14話 大口を開けた男

いつものように、ユウと学校へ向かっている途中。

またしても、僕たちの目の前に非日常は現れた。


ユウいわく〈 縁 〉は向こうからやってくるらしい。

本当に迷惑なことに、僕らの事情などお構いなしに〈 縁 〉はやってくる。



『「「 ………… 」」』


《 ーー…… 》



たとえ僕の寝坊が原因で、遅刻ギリギリだったとしても。



《 ( あんぐり…… ) 》


「(なんでこの人、大口開けて道の真ん中で立ち尽くしてるんだ?)」


「……どうしたの?急に立ち止まって」


「あー……。ユウには視えてないってことは、《 霊 》ってことでいいんだろうけど。それにしたって、珍しいくらいにハッキリしてるな。遠目、人と変わらないよ」



〈 大口を開けて天を見上げる 〉その奇行以外は一見すると普通の人と同じだ。


むしろ、その奇行がなければ普通の人として僕は認知していただろう。



「また、オバケ?どんな姿してるの?」


「大口開けて、空を見てる」


「え、えー……。それは難解だね」


『ーー……』



隣に立つ《 全日本お手上げ選手権代表 》の女の子も完全にお手上げのご様子。


前髪に隠れた整った眉がきゅっと寄せられ、口もウサギのようにへの字になっていた。


両手も挙げられ完全にお手上げのジェスチャー。

《 同族 》でも、どう接していいか分からない感じだ。



「と、とりあえず、行こうよ!遅刻しちゃうよ!」


「あ、あぁ……そうだね。《 古城さん 》の時みたいに、うっかり気付かれないように、今回は僕の後ろを……」



僕は目を合わせないように、視線を伏せると《 大口を開けた男性 》の横を通り過ぎる。


だがしかし……



《 ーー…… 》



今回の〈 縁 〉は見た目通り厄介そうだ。


《 あんぐりと大口を開けた男性 》は天を仰いだまま、走る僕らの後を着いてき始めたのだ。



『 ーー……!ーー……! 』


「えっ!?えぇぇーっ!?怖っ!普通に怖いんだけど! 」



その必死の形相たるやまるでゾンビホラー映画のゾンビの如く、ガクガクと全身を震わせながら僕らの後を一心不乱に追いかけてくるのだ。


顎どころか首の骨が外れているようで、ガックンガックン!と揺れる首が完全に背中の方まで落ち込んでいる。


怖すぎるんですけど!?



『 ーー……!ーー……!! 』


ー ガックン!ガックン!


「首、首ぃうわああぁーー!!?」


「おぉー……凄いスピード。登校時間新記録を狙えそうだね」



霊の姿が見えないユウは、とりあえず叫びをあげて逃げる僕の後を懸命に追いかける。


そもそも、順番がおかしい。


僕→《 大口ゾンビ 》→ユウ→《 古城さん 》はおかしい。


唯一無二の相棒とは何ぞ!?

〈 守護霊 〉とは何ぞーーっ!?



「がんばれー!ケンちゃん!登校時間、間に合いそうだよー!」


「応援してないで、助けてくれよー!」


『「がんばー!」』


『 ーー……!ーー……! 』



結局、僕が校門をくぐったのは予鈴の数分前。

当然ながら、周囲の人々の奇異の目に晒されたことは言うまでもない……。


「あはは……どうしたの?大丈夫?」


「……うん。だいじょばない」



机に突っ伏し、朝の自分を恥じて反省する。

何とか遅刻は回避できたものの、代わりに周囲からの視線を浴びる羽目になった。


全力で校門へと駆け込んだとき、隣の席の錦野くんを含めクラスの数名にも見られていたようで、朝の様子は気が付けばクラス全体へと広まっていた。


皆の視線がチラチラと刺さり、まさに針のむしろ状態である。


とても、居心地が悪く感じる。


だが、ここで本当に恥たのは、そうした“叫びながらの全力疾走”をしてしまったという“奇行”ではない。


本当に僕が恥じていたのは〈 自身への誓い 〉を破ってしまった“自分への恥ずかしさ”であった。


自身への誓いーー。


それは他でもない、爺ちゃんから受け継いた〈 視える者 〉としての大切な誓いだ。



〈 畏れるな・目を逸らすな・思考を止めるな 〉



僕は《 大口を開けた男性の霊 》に対して、その全てを破ってしまった。


見た目が怖いからと、畏れて目を逸らして思考を止めてしまった。


情けない。こんなんじゃ、尊敬する爺ちゃんに顔向けできない。



「い、いやいやいや。“首が外れて大口開けて追いかけて来る男”に追いかけられたら、誰だって怖くて逃げるでしょ。十中八九、間違いなく逃げるに決まってるでしょ。感覚、バグってるよ」


