第35話
「成程。覚えていない、か」
ホームズが繰り返す。意外にシャープな線で造作された顔からはどんな感情も読み取れない。けれど当然だ。そもそも作り物のキャラクターにどんな感情もあるわけない。
「では先坂くんは」
「……覚えてます」
ややためらった後に、先坂は認めた。洋子はいっそう暗い気持ちになった。泥棒だが正直者の先坂と、未遂に終わったが嘘吐きの洋子。どちらが好印象かなんて考えるまでもない。だいたい洋子の犯行を未然に防いだのだって先坂だ。
「ではなぜそうしようと思ったんだろう。嫌がらせではないと言ったね」
「違います」
「下着や短パンが足りなくて困っていた」
「いいえ」
「誰のでもいいから同級生の女の子のパンツが欲しかった」
「液晶割るわよ」
「空くんが身に着けている物が欲しかった」
「そうだと思います……けど」
「けど?」
「やっぱりそんなの変です。どうして私が他人のパンツなんか欲しがらないといけないの。意味が分らないわ!」
なにその頭の悪そうな逆切れ、と普段の洋子なら突っ込んだかもしれない。だが今は全く同じ気持ちだった。
「わたしは可愛いパンツ見たら欲しいって思うけどな」
「逢田さん、たぶん今はそういう話はしていないわ。
「はい、ごめんなさいでした」
ホームズは先坂との対話を続ける。
「先坂くん、きみは空くんのパンツが欲しかった。だがなぜ欲しくなってしまったのかは分らない。そういうことだね」
「自分でも変だとは思いますけど……っていうより、たぶん自分で自分が一番変だと思ってる」
「いや、きみはまだ変さを十分に認識しているとは言えないな」
「……どういう意味ですか」
先坂はさすがに鼻白む。
「空くんが転校してくることをきみは事前に知っていた?」
「一応。父から電話があったので」
不機嫌そうに答える。
「では空くんがゲストハウスに泊まることは」
「それは知りませんでした。ランニングして通り掛かった時に、もしかしたらいるのかなとは思いましたけど」
「空くんのことは以前から知っていたんだろうか。直接会ったことがなくても、写真などで顔を見たことがあったとか」
「いいえ。あ、でももしかしたらパーティーとかで擦れ違ったりとかは……ある?」
空の方を向いて尋ねる。
「ないと思う。わたしそういうの出たことないし」
政財界の社交の場などのことだろう。洋子も地元の有力者の集まりなどに顔を出させられることがある。もっともこっちはせいぜい町内会の延長程度のもので、先坂とはクラスが違うだろうが。
「今までの話を纏めると」
ホームズは両手の指先をつつき合わせた。
「先坂くんは顔を見たこともない女の子のパンツ欲しさに、当人がいるかも定かでない建物に侵入し、その場にたまたま放置されていた下着を盗み出した。これは普通に考えてかなり不合理な行動だ。目的も手段もちぐはぐに過ぎる。もし警察の取調べでそんな供述をしたとしたら、まずまともには取り合われないだろうね。きちんと筋の通った別の説明を厳しく要求されるはずだ」
「だけど私は本当に」
先坂は心細くなったように自分の身を抱き締めた。
「和藤さん、まさか警察に連絡するつもりですか?」
遊佐が厳しい面持ちになって尋ねる。ホームズは細い肩を竦めた。
「普通ならそうなるだろう」
「和藤さん!」「ちょっとあんた!」
遊佐はベッドを降り、洋子は椅子を蹴った。
「ま、待ってくれ」
二人に同時に詰め寄られて、ワトソンはおろおろと後退した。逃げ腰の態度がさらに洋子の怒りに油を注いだ。理事長の依頼とか偉そうなことを言っておきながら、結局は丸投げするのか。それも警察沙汰にするなんて最悪のやり方で。
いっそワトソンの方を逮捕させてやろうか。洋子は危険な考えを巡らせた。容疑は小学生への強制猥褻未遂だ。
「普通なら、そうだとしてさ」
偽装工作にと自らのブラウスのボタンに手を掛けた洋子を、空の声が引き止めた。
「だけど普通じゃなかったらどうなるの、ホームズちゃん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます