第3話 手を挙げる女の子

落ち込むユウを連れてやってきたのは、家にほど近い喫茶店だった。

爺ちゃんが存命だった頃からある老舗だ。


見た目はどこにでもある喫茶店だが、ここのコーヒーは地元で評判が良く年中客足は絶えない。


ネットでは、4.3の高評価らしいとお客さんたちが口にしていたっけ。

まあ、そんな誰が着けたか分からない評価よりも自分の目を信じる派だから気にしないけどね。



「こんにちはー」


「やぁ、いらっしゃい。奥の席、空いてるよ」


「ありがとうございます」



夕方になり、客足も落ち着いた店内を突っ切り、最早馴染みとなった席に腰を下ろす。

息をつく僕の向かいには、ユウが腰を下ろしていた。


オーナーは僕たちの前にグラスを置いて、カウンターへと消えていく。


オーダーは取られていないが構わない。


僕たちはマスターのお父さんが経営されていた頃からの常連なので、頼むメニューが決まっているからだ。



「はい、お待たせ」


「ありがとうございます」


「……ありがとうございます」



少しの間の後、僕の前にアイスカフェオレとユウの前にはオレンジが置かれる。


ユウはグラスに手を添えると、小さく息を吐いて窓の外を見た。


僕はカフェオレのシロップに注ぐと、クルリとストローで混ぜていく。



一口飲んで小さく息を吐くと、その変わらぬ美味しさに顔が綻ぶ。


たとえ進路に迷おうとも、幼なじみに引っ張り回されようとも、霊に取り付かれようとも、事故で怪我をしようとも、この味は変わらずここにある。


僕の平凡な日常も奇想天外な出来事も、僕の人生には大切なこと。


色々と悩みが尽きない世界だが、この変わらない味と空間だけは僕に“余裕を持つ大切さ”を教えてくれる。


そうして得た余裕で僕は、ようやく目の前の女の子顔を見ることができるのだ。


「ユウが落ち込むことなんてないよ」


「だって……昨日、無理に連れていかなければ、ケンちゃんは取り憑かれたりしなかっただろうし。今日だって、怪我しなかったと思うの。私のせいだよ。本当、ごめん」


「用事に付き合うって決めたのは僕だよ。怪我をしたのは霊のせいじゃなくて、よそ見をしてた僕のせい。どこにも、ユウの責任なんてないさ」



首を振り、自分を責めるユウにそれは違うと否定した。


ユウの自責の念はそれくらいでは、晴らせないことは分かっている。



「でも……」


「なら、協力して欲しい。ユウの意見を聞きたいな」


「私の意見?」


「うん。僕の爺ちゃんは知ってるだろ?」


「治お爺ちゃん?」


「うん。爺ちゃんが昔から言ってたんだ。《人ならざるもの》は目的があって人の世に干渉してくる。だから、必要以上に〈 畏れるな ・ 目を逸らすな ・ 思考を止めるな 〉って。僕も爺ちゃんみたいに、関わったからには最後まで面倒見ようと思うんだ。ユウには、これから僕が出会う“ヒトたち”の目的を一緒に探って欲しいんだ。無念を晴らして、縛り付ける呪縛から解放してあげたいんだ」


