第44話 別れの日

 ブラックベリー・フォレストの「魔獣」騒ぎは収束しゅうそくに向かっていた。

 もちろん、「魔獣」が完全に出なくなった訳ではない。あくまで「大量発生」という異常事態が無くなっただけだ。

 人類がこれからも魔術を使い続ける以上、動植物の変異は、逃れようのない課題として付きまとい続けるのだろう。

 ……そんな、人類や生命の歴史から考えれば、ほんの些細ささいな出来事。


 セレナ・オルブライトは、二度目の生を終えようとしていた。


 死を目前にすれば、大抵の生物は嘆き、苦しみ、恐怖する。

 当人だけでなく、周りがさいなまれることもある。


 例えば、ディアナが家族を次々と亡くし、心を閉ざしたように。

 例えば、ランドルフが恋人を呪いで亡くし、正常な判断ができなかったように。

 例えば、デイヴィッドがランドルフの介錯かいしゃくを主張し、村人たちに首を落とされたように。


 ……だから、彼らは選んだ。

 安らかな終わりを。


 みなが受け入れられる、終焉しゅうえんを。


「セレナ。今日はきっと、月が綺麗だぞ」


 ディアナは、いつも通りでいるように努めた。

 薄くなっていた現実味は、彼女の中で確かな質感を取り戻しつつある。……どれだけ冷静を取り繕おうとも、胸は激しく痛んだ。


「お姉ちゃん……泣いてるの?」

「……ッ、すまない……。私は大丈夫だ。何でもない、から……」


 セレナを抱き締め、涙を流すディアナの背を、ランドルフが優しくさする。

 その様子を見守り、デイヴィッドはパトリシアの方にも語りかけた。


「良いのかよ」

「……あたしは……あの子の姉でも何でもない。こういう時は、家族を優先すべきじゃないのかい」

「こういうのは、『別れ』が言えねぇ方がキツいもんだぜ」

「ふん、分かったように言うじゃないか」

「よく分かってるさ。オレはだからな」

「……そう、だったね」


 パトリシアはよろよろと立ち上がり、セレナの方へと向かう。デイヴィッドも、無言で後に続いた。

 サイラスは少し離れた場所で、成り行きを見守っている。パトリシアが立ち上がったのを見届けてから、部下から届いた報告書に目を通し始めた。


「セレナ」


 震える声で、パトリシアはセレナに声をかける。

 ディアナが場所を譲り、パトリシアはくずおれるようにしてセレナの前にひざまずいた。


「……今日で、ホントのホントにお別れだ」

「あはは。ボクね、ほんとは魔女さんよりずーっと歳上なんだよ? ……自分が一番、よく分かってたんだから」


 かがんだパトリシアの頭を、木製の義肢ぎしが優しく撫でる。


「だから……心配だったのは、ボクの方」


 優しげな声で、セレナは続ける。


「今までありがとう、魔女さん。もう、寂しくないよね?」


 その言葉で、パトリシアの中の「何か」が決壊けっかいした。


「う……うう……っ」


 ボロボロと涙が溢れ、言葉にならない。

 ローブにすっぽりと覆われるほどの小さなからだで、セレナはパトリシアを精一杯抱き締めた。


「セレナ、楽しかったか」


 デイヴィッドは、口からシンプルな問いだけを吐き出す。パトリシアを抱き締めたまま、セレナは満面の笑みで応えた。


「うん!」

「……そうかい。そりゃ、何よりだ」

「ほんとにありがとね。お兄ちゃん。……それと、ごめんなさい」

「気にすんな。……オレは、また逢えて良かったよ」

「……! うんっ!!」


 パトリシアを抱き締めるセレナの頭を、デイヴィッドの手が撫でる。

 ……やがて、旅立ちの時間は訪れた。


「またねーーー!」


 セレナはぶんぶんと大きく手を振り、上機嫌にディアナの手を取って歩き出した。

 後に続こうとするランドルフに、デイヴィッドが声をかける。


「……ランドルフ」


 ランドルフが振り返ると、両眼に揃った金色と視線がかち合った。


「頼んだぜ」

「……おう。任せな」


 突き出された拳に拳を合わせ、ランドルフはニッと笑って見せた。




 ***




 先導するディアナに続き、セレナとランドルフは森の奥へと進む。


「それにしても……俺がいて良かったのか?」


 ランドルフが気まずそうに問う。セレナが付き添いを希望した時、もっとも驚いていたのも彼だった。


「ボクのこと、『魔獣』にしちゃったのはオジサンでしょ。責任とって」

「……本当に、すまねぇことをしたと思ってる」

「あー、もう! 冗談だよ冗談! ……ほら、お姉ちゃん、家族のことも自分のこともわかんなくなるくらい辛かったんだよ。お兄ちゃんはまだ調子良くないし、じゃあ寄り添ってくれるのはオジサンしかいないじゃん」


 真剣に頭を下げるランドルフに対し、素直になるしかなくなったセレナは小声で理由を述べる。


「大丈夫か、二人とも」


 振り返るディアナには、二人揃って「大丈夫(だ)」と返した。


「ちょっとお話してるだけー」

「そうか、分かった。はぐれないようには私が気を付ける」


 セレナの言葉にディアナは頷き、前方へと向き直る。

 気まずい間が生まれ、ランドルフはポリポリと頬をかきつつ話題を探した。


「ガキの頃。『月を射落としてみたい』って思ったことがあってよ」

「無理でしょ」

「……まあ、俺も後で無理だって気付いたわけだが……」


 にべもなく放たれた返答に肩をすくめつつも、ランドルフは話を続ける。


「月の光に向けてさ。遠くまで、少しでも遠くまで飛ばそうって練習したのは、今思えば無駄じゃなかったわけだ」

「……何が言いたいの?」


 セレナに促されるまま、ランドルフは語った。


「嬢ちゃんは……いや、たくさん間違えたかもしれねぇけどさ、まあ……そういう足掻あがきとかも含めて、楽しい思い出になりゃそれで良いんじゃねぇかなって」

「……良いこと言うじゃん、オジサンの癖に」

「それ、オジサン関係ある?」

「お兄ちゃんだとデイヴィッドお兄ちゃんと被るじゃん」

「あ、そういう……?」


 再び、気まずい間が二人の間に生まれる。

 最初に沈黙を破ったのは、セレナだった。


「もし……『次』があるなら、ランドルフとお姉ちゃんの子どもになりたい」

「……えっ」

「あ、でもでも、『セレナ』って付けるのはナシだからね! 姪っ子に『代わり』になって欲しいわけじゃないから!」


 それだけ言い捨て、セレナはディアナの方へと駆け出す。


「お姉ちゃーん!」

「……ん? どうした?」

「なんでもないっ」


 腰に抱き着く妹に、その頭を撫でる姉。


「……俺とディアナの子どもになりたい……か……」


 セレナの言葉を反芻はんすうし、ランドルフは赤面しながらディアナの方を見つめる。


「……ランドルフは、どうしたんだ」

「さぁ? スケベなことでも考えてるんじゃない?」

「……。まさか、鹿でもいたのか」

「お姉ちゃん、たまにズレるとこ変わってないね」

「私は、昔からズレていたか」

「割と」

「……そうか……」


「セレナ」たちの墓へと向かう三人を、夕暮れのひかりが静かに照らし出していた。

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