第7話
「逢田空です。よろしくお願いします」
空は腰を屈めて奈美の頭を撫でた。すると奈美はいっそう強く体をくっつけて、子供らしい甘い匂いが空の鼻をくすぐった。
「美緒ちゃんもよろしくお願いします」
奈美を腰にまとわりつかせたまま美緒の元へ行く。
「よ、よろしくお願いします」
掠れ気味の声で答えると美緒はすぐに教科書に視線を移した。
「算数のお勉強してるんだ。偉いね」
「別に……ただ宿題やってるだけなので」
「今度わたしにも教えてね」
「え」
美緒は冗談なのか本気なのか測りかねたように空を見る。空は几帳面な文字で記された美緒のノートを熱心に覗き込む。
「逢田さん、馬鹿なこと言ってないで。美緒、奈美、今からお風呂行くからあんた達も支度しなさい」
「はーい」「うん」
それぞれに返事をすると二人はベッドの下の引き出しに手を掛けた。
「逢田さんも。荷物はあの箱でいいんだよね。先に着替えちゃえば?」
「うん、そうだね」
自分の部屋に戻った空は、廊下側のドアの脇に置いてあったダンボールを開いた。中身は衣類がほとんどだ。あとはヘアブラシや歯磨きセットといった生活用品がいくらか。
とりあえずデニムパンツとTシャツ、それに下着を取り出す。残りの服や何かを整理するのはお風呂とご飯を済ませた後でゆっくりやればいいだろう。もともとたいした量でもない。たぶん今夜中に終わるはず。
スカートを脱いでいったんベッドの上に置いた。二つ並んだクローゼットのうち廊下側の方を開けると、服は空だったがハンガーは沢山あった。スカートを挟んで吊るせるタイプのものもある。
ベッドからスカートを取り上げてハンガーに吊るす。襟元のリボンはクローゼットの扉の裏側の出っ張りに引っ掛けた。ブラウスのボタンを外して、脱いだところでどうしようと考える。昨日から数えてもう二日着ている。もう一日ぐらいならいいが、いずれ洗濯は必要だ。替えはダンボールの中にあるから、これから洗ったとして明日の朝までに乾いていないといけないということはない。
「ねえ洋子ちゃん、ここって洗濯は」
どうすればいいの、と空は尋ねようとした。
「あ、逢田、さん……?」
だがなぜか洋子が驚愕している。
空は首を捻った。このブラウスがどうかしたのだろうか。だが広げてみても特におかしなところは見つからない。
「なんではいてないのよっ!?」
洋子はほとんど悲鳴を上げた。視線は空の下半身へ向いている。
「……なんで生えてないの?」
空は自分の下を見た。
「生えてるよ。ちょっとだけど」
「ちーがーうっ、なんでスカート脱いだだけでもう裸なの、パンツはどうしたのよ!」
「わたしもよく分んないんだけど」
「分んないわけないでしょう!!」
洋子は空に説明する暇を与えなかった。マシンガンみたいに三点バーストで質問を放つ。
「まさか朝からずっとはいてなかったの? 一日中? ノーパンでいたの?」
「朝シャワー浴びるのに脱いでからはずっと」
「信じらんない……ってか意味分んない」
洋子は呆然と呟いた。空を見る目がガラス玉のようになっている。だがそれも長い間のことではなかった。
「あれー、空ちゃんもうはだかになってる。おふろはここじゃないよー」
無邪気な奈美の指摘が届き、洋子は即座に指示を下した。
「逢田さん、話は後、すぐにパンツはいて!」
「どうせお風呂行くんだし、このままでもいいかなって思ったんだけど」
「いいわけないじゃない! そんな格好で廊下うろうろしてたら完璧に変態よ。いくら女子寮っていっても、限度っていうか常識ってものがあるんだから」
「ジーパンははいてくつもりだったよ」
答えながらも空はさっきダンボールから出したばかりのパンツを身に着けた。薄いピンクの地に濃いピンクの水玉だ。
こちらの部屋に入ってきた奈美はベッドに腰を下ろして足をぶらぶらさせ始める。膝の上にピンク髪の女の子がプリントされたビニールバッグを載せていた。中身はタオルや着替えだろう。
似たようなバッグ(こちらは“WooSA―CHAN”という文字の付いたうさぎの絵)を手にした美緒は、ドアの辺りで様子を窺うように立っている。
「ごめん奈美美緒、やっぱりお風呂はご飯の後にするから」
年少の二人に向けて洋子は言った。
「ちょっと逢田さんと話さなくちゃいけないの」
「うん」
美緒は聞き分けよく頷いた。
「奈美、おいで」
だが奈美は空の傍に来て手を握ると、神社の鈴を鳴らすみたいに揺すった。
「ナミも空ちゃんとお話する。いいでしょう?」
「うん、いいよ」「駄目、後で」
空と洋子は同時に答える。
「奈美、洋子ちゃんの言うこと聞いて」
美緒は遠慮がちにこちらに入ってくると奈美の手を引いた。
「早く」
「でも空ちゃんはいいって言ったのに」
「そうだね。言ったよ」
空は奈美と視線を合わせ、子供らしいふっくらした頬を両掌で包み込む。
「だから洋子ちゃんとのお話が終わったら奈美ちゃんのところに行ってもいい?」
「うんっ、いいよ!」
「ありがとう奈美ちゃん」
年少組が隣の部屋に戻ると、洋子は感心したように言った。
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