「それってつまり……」


「僕の相棒になってくれ。」


「……うん、わかった。私、霊感とかゼロだけど、違う視点からのアプローチはできると思う」



胸の前で拳を握ると、ユウは小さく頷いてみせた。

これで、少しはユウの気持ちを晴らすことができるといいが。



「それで、ケンちゃんに取り憑いてる人ってどんな人?どこにいるの?」


「ん?今、よ。」


「…………え?」



ユウは引き攣った顔で固まると、ギギギ…と音がしそうなほど、ゆっくりと振り返ってみせるのだった。


『 ーーー…… 』


「っ……」



振り返ったユウは青ざめた顔で姿勢を正すと、小さく胸に手を当て息を吐く。



「な、なんだ……。誰もいないじゃない……」


「まぁ、視えないだろうね。相棒になったとしても、急に“視える”ようにはならないさ。そこは今までと同じだと思うよ」


『 ーーーーー 』


《 手を挙げた女の子 》は僕ではなく、ユウを見下ろしていた。霊ながらに、目の前の女の子に興味があるようだ。

やっぱり女の子同士だと、何か通じるものがあるのかもしれない。



「やっぱり、いるんだ…」



もう一度振り返るが、やっぱり見えないのか目を擦ったり、そっと触れようとしてみたり頑張っているが当然ながら何も認識に変化はないようであった。


まぁ、意識しただけで視えたらこんな目にはあっていないだろう。

意識して視えるということは、意識しなければ視えないということなのだから。



「どんな子?話の端々から女の子なのは分かるけど」


「うん。中学生だね。懐かしい制服着てるよ」


「中学生?なんで、そんな子がケンちゃんに取り憑いてるの?」



それは分からない。過去の経験からいえば、取り憑く条件は様々だ。視えようが視えまいが、こちらに関係なく霊は着いてくる時は憑いてくるといった感じだ。


単に“チャンネルやフィーリングが合ったから”と言っても間違いないほどに、彼らの自由にそこはなっているらしい。

本当にその点は迷惑な話である。



「分からないな。でも、きっと彼女の期待している何かができると思われて憑いて来てるんだと思う。視てて、そんな感じが伝わってくるんだ」


「へー……。それはそれは、モテモテですねー」


「コラコラ。失礼だぞ?そんな浮ついた気持ちで、この子も来てないでしょ。霊であることを除けば、真剣に悩んでる女の子と一緒なんだから茶化すようなことしてると怒られるよ?」


『 ーーー…… 』



チラリと女の子を見れば、先程よりも少し俯いているように見える。


少し怒らせてしまったかもしれない。



「そうかなー?ケンちゃん、結構ニブいし……」


「ん?なに?」



ぽつりと零れた言葉に聞き返すと、『なんでもないよ』とユウは少し頬を膨らませそっぽを向いてしまう。



「それで?その女の子ってどんな感じ?何か特徴とかないの?」


「え?あー、そうだね。いつも手を挙げてる」


「手?」


「うん。手」



僕はユウの背後に立つ女の子と同じように手を挙げてみせた。



「こんな感じかな…」


「なんか………“こんにちは!”みたいな感じだね……」



二人して手を挙げていると、カウンターの向こうでマスターがふと顔を上げて首を傾げていた。



「ん?呼んだ?」


「あ、いや。なんで気にしないでください」


「あー。なるほどね。今回の迷い人はそんな“カタチ”してるんだね。」


「はい。こんな姿をした女の子です」



マスターにも分かりやすいように手を上げて見せるとフムフムと頷いて、拭いていたグラスを置いた。


ユウの方に視線を向けると少し目を閉じて思慮に耽ているようだった。



「今日はが多かったから、もしかしたら憑いてきてるのかと思ったけど。やっぱり一人多かったんだね」


「出た…。マスターさんの不思議発言。やっぱり、霊能力者っぽいよね」



マスターも気付いていた事に驚嘆した様子のユウ。何が凄いって、気付いていても黙って運営を続けるその精神力だよ。


普通の人なら怖くて、席にすら近付けないだろうに。



「本当に、マスターは霊感はないんですか?」


「あるかないかでいえば、ないよ。私の場合は、たまに声や音が聞こえるだけだから。気のせいだと思えば気のせいになるレベルだよ。賢治くんや治さんみたいに、視たり話したりできるわけじゃないからね」



僕も視ることだけしかできないから、同じようなもんだと思うけど…。



「僕はそれほど力は強くないけど、爺ちゃんは特別でしたね。霊の目を見て話もできるし、触れることもできたようです。祓ったり、相手に気に入れられれば守護霊になってもらったりと、本当にそのチカラは一線を駕してましたもん」


