕らは箱から離れると灰塚に目を向ける。



「……祓えてないよー!?いるよ!まだいる!」


「えぇ?祓ってるわよ。ほら……」



おもむろに手を伸ばし、灰塚はパカリ……

中を見せるように開いて見せた。



『「うっ……!?」』


『 ーー……! 』



何も無い……?そんなことはない。


あった。そこには箱にすっぽりと収まった“あたま”が箱の中から、叫ぶ僕らを見上げて睨みつけていた!



ー ガリガリ……!ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ……!



木の箱を指で引っ掻くような音が周りに響き渡る……!


ー ガリガリ………!ガリガリガリガリガリガリ!!



「ひぃっ!?」


「どうしたの?賢治?」



この音が聞こえていないのか?

皆、驚愕する僕を心配そうに覗き込んでくる。


僕はたまらず、さらに数歩後ずさるとまるで僕らを追いかけふてくるように、《 生首 》は箱からゆっくりとその姿を覗かせ始める。


カッと見開かれ血走った目玉が僕と《 古城さん 》を見つめている。


箱の縁には無数の指がかかり、ガリガリと音を立てながら外に出ようともがいている。


まるで箱から這い出でようとしているようだった。



ー ガリガリガリガリガリガリ……!!

ー ぎょろっ!ぎょろっ!ぎょろっ!



見開かれた目玉だけが四方を見渡し、引っ掻く音が響く度に、あたまがゆっくりと浮き上がってくる。


目玉、そして鼻筋、鼻の頭、ほほ、そして……唇が見えた時……僕はまた息を呑んだ。



「っ……!?」


『ーー……(ニタリ……)』


「賢治?大丈夫?」



その口は大きく釣り上がり笑っていた。


たまらず、目を離した僕は勘弁してくれ!と叫ぶが、当然ながら《 怨念 》は聞いてもくれない。


じわりとじわりと箱から出てくると、ついに『ボトッ!』と箱から生首が転がり出てきた。



「で、でたぁ!?出てきたぁ!」


「何が出てきたの?賢治」


「首!首だ!首!女の首とたくさんの指!指!ゆびぃー!」


「あぁ、なるほどね……。〈 視えてしまっている 〉のね」



寄ってきた灰塚の腰に、救いを求めて縋り付くと、今見えているものを事細かに説明する。



ー ガリガリガリガリ……!



生首はゆっさりゆっさりと頭を揺り動かすと反動で起き上がってくる。

そしてついにその全体像が僕らの前に姿を表した……。


女性の頭と、首から下に無数の手が繋がった……まさに《 異形 》が目の前に“立っていた”。



『 ーー……! 』


ー ペタリペタリ……


まるで手の平で歩くような音を立てて、生首は手を地面について近づいてくる。


ー ペタリ、ペタリ……



「ま、まさか……これが《 子供の足の正体 》なのか?」



『 ーー……! 』



「笑ってるように視えるってことは、《 子供の声 》の正体もこの《 怨念 》なの!?」



全てがわかった瞬間、ゾッと身の毛がよだち、背筋を冷たいものが流れる……。



『 ーーー……!! 』


ー ペタッ!ペタッ!ペタッ!


僕の恐怖が最高潮に達した瞬間、《 生首 》は勢いよく駆け出した!



『 ーーー……!! 』


「うわああぁー!?く、くるなあぁー!」



恐怖に戦き、灰塚の腰に強く抱きついていると不意に肩を捕まれ引き離される。

目の前には困った顔の灰塚。

その顔が、にこりと笑った瞬間……



「ふぅ……。賢治?」


ー パーーンッッ!


「…………へっ?」



《 異形 》が目の前に飛び込んでくる瞬間、灰塚は小さく息を吐くと僕の名を呼んで頬を全力で引っぱたいた!