「あー……やっぱりそうだよね?」



あまりの沈みように、気を揉んだ錦野くんが話を聞いてくれたおかげで、何とか落ち着きを取り戻せた。


そんなの普通に怖いんだから、驚いて当然だと言われて、妙に納得できてしまった。


そうだ。そうだよ。

あまりに非日常が溢れ過ぎて感覚が麻痺してた。

これが、“普通”の感覚だ。

怖いと思っていいんだ。



『 ーー…… 』


「落ち着いて考えればおかしいんだ。普通、話を聞いてほしい《 霊 》たちは可能な限り〈 接触する相手 〉を怖がらせないように静かに現れる。今回みたいに、おどろおどろしい姿でわざわざ追いかけ回すなんてことはしない。貴方、わざと僕を脅かすように追いかけて来たでしょ」


「えっ?ここに来てるの?」


『 ーー…… 』



自分たちの後ろを振り返って《 大口を開けた男性 》を見上げると、《 男性 》は外れた首を元に戻すと《 開けた大口 》をピタリと閉じてニヤリと笑ってみせた。


その顔で気付いた。この男性……いや、“こいつ”は人を脅かして楽しむタイプらしい。



「やっぱりぃ!性格悪っ!ひねくれてんね、アンタ!」


「えー……やっぱり、いるんだー……」



聞かなきゃよかったよと、錦野くんは見えない気配に怯えながら、ホームルームを向かえるのだった。


あ、えーっと……余計なこと言ってごめんね、錦野くん……。



『 ーー…… 』



ホームルームが終わり、一限目の準備の最中にちらりと周りを見渡す。


教室のベランダで《 大口を開けた男性 》が天を仰いでいるのが視えた。

僕を散々脅かしたことで満足したのか、今は落ち着いてベランダのところで待機しているようだ。



「近くにいるってことは、話を聞いてほしいことに間違いはなさそうだな」


「あれじゃない?ケンちゃんのオーバーリアクションに満足して、次に脅かす相手を探してるとか」


「僕はもう驚くことは無いかな。イタズラだって分かれば、警戒もできるし」



後ろから小声で話しかけてくるユウに、授業の準備をしながら答える。

ユウは視えないから、元から除外されているのか《 大口開けた男性 》は興味を示す様子はなかった。


とりあえず、大切な幼なじみに手出しをする様子はないので一安心だ。



「そういえば、今日の放課後はヒマ?」


「その流れは分かってるぞ。服屋でしょ?」


「あったりー。あの服、どうしても気になってねー」


「といいつ、いつも買わないでしょ。小学校以降、ユウの私服見たことないよ?」


「だって、ケンちゃんってば休みの日はいつも部屋に籠るじゃん。遊びに誘っても付き合ってくれないし。休みの日なら思いっきり遊べるのになー」


「休みの日は趣味の時間だ。今週も録り溜めしたドラマとかアニメとか観るのに忙しいんだよ」


「ぶーぶー……つまんないなー。ケンちゃんと遊びたいのにー。隠れんぼ、楽しかったのにー」


「ヒマなら、うち来るか?たまには一緒にドラマとか観てもいいよ?」


「……そ、それって?(お家デートのお誘い?え?お邪魔するの久しぶりだけど、いいのかな?お母さんたちは?私たちだけ?)」



軽いノリでユウを自宅に誘ってみると、ユウは頬を染めて俯いてしまった。


モゴモゴ一人で話していて、何とも要領を得ない。



「用事があるならいいよ?」


「え?ないない!予定なんてないよ!全然、オッケー!ケンちゃんのお家に行きたい!」


「あ、あぁ、分かったよ。次の休みは家でゆっくりしよう」


「うん、うん!」



予定があっても空けるよ!と拳を固めて興奮気味に答えるユウに苦笑すると、前へと目を向ける。


黒板の前に先生が立ち、僕を見て一言……



「大林くん……休み気分にはまだ早いぞ。今日の授業は始まったばっかりだからね」


「……はい、すみません」



先生に注意されると、クラス中でどっと笑いが起きる。

まるで、朝のことはなかったように、授業が始まるころには皆も日常へと戻っていた。


このクラスともあと一年切ったのか。

なんだかんだ、僕のことも理解してくれる人もいたし、そっとしてくれる人も多かった。

とても過ごしやすいクラスだっただけに残念だ……。


まぁ、不思議くんとして近寄りがたかっただけかもしれないけど。



《 ーー…… 》


《 ーー!ーー……! 》


ー ドシャッ!



