第16話

「おはよう逢田さん」

「望月さん、おはよう」

「はよー、洋子、逢田さんもおはよう」

「おはよ、なつき」

「おはよう、高野さん」


 転校してまだ二日目の空だが、既に大半のクラスメイト達に受け入れられていた。人望と実力とを兼ね備えた洋子の威光もあるのだろうが、空とて元より人見知りする質ではない。


「おはよう」

 始ちゃん、と続ける前に空は軌道を変えた。

「先坂さん」

「……おはよう、逢田さん」


 気を遣った甲斐があったのか、先坂は少なくとも無視はしなかった。

 仄かに嬉しく思いながら空は自分の席につく。廊下側の一番後ろで、六×五列の方形に並んだ机からここだけはみ出しているので、転入に伴って追加されたのが瞭然だ。


「ねえ先坂さん、一つ後ろにずれない?」

 洋子が言った。空の斜め前の席で先坂が不機嫌そうに応じる。

「どうして私がそんなことをしないといけないのかしら」


「だって空だけ隣がいないのって可哀相じゃない。忘れ物した時とか分んないことがあった時とかも不便だろうし」

「忘れ物はしなければいいのだし、授業中に分らないことがあったら手を挙げて質問するなり後で先生に訊きにいくなりすれば済むことでしょう。決まった並び順をわざわざ乱す理由になるとは思えないわね。だいいち」

 先坂は空を睨みつけた。だが短い間だけのことで、すぐに洋子に視線を戻した。


「後から入って来た余計な人のせいで、元からいる人が不便なのを我慢するなんて話が逆だわ」

 決して大きな声ではなかった。それでも周りに届くには十分だった。もちろん空のところにも。


「わたしもそう思うよ」

 空気が薄くなったみたいな沈黙を突いて空は言った。

「できるだけ迷惑掛けないようにする。だからもしわたしによくないところがあったら、先坂さんが教えてね」


 先坂の背中が強ばった。ぎこちない動きで机の中から教科書を取り出して眺め始める。


「私は暇じゃないの。あなたの面倒なんて見てられないわ」

 背中越しに投げられた言葉に空は面を伏せた。

「お勉強の邪魔しちゃったね。ごめんなさい」


「どうして空が謝る必要あるの。先坂さん学級委員なんだからクラスの人の面倒見るのなんて当り前じゃない」

「それは学級委員長さんにお願いするわ。私はしょせん副だから。そんな大役は無理よ」


「何それ、僻み? かっこ悪い。父親譲りって感じね」

「どういう意味よ」

 先坂の気圧が急激に低下した。あっという間に雷雲まで発生したかのようだった。


「私は私よ。親のことなんか関係ないわ。逢田さん、あなたが姫木さんに何か吹き込んだのね? 上辺だけ取り繕って腹の中ではずっと私のこと見下してたんだわ。最低」

 怒気が蒼白い稲光となって閃いているみたいだった。


「始ちゃん、わたしは」

「その名前で呼ばないで」

 平手打ちのように先坂が遮る。


「先坂さん違う、空はあなたのことなんて全然」

「うるさい、もう沢山!」

 先坂はやにわに席を立って、そのまま教室を出て行ってしまった。


「……しょうがないね。親を持ち出したのは完全にあたしが悪かった」

 洋子はため息をついた。


「ごめんね空、なんかあんたのせいみたいに思わせちゃった。後でちゃんとあたしから謝っとくから。あんたは気にしないでいいよ」

 重い足取りで自分の席へ向かう。

 だが始業時間になっても先坂は教室に戻って来なかった。

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