第6話 うつ伏せの男

僕の席の前。つまりは前席の人の椅子を借りて、どっかりと腰を下ろした美咲野くんは、背もたれに腕と顎を乗せて僕をじっと見つめてくる。



「「 ……… 」」



隣の席である錦野くんも席に座ると僕を感慨深げに眺めていた。


いうなれば、美咲野くんは取り調べのように、錦野くんは展示物を眺めるような視線で僕を見ていた。


正直、とても居心地が悪い。



『 ーーー…… 』



そして錦野と反対の方では《 女の子 》が僕を見下ろしている。《 やぁ!》という姿勢を貫いて、僕らを見守っている。


一体これは、どういう状況だ?


今更ながらに、幼なじみを帰したことを後悔し始める。


叫んだら来てくれないかな?

幼なじみ補正みたいなヤツで、テレパシー感じて飛んできてくれないかな?


うぅー…こんなにもアイツに側にいてもらいたいと思ったことはないかも…。いや、過去には度々あったか…。



「大林は、その……《 幽霊 》が視えるのか?」


「はぁ……。もうとっくにバレてると思うから正直に答えるよ。僕は視える人なんだ。《 霊 》だけじゃない。俗にいう《 妖 》や《 形容し難い存在 》っていうのも時々視える。だから僕はそうした存在をまとめて《 人ならざるもの 》って呼んでる。一般的に《人》は生きた人を指すコトバだから区別するためにね」


「そうか。やっぱり、噂は本当だったのか」


「噂…ね。まぁ、あれだけ露骨に態度に出てたら分かるよね。気付かない方が不思議だもん」



一瞬、驚いた顔を見せた美咲野くんは少し考えるような素振りをみせると顔をあげて自身の背後を指さした。



「大林。俺の背後には“何か”いる?」


「ん?後ろ?いや?特には何もいないよ?」


「そっか…」



聞かれたので答えてみたが、本当に何もいない。

《 人ならざるもの 》は視えなかった。

ある意味珍しいな。



「その代わり、錦野くんの後ろにはお婆さんがいるよ。いつもニコニコしてるお婆さんだ。格好は割烹着を着てる」


「大林くん…それ本当…?」


「うん。錦野くんのおばあちゃんかなーって、思って視てた。たぶん、〈 守護霊 〉って呼ばれる存在じゃないかな?」


「おばあちゃんが守護霊なんだ……。そっか……」



たまにだが、錦野くんの側にお婆さんを見かけることがある。いつもニコニコとして微笑んでおり、錦野くんを見守っているようだった。


ただ、実はイタズラ好きなのか、たまに消しゴムを弾き飛ばす遊びをしている。

その度に、錦野くんは首を傾げて落ちた消しゴムを取りに行っているけど、これ伝えていいかな?