《 大口を開けた男性 》がこちらを見てニヤリと笑う。

その背後では《 飛び降りる女性 》が今日も真っ逆さまに落ちていった。


そっとして欲しい方々は全然、そっとしておいてくれないんだけどね。


相変わらず、〈 未練 〉の赴くままに僕の時間を食い荒らしてくれる。


そして、それは〈 ヤツら 〉も同じ……


その無礼者たちの足音が、ヒタリヒタリ……と側まで歩み寄っていたことに、その時の僕は気が付いていなかった……。


放課後ー……


ユウと買い物に出かけようと、教室から出た時だった。



「大林くーん」


「ん?錦野くん?」


「あ、錦野くんだ」



教室を出ようとした時だった。

ふいに、錦野くんに呼び止められる。


ユウと足を止めて振り返ると、錦野くんの側にまたしてもイケメンが。


美咲野くんではない。

彼は今、自分の教室の前で錦野くんを待ってるはずだ。


つまり、ここに来て新たなイケメンが登場ということになる。



「本当、イケメンの周りにはイケメンが集まるよねー」


「……えっ?イケメン……イケ……メン……ですか……?」



僕の呟きに、隣のユウが小さく声をあげた。

口元に手を当て、信じられないものを見たような顔で僕の顔をマジマジと見つめてくる。



「はぁ……。陰キャの自覚はありますけど何か?言いたいことがあるなら聞きますよ?」


「い、いえ……?なんでも……」


「あとで覚えといてね。祐奈さん」


「あたっ!?うぅ……別に何も言ってないじゃあぁーん……」



周りの目があるため、平静を装いつつも歯を食いしばって真っ直ぐに錦野くんたちに目を向け続ける。

言わんとする意味は分かるので、軽く脇腹を小突くとユウは悶絶して身を屈めた。



「今、大丈夫?」


「え?あぁ、この後に約束があるんだ。軽い話なら」


「そっか。実は彼が、大林くんに話があるみたいで」


「ん?」



隣のイケメンに目を向ければ、ニコニコと甘いマスクで僕を見つめかえしていた。


初めて見る顔、ではない。

入学してからよく見る顔である。


モテるらしく違う女子と仲良く話している姿をよく見かける。

噂では、袖にした女性の数も結構いるとか。


熱しやすく冷めやすい、典型的なプレーボーイといえるだろう。


僕のような陰キャは当然ながら、関わる対象にはなっていないと思っていただけに、向こうから声をかけてきたことに戸惑いを隠せないでいた。



「こんにちは、大林くん。こうして話をするのは初めてだね。俺は岩坂 虎利(イワサカ イタリ)。気軽にイタリって呼んでね」


「は、はぁ……。こんにちは、岩坂くん」


「ノンノン!大林くん。岩坂じゃなくて、イ・タ・リだよ」



自然に手を差し出され、差し出された手を握り返すとブンブンと力を込めて振り回される。

キラめくスマイルとぐいぐいパワー。


まさに、僕とは相容れない存在だ。



「あ、あはは……よ、よろしく、イタリくん。(この人、本当に苦手だー……)」


「それじゃあ、俺は部活があるからここで」


「うん!ありがとう!ニッシー!」



軽く手を挙げて、ニッシーこと錦野くんは俊敏な動きで廊下を駆けていく。

あっという間に、姿は見えなくなり僕らだけが取り残されてしまった。

これはもしかしなくても……押し付けられた?



