第2話 狩人と女騎士
男が人間に戻って、初めて見た夢は悪夢だった。
仲間たちは懸命に言葉を尽くし、男を説得しようとする。
武器を構えた者、逃走した者もいたが、残った者は口々にこう言って死んでいった。
「正気に戻ってくれ、ランドルフ!!」
彼らは鋭い牙に腕を、脚を、腹を、喉笛を引き裂かれながら、それでも「狩人ランドルフ」を信じた。
物言わぬ、無惨な
***
簡素な小屋にて、男は目を覚ました。
「ああ……くそったれ」
最悪の目覚めだった。
熟練の狩人にして、昨夜まで
人間に戻った四肢を確認し、大きくため息をつく。完全に「元の肉体に戻れた」訳ではなく、「呪い」の
「失礼する」
……と、そこに、ノックの音が響いた。
ランドルフが扉の方に目を向けると、昨夜よりずいぶんと軽装になった女騎士が姿を現す。
「男物の着替えを調達した。やはり、私の服はどれも腕や脚が通らないらしい。身長も大して変わらないと思っていたが、存外そうでもなかった」
女騎士は平然と裸、しかも寝台の上にいるランドルフに近づいてくる。
ランドルフは自らの下半身が絶対に見えないよう、しっかりと毛布で覆った。
「まあ……そりゃそうだよなぁ」
「私は狼の中ではかなり大きい方だが、人間の中では『少し背が高い』の部類に入るらしい」
どうやら、女騎士は人間の肉体にそこまで慣れていないようだ。
ランドルフはちらと女騎士の体格を確認する。
目測では5.7~8フィート(約175cm~177cm)程度だろうか。6フィート(約183~185cm)のランドルフと「大して変わらない」と言うのは少しばかり無理があるが、女性にしてはそれなりに背が高い。狼形態と体長が同じだとするのなら、確かに、狼の中ではかなり大きな方だろう。
ついでに、軽装になったことで女性らしい身体のラインも視界に入る。
ランドルフは咳払いをしつつ、そっと視線を逸らした。
「で、着替えはどこで貰った」
「街で購入した。領主から、魔獣を無力化した報酬が出たからな」
「……おいおい。その『魔獣』って……」
「ああ。君のことだ」
思わず目眩がし、ランドルフは自らの目頭を押さえた。
女騎士は「大丈夫か」と、相変わらず感情の読めない声音で聞いてくる。
「……気にすんな。自己嫌悪でやられてるだけだ」
「ランドルフ・ハンター。その名の通り、君は歴戦の
「まあな。俺としたことが、
ランドルフは大きくため息をつくと、ぎろりと女騎士を睨む。
かつて自分が専門職だったからこそ、彼女のやり方には疑問が多い。……懸念は、晴らしておきたかった。
「人間に戻しただけで良いのか? 討伐は要らねぇのかよ」
「ランドルフ・ハンターの知識と経験を失うのは惜しい。それは元より、私ではなく領主の見解だ」
「……なるほどね。あんたはその話を聞いて、『人間に戻したら仕事を依頼しよう』なんて思ったわけだ」
「そういうことになる」
女騎士は、あくまで冷静に語る。
「でもよ、被害者感情ってのがあるだろ。そう簡単に住民が納得するかね?」
「君は森の奥深くをさまよっていた。人間が簡単に立ち入るような場所とは言い難い。被害と言えば、特定の土地で狩りができなかったぐらいだろう」
「……それだけじゃねぇ。人を喰った」
「それは何十年と前の話だ。もう、当時を覚えている者はほとんどいない」
「……! 何十年……そんなに経っていやがったのか……」
愕然とするランドルフ。
女騎士は、無表情のまま淡々と続ける。
「それでも、君の功績は後世にまで残った。よほど、優秀な腕を持っていたのだろう」
その言葉に、ランドルフの表情がわずかに曇った。
「……? どうした」
「俺は……別に、大層な志で魔獣を狩ってたわけじゃねぇ」
狩人として森を駆け回った日のことが、まだ昨日のことのように思い出せる。