「私も小さい頃によく助けてもらったけど、あの人は“凄い”の一言に尽きるね。治さんの周りはいつもどんちゃん騒ぎだったもの。とても楽しそうだったけど、お陰でオーダーが聞こえ辛くて……。あれだけは、困ったもんだったよ」



当時のことを思い出したのか、マスターは昔を懐かしむように苦笑を浮かべた。



「あ、でも確か……治さんがいうには、〈 護る人 〉が増えるに連れて、その辺の統率が取りやすくなったって言ってたね」


「護る人って、〈 守護霊 〉ってことですか?」


「うん。守護霊の中にも上下関係というか、強さみたいのがあるらしくて、最初に守護すると決めた人の格が昇るとかなんとか……。なんていうかな、年功序列で発言力が強まるみたいなやつかな?後から守護霊になった人ほど、大人しく見守っていることが多いそうだよ。」


「へぇ……。」



自身の後ろを振り返り、首を傾げる。

そういえば、視える体質なのに自分の守護霊って見たことないな。


僕にもいるんだろうか……。


爺ちゃんの周りにはそれこそ、沢山の人たちや《 人ならざるものたち 》がいた記憶があるけど。


さすがに、ないか……。


「まぁ、それはいいか。私が見たところでは、さっきの格好はお客さんが呼ぶときの“すみませーん”に見えたかな?」


「なるほど…。そういう見方もできるか」


「といっても、そうして面と向かって話しているのに呼ぶもないよね。ましてや、今更挨拶もないだろう。二つとも不正解だと思うよ」


「うーん…。キミは何を伝えたいんだろう?」


『 ーーー… 』


腕を組んで、ユウの後ろに立つ《 手を挙げる女の子 》に視線を送るとその姿はスーッと姿を消してしまった。


どうやら、今回は答えを見つけられなかったようだ。

まだしばらくは、幽霊との共同生活を続けることになりそう。

とりあえず、帰ってゲームしようかな。



「はぁ……。結局分からずじまい、か。すみません、アドバイスまで貰って。今日は帰ります」


「うん。答えが見つかるといいね」



僕は小さく息を吐くと、鞄を持って席を立つ。

カウンター越しにお会計を済ませると、席に座るユウに目を向けた。



「帰ろう、ユウ」


「んー……。もしかしすると分かったかも」


「え?」


「ケンちゃん。もう一回、“あの場所に”付き合ってくれる?」


「……あぁ、うん。分かった」



ユウの真剣な眼差しに僕は思わず頷いてしまう。

どうやら、今日はゲームはできなさそうだ。


でも、それでもいいかと思う。


それほどまでに、彼女の目には“僕の力になりたい”という強い想いが色濃く写っていたからだ……。

そして、僕自身も彼女の示すこの問題の答えに興味が湧いていた。



「 彼女が手を挙げてる動作って……多分ね?こういうことだと思うの 」



ユウは手を挙げてみせると、彼女なりの推理を展開し始めるのだった。


ー 交差点 ー


ユウに連れてこられたのは、昨日通った交差点。

《 手を挙げる女の子 》と初めて出会った場所だ。


横断歩道の真ん中では、まるでそこが定位置のように《 女の子 》が手を挙げて立っていた。


今からここで離れたら、再び僕の後を追いかけて来るのだろうか?


