第38話
洋子は先坂の手を掴んで引っ張り上げた。先坂は重い動きながら抵抗することなく立ち上がる。意識の混乱はありそうだが、中身はいつもの先坂のようだ。どうにか正気に返ったらしい。それにしても今のはいったい何だったのか。
「ねえ綾香、あんたも感じたよね、なんか風みたいなのが……」
遊佐ならばきっと落ち着いて状況を整理してくれる。振り向いた洋子の期待はしかし完璧に裏切られた。
顔つきが違うとか目の色が尋常じゃないとかそういうちゃちなものでは断じてなかった。
遊佐の上に、白衣を着た男が被さっている。というか男を透かして遊佐が中にいるのが見える。意識がないのか、遊佐の目は閉じていた。だが穏やかに眠っているような感じで苦しそうな様子がないのは幸いだ。
「これは……まだ夢、か?」
半透明の白衣の男が言った。寒天みたいに影が薄いくせに意外とはっきりした声だ。
「君は、確か」
男は洋子に目を止めた。
「覚えがある。空のルームメイトだ。空と仲良くしてくれるのはありがたいが、同じ部屋で寝泊まりするのをいいことに不埒な真似をするのはやめてくれ。嫁入り前の大事な身だ」
根も葉もないひどい言い掛かりだ。
「あたしと空は友達です。友情を育むのに適度なスキンシップを取るのは当り前……っていうかとにかくおかしな心配しないでください。それに嫁入り前ってなんですか。どれだけ先の話してるんですか」
「空さえよければ今からでも」
また変態が増えた。頭を抱えたくなる。かなりの残念さ加減だ。見るからに格好だけといったワトソンとは違い、白衣は研究者然として様になっているし、凛々しくも優しい面立ちはかなりの美形だ。なのに女子小学生を嫁にすることを大真面目に語るこの罪人の正体はおそらく、いや間違いなく。
「お兄ちゃん!」
「空!!」
空を見た怪人、いや逢田兄は歓喜した。世間的にはどれだけ頭がおかしくても、空を心から愛していることだけは確からしい。
「お前は本当に可愛いなあ。新しい制服もよく似合ってるよ。傍においで。お兄ちゃんが抱っこして頭を撫でてあげるから……あれ」
逢田兄は空に手を差し伸べた格好のまま固まった。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
空もベッドに近付こうとした途中で足を止める。
「分らない。体が重い。まるで縛り付けられてるみたいだ。ここから先に進めない。どういうことだ?」
もちろん洋子にだってまるで見当もつかない。だが答えを知る者がそこにいた。
「それはね、
鈴の鳴るような声音が告げた。
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