第2話 みえないユウナさん

翌日、クラスは進路の話題で盛り上がっていた。

さすがに小学校ではないので堅実な内容が多いようだ。


具体的な人生プランが決まっている者も多く、進学先の大学の話や希望する就職先などを話す声もチラホラ聞こえた。


かくいう僕も、漠然とながら目標……『時間に余裕のある生活』がある。語る相手はいないが、進路希望の紙を眺めて頭を悩ませていた。



「私はケンちゃんのお嫁さんになろうかな?」


「いや、結構です」


「なんでよ!?幼なじみでしょ?そこは『まぁ、貰い手がなかったら僕が貰ってやるよ。』くらい言ってくれてもいいんじゃない?」


「いや、結・構・です」


「コイツ~!腹立つな~!」



もう一度、今度ははっきり告げるとユウは頭を抱えて髪を振り乱すほどに地団駄を踏む。



「僕は将来、趣味三昧の生活を送りたいって再三言ってるでしょ?自分のために時間が欲しいのに、人生の半分を人に捧げる選択なんて絶対にしない」


「く~~っ!ばぁーーかっ!」



見るからにお怒りムードのユウナさんは、ズンズンと女子グループの方へと歩いて行った。


「なんで、そんな怒るんだよ……。まったく」


『 ーーーーーー 』



そんな僕を見下ろす《女の子》。

そのなんとも言えない、物悲しい視線が僕に刺さる。


相変わらずの『やぁ!』と片手を挙げた姿勢が、隣にいて気になる。こんなに存在感があるにも関わらず、クラスの誰も不審がる様子はない。


やはり、この女の子は《幽霊》と呼ばれる存在で間違いないのだろう。


だが、それが分かったとしてなんになるのか。

僕は除霊やお祓いといった類の知識は皆無なのでできることも無い。


ただただ、無言の時間が過ぎるばかりである。



「(怖い、とかいうのはとっくの昔に感じなくなってるんだけどさ。視えたら視えたで、邪魔なんだよね。視界に常に入ってくるのが煩わしいというか、なんというか。こっちの言葉が聞こえているのかも分からないし)」


『 ーーーーーー 』



《女の子》はただただ、僕の隣に立っていた。

特に何かしてくる様子もない。怨み妬みで取り殺してくるなんて話もあるが、今のところそうした様子はなかった。



「(まぁ、無害だからいいんだけどね…。気が付いたらいなくなってるかもしれないし)」


『 ーーーーーー 』



気持ちを切り替え、進路希望調査用紙をファイルにしまうと次の授業の準備を始めた。


「ん、んんー……」



眉間に皺を寄せて、板書されている文章を見ていた。


何年もやってきたことだが、今日は板書を写すという作業がとても難しく感じていた。いやむしろ、諦めの境地といってもいい。


前の人の身長が大きくて見えないわけではない。

光が射して見えにくいわけでもない。


ましてや、後ろの方の席にもかかわらず、ゲーム三昧の日々を過ごしていたせいで視力が落ちた訳では決してない。


原因は前を見れば明らかだ。



『 ーーーーーー 』



誰にも見えない女の子が黒板の前に堂々と立って、俺に向けて『やぁ!』と手を挙げているせいだ。



「(やぁ、じゃないんだよ!君がそこに立ったら、見えないんだよ!黒板が!他の人は見えないからいいけど、僕には君の姿がハッキリバッチリ見えてるから、その向こうが見えないんだよ!)」



恐らく、今回の話の山場となる肝心の場所が女の子によって隠されていた。なんたって、黄色の文字に加えて二重線まで引いているのが、女の子のシルエットの隙間から見えるのだ。


あれは絶対にテストに出る場所だ!



「(頼む!一瞬でいい!そこ退いて!)」



祈るように、女の子に手を合わせると想いが通じたのか女の子の姿が薄くなったように感じた。



「(お、想いが通じたのか!?ありがたい!)」



やっと見えた文字をノートに写すと、ほっと胸を撫で下ろし顔を上げる。



『 ーーーーーー 』


「っ!?」



顔を挙げた僕の目の前には、音もなく近付いてきた女の子が立っていた。


思わず、声を挙げそうになるのを必死で耐えて女の子を見上げる。


相変わらずの虚ろな目で僕を見下ろしていた。


近過ぎる上に、さらに食い気味で僕を見下ろしている気がする。


ほら、少し机に身体がめり込んでるし。



「(ぐぬぬっ!話の分かるやつかと思った僕がバカだった!一度、安心させてから距離を詰めて来るとは。完全に脅かすつもりで来てるよねそれ!)」


『 ーーーーー 』



素知らぬ顔で僕を見下ろす女の子を睨みつけると、グツグツ煮えたぎる怒りに拳を握り固める。



「(そっちがその気ならいいだろう…フフ…。とことん無視してやる!)」



小さく含み笑うと、女の子の脇から黒板を覗き見る。

すかさず記憶した板書をノートに書き込んでいく。


『 ーーーーーー 』



女の子はそんな僕を呆然と眺めていたが、しばらくすると覗き見ていた方へ、スッ……と移動してきた。



「(こいつ、移動してきた!?なら、反対に!)」


ー スッ…


「なっ!?」



塞がれた視界。僕はすかさず反対から顔を覗かせると、また女の子が横にズレてきた。


完全に邪魔しに来ている!