「えっ!?あ、あれ?錦野くん?錦野くーん!?」


「さて、大林賢治くん。実は君に相談があって来たんだ」


「……そ、相談?っていうか近いんだけど、少し離れてくれない?」



逃げるように立ち去る錦野くんに、〈 口を開けて 〉驚いていると、突然がっしりと腕を組まれる。


何処にも逃がさないよ?と、甘いマスクで僕へと微笑むと岩坂くんは強引に腕を引いて廊下を歩きだし始めた。



「君への相談なんて、決まってるだろ?」


「というと?」


「もちろん。〈 霊 〉についての相談さ」


「な、なにを……」


「〈 霊 〉についての相談なら、受けてくれるんでしょ?」



歩きながら胸元からスマホを取り出すと、一枚の画像を見せてきた。そこには先日、触れた〈 公園 〉の画像が映し出されていた。


真新しい規制線と花束。そして、そこで手を合わせる僕の姿の写真だ。



「……どこでこんな画像を」


「俺たちは水面下で活動しながらも、コミュニティが広いからね」


?まさか……」


「そう。俺は“彼女”の遣いできたのさ」


「っ……!」


「何処にも逃がさない……っていったよね?」



全てを察した僕は腕を振りほどこうとするもその腕は、がっちりと固められていた。

この人、何か武道でもしてるのか?



「っ……」


「さぁ、行こう。彼女が首を長くして待ってるよ」


「恨むよ、錦野くん……」


「あ、彼の名誉のために言っとくと、彼と話したのは今日が初めてだ。俺は基本、男の子と話すのは得意じゃなくてね。こう見えて、女の子と沢山話したいタイプなんだ」


「(どう見ても、そうにしか見えないよ)……なるほど。錦野くんもこのノリに押し負けたって感じか」


「フフ……!最初は渋ってたけどね?ちょっと、脅かしたらすぐに根を上げて君との橋渡しをしてくれたよ。意外と薄情なヤツだね」


「いや、さすがに錦野くんに同情するよ。そりゃ、仕方ない……。わかったよ、大人しくついていこう。こうなりゃ、僕も腹を括るしかなさそうだ。いつか、彼女ともしっかりと話さないといけないと思ってたしね 」



僕は苦笑すると、組んだ腕を軽く叩いて離すように促す。


抵抗をやめた僕に少し警戒の色を残しながらも岩坂くんは組んでいた腕を解く。



「はぁー……」



これ以上、抵抗したり逃げたりしたら、〈 オカ研 〉の連中は何を仕出かすか分からない。


同じクラスメイトだからって、呼び出すために脅すなんて、頭のネジが三本ばかり逝ってる証拠だ。


イケメンなのに残念なヤツだね、キミは。


小さく息を吐くと、無防備な腹に拳で軽く殴りつける。



「ふー……シッ!」


ー ドンッ!


「うっ!?……ってて。な、何するんだい?」



軽く痛みを感じる程度に殴りつけてやった。

それでも軽く鳩尾に入ったのか、身体が少し浮いたようにみえた。



「錦野くんを脅したんでしょ?これくらい仕返しさせてくれよ。彼はこんな僕にも分け隔てなく接してくれる大事なクラスメイトなんだ。彼を傷付けることも、ましてや“薄情”なんて侮辱することも許さない」