《 しーーーっ… 》


「(あ、ダメなのね…)」



錦野くんの後ろで、お婆さんが茶目っ気たっぷりに人差し指を立てて笑っていた。


隠すくらいならやらなきゃいいのに。


やっぱり、霊は行動理念が分かりづらいな。

僕は苦笑すると、美咲野くんへと目を向ける。

何を考えているのか、その顔は険しい。

分かりづらいのは、生きた人間も同じってことか。



「それで?霊が視えたとして、僕に何か用があった?それとも、今ので終わり?なら、帰っていいかな?ゲームの続きしたいんだけど」


「いや、待って。実は大林に見てほしいものがあるんだ」



懐から一枚の写真を取り出すと机の上に置いた。

少し古い写真だろうか。写っているのは小さな子供とまだ若い男性。背景から察するに場所は自宅のリビングだろう。

子供がミニカーを差し出し、それを男性が嬉しそうに受け取る情景が切り抜かれていた。



「とっても、幸せそうな親子の写真だね」



受け取った写真を軽く眺めると、率直な感想を返す。

どこにでもある家族風景のようだ。



「俺の父さんだ」


「そっか」


「この写真を撮った次の日に、父さんは死んだんだ。心臓の病気で倒れたところを発見されたんだけど、発見された時にはもう手遅れだったらしい」


「そうなんだ。それじゃあ、今までお母さんと二人で過ごしてきたんだね。それは寂しい想いをしたね」


「いや、本当に物心つく前のことだったからどんな人だったかはほとんど覚えてないんだ」


「そうか。それで?僕にこの写真を渡してどうしてほしいの?」


「うん。実は……」



それから美咲野くんは、ここに至るまでの経緯を説明し始めるのだった。


歩道橋 ー


荷物をまとめ、美咲野くんの案内でやってきたのは学校からほど近い歩道橋だった。


下が国道ということもあり、何台もの車が往来していた。


学校から駅までの間に架かる歩道橋は、幾年もの間に沢山の学生を橋渡ししてきた学生たちにとってなくてはならない存在だ。



「その歩道橋の下で、幽霊が目撃されるって話知ってるか?」


「んー。聞いたことないね。そもそも、ここは家とは反対で通らないし」


「そっか。実はこの近くに小学校があるだろ?そこに友だちの弟が通ってるんだけど。変な噂を聞いたみたいなんだ」


「噂ね…」



弟さんが聞いた話では、ここを雨の日のそれも夕方に通ると突然何かに足を取られて転んでしまうそうだ。


何につまずいたのかとサーサーと雨の降り頻る中を振り返ってみれば《 うつ伏せの男 》がいたそうだ。



「それ、本当に人だったんじゃない?怪我とかでうずくまってた人とか」


「いや。驚いて叫んだら、すぐに姿を消したらしい」


「姿を消した、か…」



僕は歩道橋を見上げると、一段目に足をかけて登り始めた。


階段を登りきり、歩道橋の中ほどで《 女性 》が国道を眺めていた。



「(行き交う車でも見てるのか……?)」



女性に注意を払いつつ、避けるようにその後ろを通り過ぎると歩道橋を渡り終えた。


その上から見下ろす階段の先には何もいない。



「何かいるか?」


「いや?特に気になるのはいない」


「“特に”って……。“気にならないけど何か”はいるってことじゃないか」


「気付かないだけで、そうした存在はあちこちにいるよ。例えば、歩道橋の真ん中だったりね」


「マジかよ……」



恐る恐る、二人は示された歩道橋の真ん中に目を向ける。

見えなかったのか、ホッと二人は胸を撫で下ろした。



「そんなに驚くことじゃないさ。元はこの世界の住人だ。亡くなって想いが残れば、この世界に留まることになる」


「想いが残る…。未練があるってことか?」


「そう。思い残すことがなくなれば、人は自然と天へと昇ることになる。僕のじいちゃんがそう言っていた」


「天に昇る……」


『 ーーー…… 』



隣に立つ〈 女の子 〉に目を移すと、前髪で隠れた目元は見えないが口元がニコリと微笑んだ。


まだ消えていないこの子も、きっと想い残すことがあるのだろう。



『 ーー…… 』



この子もいつか、僕から離れる日がくるだろう。

早くその日が来ることを願いつつ、ゆっくりと階段を降りていった……。


階段を降りきり、反対側へと渡ってきた。

微かに念が残っていることは感じ取れるが、姿は見えない。まるで、煙を眺めているような感覚だ。


恐らく、放っておけば消えてしまうほどに〈 念 〉が

薄らいでしまっているのだろう。



「……ダメだ。いるのは分かるけど、姿が視えないや」


「見えないこともあるんだ?」


「なんだ。肝心なものが見えないなら、意味ないじゃんか」



近くまでいけば視えるようになると期待していたのか、二人は残念そうに周りを見渡す。

あぁ、僕にも視えないことがあると思ってる?