乾いた音が喫茶店に響き渡る。


頬がヒリヒリと痛む。

目の前では、僕の胸ぐらを掴んだ灰塚が無表情で見下ろしていた。


なぜ引っぱたかれたのか分からず、目を白黒としていると一言……



「痛たたた……」


「目は覚めたかしら?」


「え?」



見ると皆、心配するような顔で僕を取り囲み見下ろしていた。


「大丈夫?貴方、箱を開けてみせた瞬間に突然倒れたのよ?」


「えっ?倒れた?僕が?」



見れば、箱の蓋はしっかりと閉まっており、中から何か這い出してきた様子はない。


祓えたという証明のために見せてきた、あのタイミングで気絶したのは間違いないだろう。



「ということは、全部夢だったってこと……?」


「全部、夢ならよかったのだけどね」


「え?」



灰塚は僕の手を取ると、その指を撫でる。

ズキリと指が痛むので、見てみると指に血が滲むほどにくっきりと歯形が……。



「な、なにこれ……」


「賢治の歯形よ。自分で噛んだの」


「ぼ、僕が?」



気絶した僕だったが、しばらくして目を覚ますと『来

るな!来るな!』と叫んだ瞬間、自身の手を口に押し込んだという。


そのまま……自身の指を噛みちぎらんばかりに、歯を立てたそうだ。


このままではまずいと思った灰塚が、咄嗟に強く頬を叩くことで意識を呼び戻したらしい。



「痛っ……」



指は赤く腫れて血が滲み、頬は強く叩かれたことで熱を帯びていた。



「よかったわ。意識が戻って」


「ご、ごめん。何がなんだか」


「大丈夫よ。まずは綺麗にしましょう」



灰塚はマスターからおしぼりを借りると、僕の手を取り優しく拭きあげる。


冷たいおしぼりのおかげか、痛みが幾分か和らぎ見た目もマシになった。



「大丈夫、大丈夫……」と囁く灰塚の声は優しかったが、その手は少し震えていた……。


「それで、何が視えたの?」


「あれ?あぁ、そうか。箱の中を見た瞬間には倒れてたから、伝えてなかったか」


「そうね」


「僕が視たのは《 無数の指 》と指と繋がった《 女の生首 》だった」


「そ、想像ができないんだけど……」


「こんな見た目だったよ……えっとー」


「描こうとしてるのなら、やめときなさい。“想像の枠”を外れた瞬間、《 呪詛 》は実体を持って襲ってくるわ。今日、皆が安眠できることを願うなら、イメージを伝える程度で留めておくべきよ」


「呪いって、そういうものなの?」


「そういうものよ………」



ユウに聞かれ、ペンを借りようとジェスチャーを交えて四方を見ていると、やんわりと灰塚から止められる。

それを聞いた皆は、全力で首を横に振ると『話程度にしとこう』と強めに念を押された。


苦笑を浮かべて頷くと、若干簡略的に詳細を省いて皆へと視たもの伝える。


それだけでも皆には十分だったのか、背筋に寒気を覚えたように身を震わせた。



「え、えぇー?そんな《 生首 》が私の足元を彷徨いていたの?普通に怖いんだけど」



マスターは《 子供の正体 》といわれ、さらに青い顔をしていた。



「女の首……無数の指……壺……。ふーん。なるほどね。あの壺は、まさに〈 呪いの壺 〉だったわけね。ふふ……おもしろいじゃない」




灰塚は口元に指を当ててしばし考え込んでいたが、答えがわかった瞬間、小さく含み笑う。

また、《 霊や呪い 》の話となると楽しそうにするね、君は。

そこはどうにも、共感しがたいところだよ。



「何か分かりましたか?“祓い屋さん”?」


「えぇ……。まず、賢治が視たのは《 呪い 》で間違いないのだけど、いわば、《 呪いの残滓 》のようなものよ」



教室で視たでしょ?と、天井を指さす。


あの時に視たのは、天井一面の血の痕と手形だ。

〈 強制的除霊 〉に抵抗してできた痕跡だったと思う。



「え?でも、あの時は、これほど〈 生々しいモノ 〉は視えなかったはずだよ?ましてや、襲ってくるなんてなかった」


「種類の話よ。“残滓”……残りカスという点では合ってるわ」


「の、残りカスって……」



あんまりな言い草に、思わず苦笑を浮かべるが灰塚にはその程度の認識なのだろう。結局、訂正することはなかった。

いつか、この子はバチが当たりそうだ。



「〈 呪いの本体 〉は中に入っていた“壺”の方。この箱は、その呪いを増幅するために用意された〈 呪いの増幅器 〉のようなものよ。まだ、箱の中に《 怨念 》が残っていたのでしょうね。この“和紙”にでも、染み付いていたのかしら……ふふ!」


「笑い事じゃないぞー、灰塚。危うく、僕は指を無くすところだったんだ。僕じゃなくても、マスターがそうなってたかもしれない」



〈 呪い 〉が発現したのがこの場だったからよかったものの、もしも皆が帰った後に、ここでマスターが同じ目にあっていたらどうなっていたことか。


きっとその時には、助けなどなかったはずだ。


これは、〈 祓い 〉をし損じたのと同じなのでは?と灰塚を見ると口角を上げて鼻で笑われた。


まったく、腹立つ顔をしてくれる……。



「大丈夫よ……」


「だから、その根拠のない大丈夫は」


「賢治ほど強い〈 霊能者 〉はそうそういないわ。賢治の強い〈 霊力 〉に反応して〈 呪い 〉は出てきたのよ。本当なら、一晩置いておけば“残滓”も霧散していたはずなのにね。まったく……。霊能力が強いのも考えもだわ」


「(なぜか僕が責められてないか……?)」



つまり、彼女に言わせれば今回のことは本来なら起きるはずもなかった不運な事故だということらしい。



「…………いやいや!納得できるか!“かもしれない”が大事なんだよ!霊が祓えていないかもしれない!大林賢治が霊障を受けるかもしれない!マスターでも危ないかもしれない!」