「いてて……そうか。それは悪かったよ。少し言い過ぎたね」


「ふぅー……。ごめんね、少しカッとなった」



腹を抑える岩坂くんに頭を下げると、側で見ていたユウへと視線を移す。


そういえば、ユウの前で拳を振るうなんてこと小学校の喧嘩以来だったな。


あの時は確か……ユウが陰口を言われている僕のことを庇って喧嘩してたところに、割って入ったんだっけ……。


結局、相手が多かったこともあって僕は惨敗だったな。


はは……あの時と随分と体の大きさも変わったもんだね。とても、ユウが小さくみえる。

今なら、ユウも守れそうだ。



「ケンちゃん!?」



ずっと、近くで見ていたユウがいよいよ雲行きが怪しくなってきたことを察して堪らず声をかけてくる。


僕は首を振って微笑むと大丈夫だからと呟き、ユウに向けて手を挙げた。


これから先は何が起こるか分からない。

これ以上、彼女を危険に晒すわけにはいかないから。


ユウは……瀬田 祐奈は僕の大切な幼なじみなんだから。



「また明日、ユウ……」


「ケンちゃん……」



僕はユウへと手を振ると、岩坂くんへと向き直る。



「約束はいいのかい?今なら、逃げてもいいんだよ?俺も地味に腹は痛いし」


「嘘つけ。それほど強くしてないでしょ?こっちは生粋の陰キャ。君は生粋の陽キャ。ステータスの差くらい理解してるよ」


「い、いや。腹パンに陰キャとか陽キャとか関係ないと思うんだけど……」


「大アリさ。……さて、それじゃ行こうか。〈 未練 〉を晴らしに」


「あ、あぁ……?それ、決めゼリフってやつ?」


「みたいなもん。これいうと、調子出るんだよ」


「験担ぎみたいなもんかい?いいね。俺も決めゼリフ考えようかな」


「はは……。見つかるといいね」



苦笑混じりに落ちていた鞄を拾い上げると、岩坂くんに続いて歩き出す。

向かう先に“彼女”はきっといる。


僕の天敵〈 オカルト研究部部長 灰塚 望桃〉が……。


岩坂くんに案内されてやってきたのは、生徒数の減少によりでできた空教室だった。


使われなくなって久しいが、手入れも行き届いているのか比較的綺麗なようだ。


誰の手によって綺麗にされたのか、それはいうまでもないだろう。


岩坂くんは教室に入ると中を見回しある一点で視線を止めた。


開かれた窓から風が入り込み、レースのカーテンを揺らす。まるでベールのように揺らめく向こうで、女の子が一人佇んでいる。


いや、よく見れば窓に腰を下ろして本を読んでいるようだった。


まるで人形のように造形の整った女の子が、部屋に入ってきた僕たちに気付いて音もなく窓から降りると、カーテンを払いその姿を表した。



黒炭を掬いとったような長く艶のある黒い髪。

深淵をガラス玉に閉じ込めたような黒い瞳。

黒い制服とは対象的な陶器のように白い肌。

人とは思えぬ雰囲気に、初めて会った人は思わず息を呑むという。



「 ーー…… 」


「や、やぁ。大林賢治くんを連れてきたよ。モモちゃん」


「久しぶり……灰塚」



この美しい造形ながら日本人形をそのまま大人にしたような見た目の女の子が、灰塚 望桃( ハイヅカ モモ ) 。


大のオカルトマニアにして、〈 オカルト研究部(非公式) 〉の部長だ。



「岩坂くん」


「うん?」


「帰って」


「「 え? 」」



開口一番、灰塚望桃はその漆黒の瞳を僕に真っ直ぐに向けたまま、赤い……血のように赤い唇を震わせて静かに奏でた琴の音のような声で『帰宅』を促した。


それも、やんわりと優しいものでない。

きっぱりはっきりと、拒絶の意味合いを含んで発されていた。


あまりに唐突に告げられた冷たい言葉に、岩坂くんどころか僕まで思わず自分の耳を疑ってしまう。


接する機会を躱されていた僕を、手口はどうにしろ、目の前に連れてきた人間に対して発する言葉ではない。



「え、えーっと」


「帰って」


「っ……!」



二の句告げることもなく、バッサリと切り捨てられる岩坂くん。

一切の発言すら許されない。


取り付く島もないとはこのことだ。

まるで真冬の空気だ。望桃(モモ)という可愛らし名前とは縁遠い景色すら見えてくる。


教室の中はすっかりと冬景色だった。



「帰って」



そこへまた、追い討ちの冷たい言葉。

また一段と教室の温度が下がった気がした。

冬景色どころか氷河期だな……。



「わ、わかったよ……。うぅ……」



明らかに肩を落とすと、岩坂くんは恨めしそうに僕をじっとりと眺めて……



「すぐ帰って」