勘違いして欲しくないな。



「別に視えないわけじゃないよ。気配が希薄なんだ。たぶん、この世から消えようとしてるんだよ」


「上に逝けそうなら、それでいいんじゃない?これで、小学生たちも安心だよ」


「んー。まぁ、そうなんだけどね… 」


「……」



気配が薄れているということは、それに伴って〈念〉も消えようとしていることになる。

縛られている〈念〉から解放されて天に昇ることができるなら、それがいいに決まっている。


だけど、僕は心に引っかかりを感じていた。

ふと、視線を感じて背後へと目を向ける。


歩道橋の上。相変わずそこでは〈 女性 〉が流れゆく車を眺めていた。景色の一部として、彼女は僕らを見ているようだ。


彼女がここに残った理由は分からない。


もしかしたら、そこから見る景色が好きだったかもしれない。

もしかしたら、轢き逃げされた相手を探しているのかも。

もしかしたら……。


想像は尽きないが、そこに縛られるだけの理由がきっと〈 彼女 〉にはあったはずだ。



『ーー……』



今、僕の隣に立つこの子にだってきっと、まだこの世に遺りたい理由があるはずなんだ。


なら、ここにいるという〈 男性の霊 〉だってきっと。



「あのさ、美咲野くん」


「なに?」


「美咲野くんは、お父さんの写真を見せたあとにここに連れて来たよね?理由があるんでしょ?……キミは気付いてるんじゃない?」


「なにに?」


「ここにいる〈 男性の霊 〉が“キミのお父さん”かもしれないって思ってるから、ここに来たんだよね?」


「えっ!?そうなの!?」


「……」



俺の言葉に、美咲野くんは押し黙る。


状況から察するに、錦野くんは知らずに着いて来たようだ。でも、決して冷やかしなんかじゃない。

友達である彼を想って、側に居ようとしていたんだと思う。


優しいね、キミは。


『(にこり…)』



彼の背中にいるお婆さんも、とても誇らしげな顔で立っている。きっと、お婆さんもお孫さんである錦野くんの優しさが大好きなのだろう。


「…そうだよ。母さんから聞いたんだ。父さんの倒れていた場所がここだって」



視線の先には、小さな花がいけられた小瓶が道の脇にひっそりと置いてあった。

恐らくは、彼のお母さんがそっと手向けた物だろう。



「……そういうこと。だから、確認したくて来たわけか。なら、このままで終わらせていいわけないよね」


「大林?」


「幸い、姿は視えずらくても気配はある。最後に消える前に、〈 貴方 〉の想いを僅かにでも掬いとることはできるはずです。どうか、僕に貴方の“未練”を託してみませんか?」



僕は強く頷くと、花の前にしゃがんで手を合わせる。

この花を手向けた人、手向けられた人。

両方の想いに寄り添って目を閉じる。



ーふわり…


『 ーーーー…… 』


「…雨の匂いだ。」


「え?雨なんて降ってないよ?急にどうしたの?」



手を合わせ、ここで亡くなった男性へと心の中で語りかけると、フワリと雨の香りが辺りに漂う。


同時に〈うずくまった男性〉が隣に現れ、僕へと何かを訴えてきていた。


声は聞こえない。今、僕に感じることができるのは〈 匂い 〉〈 感触 〉〈 視覚 〉だけのようだ。


〈匂い〉は新たな発見だ。自分から関わろうとしたことで、新たなチカラが開門したのかもしれない。


雨の香り…。熱いアスファルトを雨が打ち、蒸発する時の香りだ。



「だ、大丈夫か?顔色が悪いぞ!?」


「た、大変だ!誰か呼ばないと!」


「……大丈夫。今、〈 男性 〉と話してるところだから。このままにしておいて」


「そ、そんなこと言われても…」


「わ、分かった。でも、やばくなったら言ってくれよ。すぐに人を呼ぶから」


「ありがとう…」



雨の香りが強くなった。

それと同時に胸が鈍い痛みが広がる。

なるほど、これが〈男性〉の亡くなった時の状況か。


雨が降り出して、慌てて走り出そうとしたら胸が痛くなって倒れたんだね。


そして、倒れた身体に無情にも豪雨が降り注ぎ、そのままお亡くなりになったってことか。


それじゃあ、この胸の苦しみを彼は訴えているということ?



「この胸の痛みや雨で発見が遅れたことへの無念が〈貴方〉をここに縛り付けているんですか?」


『ーー……( ふるふる…… )』


「いや、違う?僕は何かを見落としている?」


『ーー……』



ー カサ…


ギュッ!と手に何か手渡される感触がした。

この手触りはビニール袋か?



「ビニール袋…?何か買ってきたのか。意識がどうしてもそこに引っ張られる。それが気になって仕方がない感じだ」


「ビニール袋?買い物中だったのか?そんな話、母さんはしてなかったぞ?弁当でも買ってきたのか?」


「いや……とっても軽い物だよ。小さな箱が入ってたみたいだ。本当に小さな箱だよ。それを思うと、とっても期待に胸が熱くなる。同時にとても悲しくて、とても切なくて、とても悔しくて、とてもとても……申し訳ない気持ちになった。その箱だ。その箱が今回の鍵みたいだ。」


「“小さな箱”…?」


『ーーー…』



小さな箱のことを伝えたことで満足したのか、はたまた、無理に僕が干渉したことで〈念〉がまた希薄になってしまったのか。

〈男性の霊〉の気配は意識しなければ難しいほどまでになっていた。



「これ以上は、〈男性〉へ負担が大きい。ここら辺で、終わった方がいいみたいだ」


「……俺、母さんに聞いてみる」


「分かった。僕も知り合いに聞いてみるよ」



今日のところはここまでだと、二人と別れて自宅へと歩き出す。

僕は一度、歩道橋の上に目を移す。


そこにいた女性は歩道橋の手すりへと身を乗り出し、そのまま道路へと落下していった。

霊である彼女の姿は、普通の人には視えない。

気付けば再び、女性は歩道橋の上に立ち行き交う車を眺めていた。


彼女もまた〈未練〉に取り憑かれた亡者なのだろう。


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