第5話 ブラックベリー・フォレストの古城

 翌日。

 ランドルフが食糧を調達して帰ると、ディアナが扉の前で彼を出迎えた。


「領主に呼び出された」


 そして、開口一番にそう告げられる。


「そうかい。帰りはいつになる?」

「君も共に来い、とのことだ」

「…………。うへぇ」


 正直なところ、ランドルフとていつかはそうなる気がしていた。……が、端的たんてきに言って面倒くさいことこの上ない。領主への謁見えっけんも、自分がかつて魔獣であった事情も、これから先聴取や査問等が行われかねない可能性も、すべてが面倒くさい。


「安心するといい。悪いようにはしないと書いてある」

「本当かよ……」


 あれよあれよという間に、馬車が迎えに来る。

 魔術によってブーストをかけているため、普通の馬車より早く目的地に辿り着く……との説明に、ランドルフは露骨に眉をひそめた。


「……馬の負担は?」

「馬をよく見ろ。造り物だ。すべて、歯車とネジで出来ている」

「……! なんだこりゃ。こんな馬が世の中にいるのかい」

「魔術で動かすのであれば、本物の馬でなくとも構わないからな」

「はぁ、なるほどねぇ……」


 ランドルフの魔術に対する不信感は拭えないが、それでも、彼は新たな「技術」を少しだけ見直した。




 ***




 通称、「ブラックベリー・フォレストの古城」。

 領主が住まう館であって「城」ではないのだが、近隣の村人たちに区別のつく者は少ない。

 彼らの多くは一生のうちに一度も領主と関わることはなく、館の敷地に足を踏み入れることもない。


 謁見の間に辿り着くと、亜麻色の髪を綺麗に後ろに撫でつけた男が二人を出迎えた。


「待っていたよ、『魔獣』くん。……ああ、今は『狩人』と呼んだ方が良いのかな」


 領主は柔和にゅうわに微笑み、ランドルフを歓迎する……ような、素振りを見せている。


 ランドルフは緊張していた。

 彼とて村人達に慕われてはいたが、領主と顔を合わせたことなど一度もない。狩りの依頼も、村の役人が間接的に伝えてくるばかりだった。


「君には、頼みたいことがたくさんあるんだ」

「……それは『ご依頼』ですかい? それとも『ご命令』で?」


 態度が悪いようにも見えかねない口調だが、ランドルフに悪意はない。

 様子をうかがっているのもあるが、彼は、絶望的なまでに上流階級の礼儀を知らなかった。


「どうしようかなぁ。僕は領主だから、いつでも『命令』できてしまうんだけど、君がいい子にするなら『依頼』にしたって構わないよ」


 領主は優美な笑みを浮かべたまま、そう告げる。


「ええっと……そりゃ、何が違うんですかねえ」

「報酬かな」

「分かりやした。あっしは何をすればいいんで?」


 途端にランドルフはきりりと表情を引き締め、ピシッと背筋を伸ばす。

 あまりにわかりやすい態度に、領主だけでなく周りの側近達も苦笑する他なかった。


「別に、昔と変わらないよ。かつてのように『熟練の狩人』として、このブラックベリー・フォレストに現れる魔獣を倒して欲しい」

「……分かりやした」


 ちら、とランドルフは横目でディアナを見やる。

 ついでに、彼女の「依頼」についても尋ねようと口を開くが……


「失礼。謁見はこれで終わりです」

「えっ、早くねぇですかい」

「領主様はお忙しいので……」


 伝えるべきは伝えた、とばかりに領主は席を立つ。

 消化不良の思いが残ったまま、ランドルフはディアナと共に謁見の間を後にした。


「ディアナ・オルブライト」


 馬車に戻る寸前、ランドルフではなく、ディアナの方に呼びかける声がある。

 白髪の混じった黒髪の側近が、憎々しげな瞳でこちらを見つめていた。


「いつまでも大きな顔をしていられると思うな。化け物風情が」


 咄嗟とっさに、ランドルフは男の肩を掴んで問い詰めようとした。

 ……が、それは叶わなかった。


 乾いた張り手の音が廊下に響く。


 倒れ伏した側近は、赤くなった頬を抑えて相手を見上げ、ぎりりと歯噛みした。


「どうしようかなぁ。僕は領主だから、いつでも『命令』できてしまうんだ」


 ……側近に手を振り上げたのは、先程ランドルフに魔獣退治を「依頼」したばかりの領主だった。


「……ッ、『偽物』風情が……」

「僕のことはどう言ってくれても構わない。だけど……『オルブライト家』の栄光をけがす真似は許さないよ」


 蒼い瞳が見開かれ、爛々らんらんと輝く。

 この期に及んでも、彼の口元だけは優美な微笑みを浮かべていた。


「フィーバス・オルブライトの名を持って、君をこの場で『処断』したっていいんだ」

「……申し訳ありませんでした。あろうことか、『妹君』に不躾ぶしつけな真似を……」


 妹ぉ!?