「あーあー。あれ?耳が聞こえないかもーしれーなーい」


「やっぱり僕、お前のことキライかもしれない!!」



僕らのやり取りを皆は苦笑を浮かべて見守る。


とりあえず、これで〈 マスターのお願い 〉は片付いたわけだけど、ここでおかしな点があることに気付いた。


そう。《 子供の声、足音 》の正体はわかったのだが、肝心の「霊がいると調子がいい」という点である。



「灰塚。これって、〈 呪い 〉が絡んだ話なんだよね?」


「えぇ、そうね?」


「〈 呪い 〉で“調子が良くなる”なんてことあるの?マスターは“調子が良くなる”から探してほしいっていってたんだけど」


「ふふ……。それが〈 呪い 〉の怖いところよ。呪いと祝福は表裏一体なの。今は良くても、そのまま《 呪い 》と一緒に居続けたらやがて、相応の不幸が訪れていたわよ」


「……た、たとえば?」


「保険って、大切よね……。私も見直そうかしら」


「え、ちょ、ちょっと!?それってどういうこと!?」



ふふ……と笑みを残し、灰塚は僕の手を取ると出口へと誘う。


チラリと灰塚は時計確認すると、外へと繋がるドアを開いた。


あとに残されたマスターは頭を抱えて、箱と店を見回していた。


保険といっても種類も様々。保険料増額は免れないだろう。

まぁ、〈 人ならざるもの 〉に頼ろうとした結果だ。

勉強代と思って、今回は身銭を切ってもらうほかない。



「帰りは送っていくわ。私が側にいる方が、《 霊たち 》は寄ってこないから」


「え?でも、灰塚は?」


「私は大丈夫よ。〈 祓い屋 〉ですもの」


「それは《 霊 》ならって、話でしょ?普通に〈 変質者 〉が出たらどうするんだよ。夜道を女の子一人じゃ危ないでしょ?」


「…………うぅ!賢治からそんな言葉が聞ける日が来るなんて」



感激したように大袈裟なジェスチャーを交えて、涙を拭う灰塚。


でも、その顔は無表情なのよ。それはそれは、こちらの心配が冷めるほどの見事な泣き真似なんですよ。


僕の心配を返して欲しい。



「結構、余裕そうだな」


「余裕よ。迎えが来るように手配しておくつもりだから」


「家族の人?こんな時間に呼び出して大丈夫?」


「んー……家族ではない、と言ったら?」


「え?まさか、彼氏?」


「ふふ……冗談よ。賢治以外に、興味はないわ」


「なんだ、冗談か」


「でも、家族ではないのは本当」


「本当なの!?」


「えぇ……」



僕らはそれから自宅まで、色々と話をしながら帰って行った。


小学校の頃、中学の頃。僕を守るためにどんなことを裏でしていたのか気になったので聞いてみた。

始終、驚いたり呆れたり、少し笑ったりしながら、気が付けば家の前に来ていた。


家の前には〈 黒塗りの車 〉。


灰塚家の家紋が入った高級車だ。

今どき、こんなものがあるなんて驚きだ。


「あれが迎え?」


「えぇ……。家族ではないわ。うちで働いている人よ」


「想像の斜め上を軽く行くねキミは……」


「ふふ……。それじゃあ、ここで。今日は楽しかったわ、賢治。またね」


「あぁ、うん。また」


「おやすみ、賢治」


「おやすみ、灰塚」



自然に発せられた言葉に、考えることも無く自然と返した。


灰塚は小さく微笑むと、軽く手を振り黒塗りの車へと乗り込んだ。


まさか、「おやすみ」を言い合う仲になるとは。

あれだけ二人の間には歪んだ過去がありながら、気付けば肩を並べて帰っている。


不思議な〈 縁 〉もあるもんだな……と静かに離れていくテールランプを複雑な気持ちで眺めていると、隣にいたユウが手を引いてくる。



「ケンちゃん?中入らないの?」


「そうだな、帰るか」


「うん!それじゃ!私も帰るね!」


「あ、そうだ。明日のことなんだけど」


「ん?」


「約束はまだ有効だよね?」


「……うん。明日、休みだもんね。それじゃあ、お邪魔させてもらっちゃおうかな!」


「うん。待ってるよ」



ユウは少し照れくさいのか、にっこりとはにかむと頷いてみせた。


ユウの家は近所だ。

さすがにすぐお隣なんて、幼なじみテンプレはここには生きておらず少し行った先にある。


まぁ、目と鼻の先ではあるので心配はいらない。



「送ろうか?」


「いいよ。いつも通りで」



ユウは軽快な足音を響かせ、三件ほど隣の家へと向かって駆け出す。

門を通り、玄関に立ったところで人感センサーに反応したランプが着いた。


しばらくして、ライトが消える。


中に入ったのだろう。


ライトが消えたことを確認した僕は、自宅へと入る。



「賢治さん……?遅いおかえりですね?」


「ごめんなさい……」



玄関先では、母さんが目を釣り上げて僕を見下ろしていた。


さぁ!夜遅くの帰宅!父上の依頼とはいえ、勝手に家を飛び出した僕。


今から長い長い、お説教を頂戴することになるだろう。


灰塚さんいわく、幸と不幸は表裏一体らしい……。


臨時収入の等価にしては割に合わないなー、と思いつつ母さんの鬼のような睨みに身を震わせるのだった……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る