「うわあぁ~~ん!大林のアホー!」


「なっ!?僕、関係なくない!?」



否。眺めることすら許されず、言葉という氷柱で急き立てるように追い出されてしまった……。

かわいそうに……。


でも、捨て台詞に僕を貶しいていくのは違うと思う。

うん。


「はぁ……」


「 ……あ、あまりに冷たくない?」


「あの人は執拗いの。相手の気持ちが分からない可哀想な人よ。同情なんてしなくていいわ」


「(それ、長年付き纏ってる君がいう?)」


「……なにか?」


「いや……」



僕は頭を抑えて溢れそうになる感情を堪える。

こうでもしないと、この子との会話は成立しない。

これは僕が彼女を苦手な理由の一つでもある。



「それで?なんで、僕を呼んだの?」


「そんなの決まってるわ」



滑るように音もなく、軽やかな足取りで僕の前に来ると切れ長の目が僕を見上げて微笑みを浮かべた。


ゆっくりと身を寄せると、手を伸ばして来る。



「あなたに会いたかったからよ……」


「っ……」



伸ばされる手をやんわりと払うと、一歩下がって距離を取る。



「…………」


「近い。やめてくれるかな……」



この子が苦手な理由その二。

距離感がおかしい。


異常にくっついてきたがるのだ。

まだ、僕のことを追い回し始めた頃は大人しかったが、日に日にその距離は縮まり。

今ではべったりと身を寄せて来るほどまでになっていた。


今思えば、逃げ回り捕まる度にその兆候は強くなっていたように思う。



「何度も言っているけど、なんで僕にそんなに固執するの?やっぱり、“この眼”が原因?」


「眼…………えぇ。その眼もとても魅力的よ。〈 この世と幽世 〉を結ぶ〈 結びの瞳 〉。角度によって、ほのかに蒼みが浮かびあがる瞳はあの世の哀しき炎を思わせる。見ているだけで……胸が熱くなるわ」



頬に手を当て、何か美しいものを見て感動する少女のように小さく息を吐いて僕の瞳を見つめた。


ほとんどの人は気付かないが、僕の瞳は光の入り方で変わった色を浮かべる。

基本は黒目であるが、光の入り方で青みがかった色になるらしい。


“らしい”というのは、僕自身は見たことがないからだ。


角度のせいか分からないが、黒目にしか見えたことがない。


ユウもこの眼の色は好きらしく、蒼い色が見えた時はじっ……と美術品を見つめるように眺める時があった。



「色なんて人それぞれだろ?もっといい色してる人もいるよ。こんな死んだ魚みたいな淀んだ目を好むなんて、もの好きもいいところだ」



陰キャじゃなければ、もっとキラキラとした色をしていたんだろう……なんて。

自分で言っていて、なんだか泣けてくる……。



「……分かってないわね。いえ、自分のことだから分かりづらいのかしら」



口元に指を添えて小さく笑うと、手にしていた本から一枚の写真を取り出し僕へと差し出してくる。


そこには、老朽化した木造家屋が映っていた。

お世辞にもとても人が住めるような状態には見えない。


もしやと思い、写真をじっくりと“視てみる”と開かれた玄関からコチラを見ている老婆の姿が浮かび上がってきた。



「普通の人が見ればただの廃墟の写真だけど、よく視れば心霊写真ってことかな?」


「えぇ……。私には何も見えないのだけど、賢治にはどう視えているのかしら?ぜひ、教えていただきたいわ」


「はぁ……。下の名前で呼ばないでくれる?君に名前を呼ばれると“呪われていく”ようで寒気がするんだよ」


「あら、ひどい。すっかり、嫌われてしまったわね」


「…………嫌われるだけのことをしてきたからだろ?」



ギリリと奥歯を怒りを込めて噛み締めると、写真を突き返す。


この子が苦手な理由その三。

僕と彼女には嫌いになるだけの因縁がある。


その理由に関しては思い出したくもない。



「そうね……」



渡された写真を受け取ると、肩を竦めて苦笑を浮かべた。


彼女自身もその事は重々にわかっているはずなのに、それを踏まえてでも関わりを持とうと何かしらアクションを起こしてくる。


それがまた、腹立たしく感じていた。


「賢治には、何が視えるの?」



また下の名前で……はぁ……。もういいや 。

話が進まないし。



「その写真に映っているのは、お婆さんだ。実際に現場に行って視てみなきゃ、詳しいことは分からない」


「今よりも霊感が強くなれば、写真だけで想いを読み取れるそうよ?」


「生憎と今の僕には必要ないね。終わったなら、もう帰るよ」


「待ちなさい。話はまだ終わってないわ」



ー グイィッ!