それとも、ホームに戻ったようにこの場所に遺るのだろうか。



「いや……それじゃダメだろ。ここは《 彼女 》の家じゃないんだ。帰るなら、ちゃんと自分の家に帰らなきゃ」



こんな“交通事故多発”の看板に囲まれただけの寂しい場所に一人遺され、ずっと誰にも話しかけられず、孤独と共存し続ける日々など考えるだけで胸が苦しくなる。


彼女だって帰りたいはずだ。

だから、“視えた僕”に憑いてきたんだ。


僕の背中に憑いてきてくれたんだ。

爺ちゃんが言ってたじゃないか。


〈 畏れるな ・ 目を逸らすな ・ 思考を止めるな 〉って。


僕みたいに大した力もないヤツを、必要としてくれた《 人 》の手を振り払うなんてできるわけがない。


彼女が僕を頼ってくれたからんだ。


なら、もう他人事ではない。


僕は《 彼女の痛み 》を僕の痛みとして同じように共感し、苦しみから解放してあげたい。


そう思ってしまったら仕方ないじゃないか。



「………よし。さぁ、行こう!〈 未練 〉を晴らしに!」



歩行者用の信号機が青へと変わる。


意を決して横断歩道へと足を踏み出すと《 手を挙げる女の子 》に歩みよる。



『 彼女が手を挙げてる動作って……多分ね?こういうことだと思うの 』



ユウの導き出した答えを思い出しながら、僕は《 手を挙げる女の子 》へと足を進め、女の子の前までやってきた。


手を伸ばせば、もう触れられそうな距離。


僕は彼女と同じように手を挙げると ー……



すれ違いざまに《 女の子の手 》と自分の手を叩き合わせた。



ー パンッ! ー



耳に小気味よい音が響くと共に掌の感触が伝わる。


間違いない。確かに僕と《 女の子 》は“ハイタッチ”をしたんだ。



《 ありがとう…… 》



泣いているような笑っているような、そんな消え入りそうな声が背中に掛けられる。



ー チカチカ! ー


「 ………… 」


変わろうとする信号機に急かされるように、横断歩道を渡り切ると僕は道路へと振り返ってみる。


そこにはもう……手を挙げる女の子姿はなかった……。


「…………」


「どう?」



未だに手に残る余韻を確かめていると、隣にいたユウが首を傾げて見上げてきた。



「あ、うん。当たりだったみたいだ。でも、なんで分かったの?」


「んとね?最近、《 やぁ! 》って仕草をどこかで見たことあるなーって考えてたら思い出したんだよ」


「え?最近、見たっけ?」


「ほら、体育でよく見るじゃん。男子はよくやってるよね。ナイスプレーをした時に気持ちを分かち合う仕草みたいな?」


「あぁー、確かに…」



今日の体育でも、女子の方は分からないが、男子は好プレー事にハイタッチしてたっけ。

青春ぽくて僕は苦手だ。あれは、リア充にしかできない。



「握手だったり、拳を打ち合わせたり、今回みたいにハイタッチだったり。人の気持ちを分かり合いたいって思う時、“手”ってとても手っ取り早くて確実な方法だよね!」


「気持ちを分かち合う仕草か……」


「そっ。もしも違かったら、ただ恥ずかしだけになってたけどね?あはは……」


「スカッて終わるヤツね?まぁ、それを怖がって相手の気持ちに寄り添えないで後悔するよりマシか」


「うん!そういうことだよ。少なくとも、気持ちを理解しようと頑張る気持ちが伝わるだけでも相手は嬉しいと思うんじゃないかって思ったんだ」



『私もそうだったからね…』と小さく笑みを浮かべて、ユウは手を差し出した。



「それじゃ、無事に解決したし帰ろう」


「あぁ。今度、お礼に喫茶店のジュース奢るよ」


「えー?ジュースばかりじゃなくて、パフェでもいいんだよ?あそこの〈 デラックスウルトラメガ盛りイチゴチョコバケツパフェ 〉気になってるんだよね」


「 絶対に残すからダメー。しかも高いし!」


「えぇー?オレンジジュースばっかりは、糖尿病になっちゃうよ!」


「オレンジジュースで糖尿病になるなら、デラックスなんたらパフェなんて一発で病院送りになるわ!」


「違うよ!デラックスウルトラメガ盛りイチゴチョコバケツパフェ!」


「なんでもいいわ!」


「よくないよ!」



俺たちは手を繋ぎ、あーだこーだとどうでもいいような内容を話ながら来た道を引き返す。

茜色に染まった空には……虹色に輝く彩雲が広がっていた。



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