第12話
だがそれだけなら空が独りで何かそういう行為をしていたのだとどぎまぎしながらも納得して、美緒と奈美を即行で寝かしつけて、自分もすぐにベッドに入って頭から布団を被ってきつく目を閉じてしまえばよかった。
しかし空の上には何かがいた。人の形をしている。体格からして寮の子とは思い難い。大人で、おそらくは男。下を向いていて顔は見えない。だが特徴的な格好をしている。白衣。学院をうろつく変態の愛用品。
「ワトソン、あんたっ!!」
ほとんど金縛り状態だった洋子は、自身が上げた声に弾かれたようにしてベッドへと突進した。白衣の怪人が不意を衝かれたようにこちらに顔を上げる。
「きゃっ!?」
いきなり突風が吹いた、気がした。洋子は思わず目を閉じて、そして再び開いた時にはまるで初めからそうだったみたいにカーテンは静かに垂れ下がっていた。
「何よ、今の……?」
呆然と呟く。白衣の怪人の仕業だろうか。小型の強力扇風機でも動かしたのか。だがいったい何のために。
いや今はそんなことに頭を悩ませている場合じゃない。
「空!」
洋子は勉強机から缶のペン立てを引っ掴むと、ベッドに走り寄って一気にカーテンを引いた。
振り上げたペン立てを思い切り怪人の頭に叩きつける、つもりだった洋子はしかし息を呑んだ。
「……いない?」
怪人は消えていた。広くもないベッドの端から端まで視線を走らせても影も形も見当らない。空の足元に丸まっている毛布を剥いでみたが、体を縮めて潜んでいたりもしなかった。
状況に頭が追い付かない。
「洋子ちゃん?」
背後からの不安げな呼び掛けに、洋子は半ば反射のように答える。
「美緒、こっちはなんでもないから、早く奈美寝かせてあんたも寝て」
「でも」
「いいから……あ、でもその前に」
洋子は隣の部屋へ行くと、びくついている美緒と半分眠っている奈美をベッドの方へ押しやった。部屋の電気を点け、室内をざっと見回したが異常はない。窓の鍵を念入りに奥まで押し込み、廊下に面したドアを施錠する。
「美緒、今日は奈美と一緒に寝て」
ベッドの上の段から枕を取って美緒に渡す。
「うん」
「それとあたしが向こうに戻ったらドアの前に椅子を並べて置いておいて」
二部屋を繋ぐドアには鍵がない。バリケードとしてはいかにも貧弱だが、押し通ろうとすれば音を立てる。ないよりはましだろう。
「もし何かあったらすぐに大声出してあたしを呼ぶのよ」
「洋子ちゃん、待って」
自分の部屋に戻ろうとした洋子の袖を美緒が掴んだ。
「洋子ちゃんもこっちで寝ようよ。奈美のベッド使えばいいんだし。その方が安心だよ」
提案を装ったお願いに、しかし洋子は首を振る。
「あたし一人ならそうするんだけど」
「洋子ちゃんだって奈美のことが心配でしょう? 今日来た人ならもう六年生なんだから一人だって大丈夫だよ」
「こら美緒」
洋子はきつい声を出した。
「あんたがそういうこと言うならあたしが奈美と一緒に向こうで寝るわ。もう二年生なんだから一人でも平気よね?」
美緒の手を振り払い、立ったまま目を閉じている奈美を前に押しやる。ドアのところまで来て振り返ると、目に涙を溜めた美緒が、洋子へと中途半端に手を差し伸ばしていた。
「それでもいい?」
美緒は口を開かなかった。反抗的になっているのではなく、洋子をこれ以上怒らせることを恐れているのだろう。
「美緒、ちゃんと答えて。一人で残るのと奈美と二人で寝るのとどっちがいい?」
「……奈美とがいい」
「分った」
洋子は美緒の傍に戻ると奈美と二人まとめて抱き締めた。
「ねえ美緒、空があんたに何か意地悪なことした?」
「してない」
「なのに意地悪なこと言ったら駄目だよ」
「うん、ごめんなさい」
「じゃああたしは行くから。奈美は美緒が守るんだよ」
「はい」
「よし、いい子」
洋子は美緒の頭を撫でると身を返した。
「さて、と」
自室に入り、間のドアを閉じる。美緒には大人振ってみせたものの、洋子だって平静からはほど遠い。理解不能な体験をしていたさなかより、少し時間を置いた今の方がかえって色々と怖いことを考えてしまいそうだ。
空はさっきうなされていたのが嘘のように安らかに寝入っている。そのせいで乱れた格好がいっそう際立って洋子の目に映る。
女の子どうしなんだから別に意識することなんてない。ちょっと前にはお風呂だって一緒に入ったんだし。
そう自分に言い聞かせながら、外れていた空のパジャマのボタンを留めて、ずり下がっていたパンツとスボンをはかせる。その間も空は全く目を覚ます気配がない。仕上げに足元に丸まっていた毛布を掛けると、洋子はほっと息をついた。手の甲で額を拭う。なんだか変な汗をかいてしまった。いや何も変じゃない。ばたばたしたせいで暑くなってきただけだ。まだ九月も半ばだし。
落ち着け。あたしはいつも通りだ。
ベッドのカーテンは開けたままにしておいた。視界から隠された途端に再び怪人が出現したらと想像すると嫌過ぎる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます