第25話

「いいよ洋子ちゃん、こんなのなんでもないから」

 パジャマを着終わった空がふわりと抱き付く。

「お部屋に戻ろう。わたしもう眠くなってきちゃった」


「眠くって……まだ九時だよ」

 空に押されるようにして出口に向かう。浴室から水音が届き、どうせなら遊佐を待ったらとちらりと思ったが、向こうにすれば迷惑かもしれない。


「もう九時だよ」

 空は欠伸を洩らした。洋子を気遣っての口実とかではなくほんとに眠いようだ。

 廊下に出る。

 まだ消灯にはなっていなかったので、人がいることにはすぐに気付いた。それが誰であるのかも。


先坂さきさかさん?」

 俯いていた先坂は、暗闇でいきなり光を浴びせられたみたいに身を強ばらせた。そして二人の姿を認めて大きく瞬きをする。


姫木ひめぎさんと逢田さん……どうして?」

「どうしてって、お風呂に決まってるじゃない」

 実際に入浴していたのは空だけだが、説明するとややこしくなるので黙っておく。


「お風呂……」

 先坂は霞のかかったような目でパジャマを着た空を見た。その視線がだんだん下がっていき、腰の位置で止まる。まるでその奥を透かし見ようとするみたいに目を凝らす。


「ちょっと、なんなのよいったい」

 洋子は空を隠すように前に出た。おかしい。苛立たしげに睨みつけるというのなら分る。先坂はたまにそういうことをする。でも今はそうじゃない。奇妙に熱っぽく、それでいて心ここに在らずというようなやけに虚ろな目付きだ。


「下着」

「え?」

 先坂がぽろりとこぼした。その単語は釣り針のように洋子の意識を引っ掛けた。


「下着がどうしたのよ。あんた何か知ってるの?」

 即座に食いついた。そもそも先坂はこんなところで一人で何をしていたのだ。余りにも怪し過ぎる。


 まさか先坂が空のパンツを盗んだのだろうか。しかしいったいどうやって。洋子が肌身離さず見張っていたのに。

 あれ、何か違う。心に微小な棘が刺さるが、正体を突き止めようとするより先に先坂が予想もつかない攻撃を繰り出した。


「やっ!? こらっ、何するのっ」

 洋子のショートパンツの前ポケットに先坂はいきなり手を突っ込んだ。それも左右の両刀遣い、ゴムのウエストは勢いに抗せずにひとたまりもなく足首までずり下がる。


「どういうつもりよこの変態!」

 洋子は赤面してしゃがみ込み、先坂のことを睨め上げた。

 先坂は無言で両手を前に突き出した。洋子は唖然と目を見開いた。直前までは確かに何も持っていなかったのに、今は左右のそれぞれに小さな布切れが載っていた。


「それ、どうして」

「どうしてかなんてあなたが一番よく知ってるでしょう。あなたのポケットの中に入ってたんだから」


 そんなわけがない、と言いたかった。先坂の右手にあるピンクの水玉は間違いなくさっきまで空がはいていたもので、左手のクリーム色の方は空がお風呂上がりにはこうとしていたものだ。


「なんだ、洋子ちゃんが持ってたの?」

 すぐ後ろで聞こえた声に思わず身を竦める。

「そ、空、これはね、その」

 洋子はショートパンツをはき直し、おずおずと立ち上がった。


「そんなつもりじゃなくて、あたしはただ」

 ただ、なんだというのだ。そんなつもりじゃなかったのなら、どんなつもりだったというのだ。


 見苦しい言い訳はやめて神妙にお縄を頂戴しろ、これが動かぬ証拠だ、とばかりに先坂がぐいと空のパンツを迫らせる。そのどちらに顔を埋めてくんかくんかしようかと迷いながら、いやそんなのはさっきまではいていた方に決まっている、ではなく事ここに至っては本当のことを打ち明けようと洋子は決めた。


「空、あたしね!」

 がばりと振り向いて空の両肩に手を載せた。目と目を合わせて誠意を尽くせばきっと気持ちは伝わるはずだ。


「あたしほんとは……ええっと」

 なのに話さなければいけないことを一つとして思い付かなかった。あたしはどうして空のパンツをポケットの中にしまったんだっけ。もし自分の物にしたかったのなら、わざわざこんな機会を選ぶ必要はない。なにせ一緒の部屋に住んでいるのだ。いつでも手に取れるはずなのに。


 どうしても脱ぎたての味と香りを楽しみたかったから?

 うん、それはあるかもしれない。

 いやあってたまるか。


 空は可愛い。大好きだ。自分にそっちの趣味があるかもなんてこれまで考えたこともなかったけれど、ひょっとしたら女の子として女の子の空のことを好きになってしまったのかもしれないとさえ思う。だがたとえそうだとしても。


 こんなのは違う。汚れ物に変態っぽい欲情を抱いて盗むなんてあり得ない。そんな自分は認めない。というかそれ以前に。

 自分でやった覚えがない。


「いつまで私に持たせておくつもりよ」

 先坂は洋子の両頬にパンツを擦りつけんばかりにして近付けた。洋子が雛鳥を扱うように受け取ると、先坂は一呼吸置いてから指を離した。


「寮であんまり変な真似しないでほしいわね」

 不機嫌そうに言うと、早足で居室の方へ戻っていった。

 結局どういう理由でここにいたのだろう。不可解な疑問ばかりが残る。

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