第3話

 ホームズが前を示した。その先には小屋と小さな家との中間ぐらいの建物があった。壁は黒ずんだ木の板で、屋根はトタンで葺かれている。特に奇妙な造りではないと思うが、学校の敷地内にあることを考えればちょっと変わっているかもしれない。


「入りたまえ。ワトソン博士がきみの必要としているものを提供できる。彼はちょっとしたコレクターでね。好きなものを選ぶといい」

「必要なものってなんですか?」

「もちろん縞パンだ」

 その答えに空は少なからず困惑した。


「遠慮することはないよ。ワトソンは文字通り有り余るほど持っている。実質的には未使用だから衛生面にも問題はない」

 空は問うようにワトソンを見上げた。ワトソンはややためらう素振りを示した後に頷いた。


「ホームズの言ったことは正しい。狭苦しい所で申し訳ないが、どうぞ」

 留め金の錠を外して引き戸を開ける。

「それじゃあ、お邪魔します」


 ワトソンの勧めに応じて敷居を越える。薄暗くて中の様子はよく見えない。だが食べ物やら洗濯物やら家具やら男の人の体臭やらが色々と混じり合った、生活の匂いがする。

 どうやらワトソンはここで暮らしているらしい。きっとホームズも一緒だろう。


「和室だから靴は脱いで。上がったら適当に座ってくつろいでくれ」

 ワトソンは言った。だが空にそんな暇は生まれなかった。

「くつろいでくれ、じゃなーいっ!」

「あいたっ!」

 聞き覚えのある元気な声が後ろから飛んできて、同時にワトソンが悲鳴を上げた。


「きゃっ」

 後ろからスカートを引っ張られた空はひとたまりもなく尻餅をつき、直後、体勢を崩したワトソンが空の背中に伸し掛かる。重い。


「なにしてんだこら、離れろ変態!」

「待って、つま先で蹴らないでくれ、本気で痛いっ」

 闖入者に追い立てられたワトソンは情けない悲鳴を上げながら空をまたぎ越して部屋の中に転げ込んだ。その拍子にノートぐらいの大きさの平たい物体が床に落ち、軽い音を立てた。


「逢田さん平気!? まだなんにも変なことされてない?」

 赤いゴムの髪留めが視界に入り、ついで勝ち気そうな女の子が空の顔を覗き込む。

「気をしっかり持って。もし言いにくくても泣き寝入りとか駄目だからね。まずはきっちりと倍返しして、それから社会的に抹殺するの」

 口調がかなり本気っぽい。


「ありがとう洋子ちゃん、わたしは平気。それより」

 まずは洋子に返事をしてから、空は床に手を伸ばした。ワトソンが落としていったものだ。空の兄も似たような品を持っているから知っている。タブレット型のPCだ。拾い上げて表を向ける。


「大丈夫? ホームズちゃん」

 空は画面へ向かって問い掛けた。

「問題ない。こう見えてぼくはなかなか頑丈だからね」

 平面の中に描き出された少女は、落ち着いた様子で答えた。落ちた衝撃で帽子が脱げてしまったのか、結い上げられた亜麻色の髪があらわになっている。


「なにしろタフネスは探偵に必須の要件だ。優しさがぼくに備わっているかは定かでないが、もともと普通の意味では生きてない。特に資格は不要だろう」

「そうなんだ。ホームズちゃんってすごいんだね」

 なんのことだかよく分らなかったが空は適当に感心する。洋子は鼻の上に皺を寄せた。


「ばっかみたい。逢田さん、変質者のやることなんかにいちいちつき合わないでいいんだからね。いい年した大人がマンガの女の子に話し掛けるとか気持ち悪過ぎるわよ」

 存在を真っ向から否定されてもホームズは冷静だった。


「きみがぼくのことを認められないのは別に構わないがね、きみ以外の人の見解まで排除しようとするのは慎むべきだ。第一にとても傲慢だし、第二にただの小学生であるきみが他者の認識に干渉するのは実際問題として不可能だ」


「ふん、なんだか難しそうなこと言ったってあたしはごまかされないんだから。行こう逢田さん。もうとっくに帰りの会の時間になってる」

「あ、うん」

 洋子に手を取られて空はようやく立ち上がる。


「そうだ、ゴミ箱」

 すっかり忘れていた。どこにやったっけ。

「あたしが持ってきた。池の傍に置いてあったから」

 さすがの手回しのよさである。空は洋子に抱きついた。


「ありがとう洋子ちゃん。迷惑かけてごめんね」

「あ……あたしはただ、学級委員として当然のことをしただけで、別に逢田さんが可愛いからとかじゃなくて」


「ちょっと待った。ホームズを返してくれ」

 洋子と寄り添って外へ出ようとした空をワトソンが慌てたように引き止めた。

「そうでした。すいません」

 片手にタブレットを持ったままだった。


「そんなのその辺に捨てちゃえばいいのよ」

 洋子が憎まれ口を叩く。

「乱暴に扱うのはやめてくれたまえよ。ぼくは平気でも機械の方が壊れてしまう」

「ホームズちゃんは平気なの?」


「ここには仮に宿っているだけだからね。駄目になったら別の機体に移ればいいだけだ。もっとも余り低スペックな形代かたしろだと活動に支障をきたすかもしれないが」

 そういうものなのか。コンピュータには詳しくないのでいまひとつぴんと来なかった。だがホームズが元気でいられるなら空としてはそれでいい。

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