 ランドルフは間抜けな声をどうにか飲み込んだが、表情にはありありと混乱と疑問が浮かんでいた。


 側近は納得できていないどころか、いかにも屈辱といった様子で唇を噛み締めている。

 対するディアナは、終始無表情で場を見守っていた。


「(そ、そういやオルブライトって領主の家名だったっけか……いや、俺の時は前領主だったような? くそ、頭がこんがらがってきた……)」


 いち平民であるランドルフには、見えない事情があまりに多い。

 ディアナはしばし無言で成り行きを見守っていたが、やがて、「行くぞ」とだけ告げて馬車の昇降口に足をかけた。


「気が変わったら、いつでも言ってね」


 領主……フィーバスの言葉に振り返ることなく、ディアナは馬車の中へと乗り込んだ。


「気が変わることを望んでいるのは、貴方だ」


 その言葉だけを、背後に投げかけて。




 ***




 馬車の中。

 ランドルフは先程のことを訪ねようとも思ったが、無粋に感じて開きかけた口を閉ざした。


 どうやら、ディアナは高貴な血筋の出身らしい。それだけは、ランドルフにも理解できていた。


「今後も、君の監視は私が行う」

「……何があっても対処できるように……ってか?」

「その通りだ。私が傍にいれば、君が再び『魔獣』に戻ったとしても大した被害にはならない」


 ディアナの言葉は淡々としていた。

 自らの力を鼻にかけている素振りはなく、ただただ事実を告げているような口調だった。


「……。だけど、俺はいつか……」


 あまりに冷静に振る舞う姿のせいか、時折忘れそうにもなる。

 だが、簡単に忘れられる記憶でもない。

 ディアナは、ランドルフに「殺される」ことを望んでいるのだ。


「ああ。私の依頼に関しては、既に領主も知っている。他の担当者を呼ぶこともできるが……君が『呪いの残滓』に自分で対処できるなら、それに越したことはない」


 ディアナは変わらず、淡々と言葉を紡ぐ。

 ……と、その眉根がわずかに寄せられ、次のセリフはほんの少しだけトーンダウンした口調で発せられた。


「……ブラックベリーBlackBerry・フォレストが、他所でどう呼ばれているか知っているか」

ベリーブラックVery-black・フォレスト、だろ。俺の記憶と変わってなきゃな」

「ああ。魔獣は増え続け、領民は常に脅威に晒されている」


 長い沈黙がその場に落ちる。

 続いて放たれたディアナの言葉は、変わらず冷静だった。


「力を貸してくれ。魔獣を倒し続ければ、いずれ、私を殺す方法も解明できるはずだ」

「……分かったよ。俺だって、罪滅ぼしがしたいんでね」

「礼を言う」


 ランドルフの方を向き、微笑を浮かべるディアナ。

 その風貌は美しく、所作は洗練され、金の瞳は月光のように煌々こうこうと輝いている。


「どうした?」

「……いいや、別に……」


 彼女は確かに、目の前で狼に化けて見せた。

 高貴な血筋が、彼女を「魔獣」ではない神々しい何かに誤認させているのかもしれない。

 ……それでもだ。

 ランドルフは、彼女を「魔獣」だと認められない。


 ──気が変わったら、いつでも言ってね


 領主のセリフが、ランドルフの脳裏に蘇る。


「気が変わったら」というのは、「殺してほしい」という依頼のことだろうか。

 それとも……また、別の「何か」だろうか。


「……ぅ、ぐ……っ」


 突如、胸の奥で激しい飢餓感が頭をもたげ、思考を阻害する。

 すかさずディアナがランドルフの頭に手をかざし、暴れだした「呪い」の波は静かに治まっていった。


「……助かる」

「気にするな。仕事のうちだ」


 涼しい顔で、ディアナは言う。

 ……苦悩も、痛みも、何一つ見せずに。

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