第31話

 放っておけば掴み合いに発展しそうな勢いだった。まず真っ先に介入すべき刈谷教諭はいの一番に教室から姿を消しており、他の生徒は関わり合いになりたくないとばかりにこそこそと退散するか、対峙する実力者二人を前に為す術なくおろおろするかのどちらかだった。

 例外はまるで二人が仲睦まじくお喋りしてでもいるかのようにのほほんと見守る空と。


「落ち着きなさいよあなた達。話がずれてるわ」

 大さじと小さじを間違えてる、と指摘するような調子で遊佐は言った。

 洋子と先坂は完全にシンクロした動きで遊佐の方に顔を向けた。息が合ってるなあ、と空は密かに感心した。


「ねえ先坂、逢田さんとは絶対に二人きりじゃないと駄目な用事なの?  例えば愛の告白をするとか」

「ばっ、馬鹿なこと言わないで。捩じるわよ!?」

 先坂は顔を真赤にして否定した。


「それで洋子の方は、自分以外の人が逢田さんと親密な時間を過ごすなんて絶対に許せないと」

「あたしが言ってるはそういうことじゃなくて!」


「じゃあ先坂の人格が信用できないっていうことね。逢田さんを傷つけるような行動を取るに決まってるって思ってるんだ」

「そこまでは言わないけど」


「逢田さんはどうなの?」

「わたし?」

 空は何を訊かれたのか分らなかった。


「先坂と二人きりになるのは嫌?」

「全然嫌じゃないよ」

「じゃあ先坂と二人きりになるのと、その場に洋子がいるのとではどっちがいい?」

 遊佐は何気ない振りで決定的な質問を放った。洋子と先坂の目の色が変わる。


「そんなの分んない」

 空はあっさりと答えた。洋子と先坂が揃って肩を落とす。

「洋子ちゃんがいてくれるのは嬉しいけど、その方がいいかどうかは決められないよ。結果としてよかったかどうかなら後で言えるかもしれないけど」


「道理ね」

 遊佐は頷くと、互いにそっぽを向いている二人に言った。

「ひとまず休戦ってことでいいわね」


 四人揃って校舎を出る。和気藹々という雰囲気には遠かったが、一触即発というほど険悪でもない。

 遊佐は二人を取り成すまではしても、取り持つ気まではないらしかった。洋子と先坂には構わず、空と他愛のない会話を交わす。後の二人はずっと微妙な距離を開けていて、このままうやむやのうちに解散かと思われたが、意外な人物が寮の玄関先で少女達を待っていた。


「やあお帰り。しっかりと勉強してきたかな」

 ハンチングを被った少女は、咥えていたパイプを手に持つと皆を迎え入れるように腕を広げた。


「三人一緒とは好都合だ。おまけに協力してくれそうな善意の第三者までいる。駆り出しにはうってつけだね」

「あ……」

 真っ先に反応したのは洋子だった。


「あ、とは?」

 ホームズが尋ねる。

「あんたこんなところで何してるのよ? 本気で通報するよ?」


「そうしたいのならば、すればいいさ」

 実際に警察を呼んでしまいそうな剣幕の洋子に、ホームズは落ち着き払って応じる。


「けれどなんと言って説明するつもりだい。ワトソンがここにいることには何ら違法性はない。彼は学院の住み込みの職員で、敷地内はもちろんのこと、必要があれば校舎や寮の中でだって作業をする。校舎内に入るのは放課後や休日が多いし、逆に寮については授業中が多いから、きみたちが見掛ける機会はそう頻繁ではないかもしれないけれど、それでも珍しいというほどではないだろう」


 洋子は悔しげに口元を引き結んだ。不本意ながらホームズの主張の正しさを認めたらしい。


「じゃあ一緒にお部屋で遊んだりもできるのかな」

「できるわけないでしょっ!」

 腹いせのように空の質問を否定する。先坂も当然だというように頷いた。遊佐だけは何事か考えているような風情だ。


 ホームズがワトソンに確認した。

「できないかな、ワトソン?」

「仕事だからね」

 タブレットPCを白衣の前で抱えた青年が答えた。例によって芝居掛かった口調だが、目はいつも以上に落ち着きがない。どうも緊張している様子だ。


「いくら部屋に出入りできるからといっても児童と一緒に遊んだりはできないさ。たとえ仕事が休みの日でもね」


「厳しいんですね」

「甘過ぎると思うわ。中に入れるのは仕方ないとしても、その間監視は付けるべき」

「あの、ちょっといいですか」

 遊佐が口を挟んだ。


「和藤さんは私達の部屋に入れるんですか?」

「当然だろう」

 画面の中の少女が答える。


「誰がきみたちの部屋の電灯を交換したりエアコンのフィルターを掃除したりしてると思ってるんだい。ワトソンはマスターキーだって持っている」

 その意味が全員の頭に沁み込むのを待つように間を置いてから、ホームズは続けた。


「つまりきみたちが学校に行っている間、ワトソンは部屋に入り放題だしパンツだって盗み放題だということだ。仮に戸締りがきちんとされていたとしてもね」

「……やっぱりそういうことだったのね」

 洋子の声が震えを帯びた。だがそれは恐怖や悲しみが原因ではなさそうだった。


「パンツを盗んだのも、寝込みを襲ったのも、短パンを盗んだのも、全部あんたの仕業だったんだ。もし自白して許して貰おうなんて甘い考えでいるんなら舐め過ぎだから。きっちり責任は取らせるわよ。理事長の孫だかなんだか知らないけど、揉み消したりなんて絶対させないからね」


 洋子はワトソンを睨め上げながらずいと迫った。その分ワトソンは後ろに下がり、だが洋子はそれ以上に距離を詰める。

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