第四章 人生はただ影法師の歩みだ

第40話 領主と牧師

「どうされました、フィーバス様」

「……ん? ああ、ごめん。気が付かなかった」


 その日、「フィーバス」は部下の声かけに反応が遅れた。

 続いて、「これは良くない」と即座に察する。


「……そうだ。休暇を取ろう」

「えっ」

「僕は領主だから、それくらい自己申告でいけるよね」

「で、ですが……」

「最近は『魔獣』も落ち着いてるし、よね?」


 ニコリと、有無を言わせぬ笑顔に、新しい側近は顔面蒼白になりつつも「は、はい……」と答えた。


「そんなに固くならなくてもいいよ。何かあったら呼んでくれたら良いし」

「よ、呼んだら、本当に帰ってきてくださいますか!?」

「うん。用件次第でね」


 用件次第、の一言に頭を抱えつつも、「フィーバス」の新たな側近は泣く泣く領主の背を見送った。



 ***



「フィーバス」は森の中で仮面を脱ぎ捨て、「サイラス」へと戻る。足取りは自然に重くなり、「やっぱり戻って仕事しようかな」……などという感情すら浮かび上がってくる。

 向かうのを止める選択肢もあった。それでも、サイラスは先へと進んだ。

 向き合わなければならない「何か」があるのだと、彼とて気付いていたのだ。


 サイラスは「魔女」の屋敷の扉を叩こうとし、しばしためらう。

 ディアナとの関係もそうだが、パトリシアのことも懸念材料だった。

 平然としたていよそおっていたが、久しぶりに出会った妹に対して、複雑な感情がなかったと言えば嘘になる。幼い頃のパトリシアは両親の不興を買っており、「兄」のサイラスが彼女を多少なりとも気にかけていたのは事実なのだ。


「安心しな、ディアナは外出中だ」


 ……と、背後から長身の影が姿を現す。

 サイラスは思わず飛び上がりそうになったが、その声には聞き覚えがあった。


「……! マーニ様! 具合の方は……」

「もう平気だ。ヤニ吸わせろっつったら外に出てけって言われてな」


「平気だ」というセリフとは裏腹に、デイヴィッドの顔色は悪く、足取りはふらついている。

 体調が良くないのは、門外漢のサイラスにもすぐに分かった。


「……その……」


 サイラスは、自らの信仰心ゆえにデイヴィッドの記憶を無理やりにでも取り戻させようとした。

 そのことを誤りだと認めれば、サイラスの中で大きく何かが崩れてしまう。


「……僕も、ご一緒して良いですか」


 それでも、サイラスは一歩を踏み出す。

 デイヴィッドは緊張した面持ちをじっと見つめ、「ついてきな」とだけ告げて背を向けた。




 ***




 デイヴィッド愛用の葉巻を口にし、サイラスは軽く咳き込む。


「……なかなか、味がきついものを好みますね」

「慣れてねぇならやめとけ。……これぐらいじゃなきゃ、オレは物足りねぇ」


 別の葉巻をくわえ、デイヴィッドはぼんやりと日の高く昇った空を見上げた。


「これさえ吸ってりゃ、何でも気が紛れる。テメェの『信仰』と同じだ」

「……『信仰』……」

「……十字架クロスをじっと見んな。オレが不信心者なわけじゃねぇ。テメェのソレよりめてるだけだ」


 デイヴィッドは悪態をつきつつ、指を鳴らして葉巻に火を点ける。


「……気が、紛れる……ですか。実際、そうだったのかもしれません」


 葉巻を握り締め、サイラスは語る。

 目の前にいるのは、かつての「信仰」の対象であれど熱心に崇拝したディアナではなく、幼い頃に苦境くきょうを共にしたパトリシアでもない。

 ……だから、本音を吐き出せたのがしれない。


「僕は、夢中になれるものが欲しかったんです」


 サイラスの告白に呼応こおうするよう、デイヴィッドも呟く。


「だろうな。自分の傷を忘れて、夢中になれる『何か』が欲しかったんだろ」

「……はい……」


 サイラスの瞳から、ぼろぼろと涙が溢れ出す。

 デイヴィッドはしばし口をつぐみ、やがて、煙とともに言葉を吐き出す。

 相手が家族でも、親友でもないからこそ、抱えていた荷物は存外容易く転げ落ちた。


「……オレも同じだ。無理やり、傷口を見ねぇようにしてきた」

「……ええ。そうでしょうね。負った『きず』自体は癒えていないのに……癒すことよりも、痛みを忘れようと……」


 サイラスは涙を拭い、デイヴィッドの金眼を見つめた。……微笑み、語りかける。

 今までの彼であれば、有り得ないようなセリフがこぼれた。


「似てますね。僕たち」


 それに対し、デイヴィッドは「はっ」と楽しげに笑った。


「バカ言うな」

「えっ」


 涙目のサイラスを余所に、デイヴィッドは大きく紫煙を吐き出す。


「……オレなら、『領主』なんざやってらんねぇよ」


 言葉少なに「フィーバス」としての功績こうせきたたえ、デイヴィッドは再び葉巻を口にくわえた。

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