「ちょ、ちょっと!?」



僕は話は終わりだというように、強制的に話を打ち切ったのだが、服を捕まれ引き戻されてしまった。

また距離感が近い。


頬同士で触れ合えそうになるほど、近くに灰塚の整った顔がそこにあった。

見れば見るほど美しくも恐ろしい顔だ。


人の顔は左右非対称だというが、この子は綺麗な対象的な顔をしているせいで、まるでその顔が作り物のようにすら感じてしまうのだ。


だが、一般的に左右対称に“近い”顔の人ほど美しいとされるため、彼女を一目みて惚れる男性は少なくない。


僕は断然、ユウのころころと変わる表情豊かな顔の方が好みだけどね。って、これは本人にいうと調子づくので墓場まで持っていくことにしておこうかな……。



「この写真の場所に一緒に行って欲しいの」


「……なんで僕が」



さて、その造形物のように整ったな顔が写真を見せながら、近くだから同行してくれという。

当然、僕にはとても一緒に行動を共にする気になれなかった。



「お願い。賢治にしか頼めないの……」



表情を忘れたように一切の崩れを見せることのない顔が僕を見つめている。


しかし、いつもと違ったのは、その瞳だった。

真っ直ぐに見つめられる瞳が僅かに揺れ動いていたのだ。

その目は知っている。お願いを断られることを恐れている目だ。


まったく……日頃表情を見せないくせに、どうして今回はそんな見捨てられそうな子供ような目をしているんだ。


そんな目はしないで欲しい。

どんなに嫌な人間だろうと、困ってる人間を放っておくことができない性分としては反則級の困り顔だ。



「っ~~はぁ……。わかった、わかった。行くよ、行きますよ。ただ、条件がある。聞いてもらうよ?」


「……わかったわ」



僕は深く息を吐くと、肩を落として渋々頷く。

条件ありきの協力で手を打つことを約束し、僕は隣をノールックで指し示した。



『 ーー……(ニヤリ……) 』


「この、さっきから隣に立ってる《 大口を開けた男 》を〈 祓って 〉ほしい。通学中に絡まれてね。朝から何度も話を聞こうとしてるけど巫山戯てばかりで、こっちの話を聞こうともしない。たぶん、僕の反応を見て遊んでるんだろう。だけど、生憎と僕の時間は有限だ。付き合ってる暇はない。家業で〈 祓い屋 〉をしている灰塚なら朝飯前だろ?」


「フフ……!それが貴方の願いなら……。任せて、賢治」


『 ーー……? 』



表情を忘れた顔は一変。

にっこりと笑うと、灰塚はスカートのポケットから札を数枚取り出すとそれを僕と《 大口を開けた男 》を中心に四方に貼り付ける。


「貴方の綺麗な瞳に何かあってはいけないわ。目を閉じいて。私がいいと言うまで、開けないで賢治」


「あぁ……」



そこから何が起きたか分からない。



『 ーー……!?ーー……!!ーー~~………… 』



ー ズドン!



目を閉じていても分かるほどの揺れを感じた瞬間、隣にあった《 “大笑い”イタズラ男 》の気配は消えていた。



「うん。終わったわ」


「ん……そっか、すまないね。手を煩わせて」


「いいえ。これくらい、慣れたものよ」



こうして、イタズラが大好きで、人々を脅かして遊ぶことに満足感を得ていた《 大口を開けた男 》もとい、《 大笑い男 》は


話を聞かず、強制的にあの世に送るなんて僕らしくない思う人もいるだろう。


だけど、僕は善人でも聖人でもない。


基本、僕は〈 ケチ 〉なのだ。

そして、自分の時間をこよなく愛する。

いわば、〈 時間にケチ 〉な人間だ。


【 二十四時間、自分のやりたいことだけやって何が悪い。それをやりつくしても、時間は全然足りないのに⠀】は僕の尊敬する日本画家・山本恭子先生の名言。


彼女の言う通り、時間はいくらあっても足りない。


それでも、やりたいことは砂時計の砂のように山積みになっていく。


まるで上側が時間、下側がやりたいことのように……。


そんな中で、彼ら…《 霊 》たちは関わろうとしてくるのだ。


とてもじゃないが、二重の意味で“イタズラ”に時間を割くわけにはいかない。


人が生きとし生きるかぎり、この世にも〈 未練 〉は砂の数ほどに積み上がっていくのだから。

こうした〈 強制的な手 〉も致し方ないと思うのである。



「怒ってたろ?」


「それはもう……すごい怒りっぷりだったわ。フフ……!でも、死者は死者。あるべき場所に帰るべきよ。ここは生者の国だもの」



天を見上げ、黒く長い髪を耳にかけながら灰塚は笑う。



「あぁ……。不本意ながらそれには同感だよ」



僕は頷くと、灰塚の見上げた天井を見上げる。

そこには〈 激しく抵抗したような血の手形 〉が天井一面にびっしりとついていた……。



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