第一章 真の恋の道は、茨の道である
第1話 月光
「そうか。それが、君の過去か」
騎士はそう呟くと、魔術の発動を中断した。
目の前に流れていた魔獣の記憶はパッと消え失せ、夜の深い森が辺りに広がる。
魔獣の足元に、もう仲間の骸はない。
「知りたいことは知れた。これ以上覗く必要はない」
「ガルゥウウウウ……グガァァァァッ」
拘束された魔獣は
「さて、私は今から君に、少々残酷なことをする」
騎士は表情ひとつ変えず、魔獣に向けて語りかける。
銀色の甲冑が、月光に照らされ
「許せとは言わない。だが、私にも目的がある」
「グルァァァァァァァッ」
騎士が何事か呟くと、魔獣の身体が光に包まれる。
光が強くなるに従って、魔獣の身体が次第に縮み、異なる姿に……いや、
「……あ?」
後には
もはや彼に「魔獣」の面影はない。……強いて言うなれば、ボサボサの黒髪が魔獣の体毛に少し似ているぐらいだろうか。
「どうだ。久しぶりの『人間』の姿は」
騎士の問いに、男は自分の手を見る。
何の変哲もない、人間の掌だ。
「……っ、ちくしょう……」
だが、遅かった。
理性が戻ってきたことで、突き付けられるのはあまりに無情な現実。
男はかつての仲間を、自ら喰らったのだ。
「なぜだ! なぜ殺さなかった!」
その問いに、騎士は静かに返す。
「簡単な話だ。君は、どうやら著名な狩人らしい」
男が完全に「人間」に戻ったのを確認し、騎士は
絹糸のような白髪が、月光に照らされてきらきらと輝く。
「君に頼みたい仕事がある」
胸に手を当て、騎士は「魔獣だった」男に礼をする。
輝く金色の瞳。整った目鼻立ち。すらりと伸びた長い手足……
男は思わず、その風貌に見とれていた。どこかで見たような、親しみ深い感覚すらあった。
「……お前……もしかして、女か……?」
「おや、いつ、私が男だと言った?」
女騎士は口元に微笑を浮かべると、兜を小脇に抱えて問い返す。
「隠していたつもりはないが……雇い主が女だと、何か不利益が?」
「い、いや、そういう問題じゃねぇ! そもそも仕事の内容も聞いてねぇのに、雇い主も何もねぇだろうが!」
「ああ、そうだったな。失敬、順番が前後したようだ」
「君に頼みたい仕事と言うのは、こうだ」
女騎士は微笑んだまま、変わらず淡々と告げた。
月光を背にしたその表情は、寂しげにも、
「私を殺してもらいたい」
***
「ふ、不死の呪い?」
場所を泉のほとりに移動し、二人の会話は続けられていた。
泉で顔を洗ったついでに、男は自らの瞳や顔が、「以前」と同じ
「ああ、君が受けた『魔獣の呪い』と似たようなものだ」
女騎士は捕縛に使った罠を解体しつつ、平然と語る。
要するに、呪いで不死の存在となってしまったから、その不死性を手放したいのだろう。
現実ではともかく、物語ではよくある類の話だ。
「事情は分かったが……なんで、それを俺に頼むんだ」
「君が、かつて優秀な狩人だったことを見込んでだ」
女騎士は手元から目線を外さないまま、あくまで淡々と語る。
「……悪ぃが、人間を狩るのは専門じゃない」
「知っている。『魔獣』を狩ることに長けているのだろう」
「じゃあ何で……」
ため息をつく男に、女騎士は
金色の瞳が、男の瞳を見つめる。
「私は魔獣だ」
感情の読めない瞳が、月光を受けて煌々と輝いた。
「それでは、理由にならないか?」
「魔獣……? ヘッ、バカ言うなよ。人をからかうのも大概にしな」
やさぐれた態度の男に対し、女騎士は静かに頷く。
「証拠を見せよう」
「……はぁ!?」
女騎士は甲冑に手をかけ、男はそれを慌てて制止した。
人目につかない森の奥、泉のほとり、何かを見せる、衣服に手をかける……となると、男の脳裏に浮かぶ答えは一つしかない。
「ま、待て! まさか、ここで服を脱ぐ気か……!?」
「ああ。甲冑を着たままだと、狭苦しくて困るからな」
がしゃん、がしゃんと地面に金属の塊が落ちる。
男は思わず目を覆った。
「目を開けろ。証拠を見せると言ったはずだ」
少しだけ不機嫌になった声が聞こえ、男は恐る恐る視界を解放する。
そこにいたのは、白い毛並みを持つ狼だった。
月光を受け、真っ白な体毛が輝きを放つ。
「魔……獣……?」
男は、かつて人を喰らった自分の姿を思い出す。
ぼうぼうに伸びきった黒い体毛に、鋭く尖った黄ばんだ歯、
対して、目の前の「彼女」はどうだ?
「どうした。まだ、納得できないか?」
金色の瞳が、男の方を見つめる。
無機質な瞳は、「魔獣」という言葉に似つかわしくないほど、高貴な光を
「私は、生まれつきこの肉体だ。不死の呪いを受けた時期までは、定かではないが」
染みひとつない真っ白な毛皮も、月光を受けて、いや、月光そのもののように輝く瞳も、均整の取れたしなやかな体躯も、夜の
ずっと、探し求めていたと思うほどに。
あるいは懐かしいとさえ感じるほどに。
もしくは、届かなかった高みをようやく肉眼で目にしたかのように。
「依頼を受ける気になったか?」
男には、あまりに美しく見えた。
「結婚してくれ……」
「そうか。契約する気にな……ん?」
思わず漏れ出た言葉。
男はハッと口を押さえ、青ざめる。
狼の姿のまま、女騎士は小首を傾げた。
「……聞き間違いか?」
「悪ぃ、どちらかと言えば言い間違いだ」
「そうか。少々驚いた。心まで獣になったものかと」
狼はそう呟くと、変身を解いた。
しなやかな肢体が、男の眼前に
「!?!?!!?!?!?!?」
男は、再び顔を覆った。
「どうした。突然求婚したかと思えば、恥の感覚が分からんやつだな」
「そ、そそそそれはこっちのセリフだ……! 服を着ろ服を!!」
顔を真っ赤に染め、抗議する男に対し、女騎士は相も変わらず冷静だ。
指の隙間から見たい欲をグッと
「……ああ、そうだったな。人間態にとって、着衣の重要性はかなりのものらしい」
女騎士は「ふむ」と呟くと、先程脱ぎ捨てた被服を手に取った。
冷静かつ淡々とした指摘が、形の良い唇から紡がれる。
「だが、君も裸だ。それはいいのか?」
「は? 俺は魔獣化しても服は着……て……」
嫌な予感が背筋を走り抜け、男は自らの身体を見る。
獣と化し、森をさまよっていた年月は思った以上に長かったらしい。彼の被服は
「……なぁ……着替えとか、ある?」
「私のサイズで良いのなら。身長は大して変わらないだろう」
「……いや、良いのかよ……?」
「別に構わないが……。やはり、君の躊躇いの感覚は独特だ」
「えっ。これ……俺がおかしいのか……?」
こうして、魔獣の呪いを受けた男と、不死の呪いを受けた魔獣は、
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