「(こ、こいつぅ~!)」


『 ーーーーーー 』



右左左右右……と、フェイントを交えながら交互に女の子越しに黒板を盗み見ていく。


そんな二人の攻防は終業の鐘がなるまで、延々と繰り返されていた……。


「はぁはぁ…。か、勝った……」


『 ーーーーーー 』


シャーペンを握りしめ、書写の終わったノートへと突っ伏す。


そんな僕を見て、《女の子》は少し不満そうな顔を見せるとスーッ…と机の前から姿を消した。

いや、気配はある。きっと僕の背後に立っているのだろう。



「お、大林くん…体調悪いの?汗だくだし、顔赤いよ?」



肩で息をしていると、隣の席の錦野くんが心配そうな顔で見ていた。


そりゃそうだよね。体育でもないのに、こんな見た目になってたらそう感じても仕方ないよね。



「は、ははは……いやごめん、違うんだよ。最近、ゲームのし過ぎか目が悪くなってる気がするだけで。なんだか少し、今日は黒板が見えづらくてさ。うるさくして、ごめんね」



とりあえず、その場しのぎの苦しい言い訳をしてみる。正直、後半は意地になっててどんな動きをしていたか分からなかった。きっと、下手なダンサーみたいに変な動きになってたんじゃないかと思う。



「そうなんだ。確かに、あの先生の字って少し小さいよね。それに、ギュッとしてるし。前の人にお願いして席変わってもらおうか?」


「いやー……そこまではいいかな。今のところ、見えないのあの先生だけだし。いよいよダメそうなら、眼鏡を買うよ」


「そうだね。それがいいよ。もしも席が変わる必要があるなら、俺も一緒にお願いしてみるからさ。遠慮なく言ってよ」


「まるで、仏様だな。ありがとう」


「はは!大げさだなー」



錦野くんの気遣いに感謝の意を込めて拝むと、小さく苦笑して錦野くんは次の授業の準備を始める。



ーーーー……


その後も女の子の霊はベッタリと僕に張り付いていた。

嫌がらせか、はたまた構って欲しいだけなのか。


第二ラウンドだと言わんばかりに、尽く僕の邪魔をしてきた。


黒板の前に立ち、机の前に居座り、ノートの上に生首を置く。


(物を透けることができることを知ってか、机の下からニョキリと首だけ出てきた……)


突然の生首登場には流石に立ち上がって驚いてしまった。


結局、授業ノートは白紙に近い状態で終えた。


後で誰かに見せてもらう他ないか……。

お代が高くつきそうだが。


そんな中、一日で一番大変だったのは、体育の時間だったかもしれない。


サッカーボールがこちらにパスされた瞬間、あろうことか目の前に『やぁ!』と女の子が飛び出して来るのだ。


邪魔でしょうがない。

おかげで、ただでさえ苦手なサッカーが輪をかけて下手っぴなプレーになってしまう。



「あぁ、もう!ごめん、みんな!今日ダメみたい!」


「ドンマイ!ドンマイ!そんな日もあるさ!」


「ありがとう。(はぁ……今日は大人しくしとこう。それにしても、みんな優しすぎる。かえって、その優しさが胸に痛いけど)」



申し訳ないので、チームの迷惑にならないように離れた場所に立って、試合が終わるのを待っていた。

皆もそれに気付いたのか、故意にボールを渡して来ることは無くなった。



「本当に申し訳ない……。始まったばかりで、この体たらくって……」



チラリと時計見た時だった……



「あ、大林!ボール!」


「え…?あ……」



突如掛けられた声と風を切るボールの音!



『 (…やぁ!) 』



そして、そこに被さるように現れた女の子!



「ちょ、見え…〈 ボコンッ! 〉…がっ!?」


『 (っ……!?) 』



「「大林くん!?大丈夫!?」」


「内牧!保健室!」


「は、はい!」



僕は為す術なく、蹴りミスで飛んできたボールを顔面で受け止めてしまった!