食糧や毛皮のために獣を狩ることも、魔獣の討伐も、ランドルフには一切苦にならなかった。
「狩りが……仕事が楽しかっただけだ。嫁に出て行かれるぐらいな……」
妻は彼がまだ若者だった頃に、愛想を尽かして出ていった。
ランドルフは村人や友人たちには好かれたが、家族の理解には恵まれなかった。
──ランディ、あなた、少しおかしいわ
──良いか。お前はあまり、人前で「獣」の話をしない方がいい
何も妻に限ったことではない。実の両親でさえ、そうだった。
「別に、悪いことではないだろう。何を恥じる必要がある」
女騎士は表情を変えないまま、淡々と語る。
「楽しんで、なおかつ功績を残した。それはつまり、天職だったということにならないか」
「……ま。確かに、そういう考え方もあるか」
ランドルフは大きく伸びをし、コキコキと肩を鳴らす。何はともあれ、「自分」の身体を取り戻せたのはありがたい。
「何にせよ、ありがとな。自我があるってのは嬉しいね」
「そうか。とはいえ、油断は禁物だ」
「ああ、分かってるよ。今度は自分の中の『魔獣』と戦えってこったろ」
手の指を一つずつ折り畳んで動きを確かめながら、ランドルフは女騎士の言葉に頷く。
「そういうことだ。君には、私を殺してもらわなくてはならない」
その言葉は、やはり、平然と言い放たれた。
昨夜の
「そのことだがよ……」
そう尋ねようとした瞬間、女騎士の身体が大きく傾いた。
「……ッ、く、ぅ……」
「お、おい!? どうした!?」
ランドルフは女騎士の顔を覗き込む。
表情は軽く眉根を寄せているだけであまり変化がないが、顔色は蒼白で、冷や汗が幾つもの線を描いていた。
「気にするな。少し、疲れただけだ」
「……! あの魔術……!」
ランドルフに魔術の知識はほとんどない。
「魔術革命」により、この世界では多くの人々が魔術を扱えるようになった。
……だが、「魔術」を使うため大気中の元素を扱ったり自然に手を加えることで、獣の生態系は次第に崩れつつある。
「魔獣」もそういった問題のひとつだ。人間が扱う魔術によって生態系が荒らされ、野生生物の変異が相次いでいる。
だから、ランドルフは魔術が嫌いだった。
「……そんなに、苦労してたのか」
見た目では、そうは見えなかった。
平然と術を発動し、大した労力もなくランドルフを人に戻したようにも見えた。
「良くあることだ。寝れば治る」
女騎士は青ざめながら、床に身体を横たえる。ボタンに手をかけ始めたので、ランドルフは慌てて明後日の方を向いた。
しなやかな肢体が白い毛皮に覆われる。
モゾモゾと身体を動かし、白い狼は着衣を器用に取り外す。
そのまま、狼はくたっと床に身を横たえた。
「……っ」
ランドルフの喉が鳴る。
やはり、彼女は美しい。人間の姿もそうだが、狼の姿も……
頭をぶるぶると振り、男は
「あんた、名前は?」
枕元に置かれた着替えに手を伸ばし、ランドルフは尋ねた。
依頼を受けようが受けまいが、彼女のことを、少しでも知っておきたかった。
「ディアナ」
凛とした声音で、狼はそう答えた。
「ディアナ・オルブライト。そう、呼ばれている」
月光のように煌めく瞳が、眠そうに半分閉じられる。
「そうかい。良い名だ」
ランドルフは慈しむように微笑み、
「待ってな。精がつくもん、捕ってきてやる」
陽気な声で語りかけると、手早く身支度を済ませて起き上がる。
扉に手をかけた口元は、笑っていた。
微笑みや、満面の笑み、と言った表現は相応しくない。その表情は、
「久しぶりの、狩りの時間だ」
褐色の瞳が、ギラギラと輝きを放つ。
男は口笛を一つ吹き、小屋を後にした。
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