皆が駆け寄り、僕の様子を確認している。


ズキズキと痛む顔と、たらりと鼻から垂れる生暖かい嫌な感触。そして、口に入った鉄のような味。

見て分かる症状に皆が心配そうに覗き込んできた。



『 っ…… 』



そんな皆の心配の声よりも、僕はその時〈 女の子の驚いた顔 〉が酷く頭に残っていた……。


その後、保健係の内牧(うちまき)くんに肩を貸してもらい保健室へと向かう。


止血用にティッシュを鼻に詰め氷嚢で鼻の頭を冷やしてベッドに寝かされる。


先生に流れるように治療を受けると、安静にするように言いつけられベッドへと寝かされた。


次の授業まで休んでいていいらしい。


僕は氷嚢を鼻に当てながら、枕元に視線を移す。


そこには、『やぁ!』と手を挙げた女の子がいつもと変わりない顔で僕を覗き込んでいた。


目線は僕の目を見ておらず、鼻頭を抑えている氷嚢を見ているようだった……。



「すっごく痛い……。恨むからね」


『 ーーー 』



恨みやつらみをもって現れる幽霊に対して、恨み言を呟く日が来るとは思わなかった。


我ながら変な話だと苦笑していると......


『 ーー…… 』


女の子は氷嚢を抑える手にそっと手を重ねてそのままスーッ...と姿を消してしまうのだった。


消える瞬間の彼女の顔はどこか『申し訳なく思っている』ように感じた……。


消えた姿を探すように、くるりと目を回すといつの間にか部屋に入って来ていた幼なじみが扉の前に立っていた。


いつも見せてくれる元気な笑顔はなく、どこか悲しげな表情で僕の顔を見つめ返していた。



「あれ?授業は?女子はバスケじゃなかった?」


「……私、運動できないから、居てもいなくても同じだし」



それだけ告げてベッドの横へとやってくると、辛そうな顔で氷嚢を見ていた。


どこか、先程まで隣に立っていた女の子と表情がダブって見えた。



「痛い?」


「うんん。血も止まったし、大丈夫。たぶん、他のことに気を取られて反応が鈍かったから、余計に心配かけて寝とくように言われただけだと思う」


「他のこと?」


「……まぁうん。大したことじゃないよ」


「……オバケ、でしょ?」


「ん?」



ユウは僕の顔を覗き込むと、氷嚢を抑える手に自身の手を重ねて眉を潜ませる。



「昨日から様子がおかしいと思ったんだ。着いてきちゃったの?」


「うん。ほら、あの横断歩道で」


「あー、そういえば、変なこと言ってたね。私に触りたいための言い訳かと思ってた」



なーんだ、ちがったのか…とユウは少しつまらないような様子で椅子に腰を下ろすと周りを見渡した。


そんな、女の子に触れたいために言い訳するような男に思われていたことにショックを受けつつ、苦笑を浮かべてユウを見る。



「この部屋にいるの?」


「いや?さっきまでいたけど今はいないね」


「怪我はそのオバケが原因?呪いとか?」


「……いや。そうじゃないよ。彼女は悪くない」


「そう……」



別に庇ったわけじゃない。


あの時、時計など気にせず試合に集中していれば、下手くそながらにゲームの流れは読めたわけだし、ボールの軌道だって予測できたはずだ。


何でもかんでも、《 人ならざるもの 》のせいするのはお門違いだと昔から“爺ちゃん”が言っていた。


何事にも結果があり、そこに続くための経過があり、そして始まりがある。


その全てで正しい選択などは人間誰しもできないが、結果が良くなるように人は考え、行動することができる生き物なのだと。


幼い頃から視える僕に、爺ちゃんはいつも口酸っぱく言って聞かせていた。


『 畏れるな 』『 目を逸らすな 』『 思考を止めるな 』


それはに向き合い続けた爺ちゃんの言葉として、今のこの胸に強く残っている。



「私にも見えたらなー……色々、協力できるのに」


「いつも言ってるけど、視えない方が幸せだよ。本当に……」



ー ピチャン…ピチャン…


僕は保健室の視力検査の後ろで佇む《 白衣の女性 》を視界に入れないように小さく息を吐く。

その手首からは血が止めどなく流れていた……


放課後。終礼を終えて靴箱へと向かう。

今日はユウの誘いがなかった。

きっと、体調のことを気にして声をかけて来なかったのだろう。

授業中から終礼まで、ずっと背後で押し黙ったままだった。


今も昇降口まで着いてきているものの、会話らしい会話はない。


気まずい。ただ気まずい。


靴に履き替え、ふと振り返るとユウは僕が歩き出すのを待っているように俯いて立っていた。


その後ろには『 やぁ… 』と少し透けて視えるほどに覇気のない(いや、幽霊だから元からそんなものないけど)女の子が立っている。


『憑いて行くと決めた以上簡単には離れられない。それがなんとも、もどかしい……。』そう感じた。



「(改めて思うと、霊って不便だな)」


「帰らないの?」


「ん?あ、あぁ……帰ろうか」



歩き出す僕と、その後ろを歩く二人の女の子……。


二人とも……その表情は暗い……。

なんだこの状況は。葬式かっての。



「あーっ!もう!」


「え?ケンちゃん?」


『 ーーーーー… 』



ユウの手を取ると、僕はズンズンと足を踏み鳴らし学校を後にした……。


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