第32話 獣道の先に

 気が付けば、ディアナはランドルフの腕に抱き締められていた。


「大丈夫か、ディアナ」


 優しい声が、ずたずたに傷ついたディアナの心を包み込む。

 金色の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。


「泣いていい。好きなだけ、泣いていいから」

「……うん……」


 たくましい胸板に顔を寄せ、ディアナは、はらはらと涙を流す。

 ランドルフはその背中を撫で、額にキスを落とす。そうして彼女が落ち着くまで、何も言わずに待った。




「みっともないところを見せたな」


 涙を指で拭い、ディアナは俯いた顔を上げる。


「もう、大丈夫か?」


 心配そうなランドルフに向け、彼女は「ああ」と頷いた。


「兄さんを探そう。……今度こそ、早く助け出さないと」


 家族がバラバラになったあの日。ディアナは、母親を助け出すだけで精一杯だった。

「実験台」として連れ出された兄がどんな目に遭ったのか……想像するのは、難しくない。


「隠れんぼは、見つけるのは兄さんのが上手かった。でも、隠れるのは私の方が得意だ。妹が鬼の時、先に見つかったことは一度もない」


 ディアナは瞳に決意を宿し、周りの茂みや家の周辺を探り始める。


「そうかい。なら、今回はもっと見つけやすいだろうな。……なんたって、熟練の狩人が味方だ」

「……! そうだな。とても、心強い味方だ」


 ランドルフの頼もしい言葉に、微笑むディアナ。

 二人は手分けして、デイヴィッド……マーニに繋がる痕跡を探した。


「……あっ!」

「どうした?」

「ここに……草をかき分けた跡がある」

「……おお、マジだ! この感じ……最近だな……」


 やがて、それらしき「道」が二人の眼前に現れる。


「……臭う。例の、葉巻の香りだ……」


 すんすん、と匂いを嗅ぎ、ディアナは確信する。

 この先に、兄が連れて行かれたのだと。


「ランドルフ、今回は先に言っておく」

「ん? 何をだ」

「今から私は服を脱ぐ」

「へっ? あ、ああ、なるほどな!?」


 キョトンと目を丸くするランドルフだが、どうにか「ああ、狼になるのか」と思い至った。


 手早く服を脱ぎ捨て、ディアナは一糸まとわぬ姿になる。

 既に何度も見た裸体ではあるが、ランドルフはその姿をしっかりと目に焼き付けた。……もちろん、白い狼の姿も同様に。


「行くぞ」

「おう、準備は万端だ!」


 脱ぎ捨てられた服を手早く拾い集め、ランドルフはディアナの後に続いた。




 ***




 ディアナが先導して獣道を歩み、ランドルフが後に続く。

 時折すんすんと地面の匂いを嗅ぎ、ディアナは「こっちだ」と前足で道を指し示した。


「デイヴ……無事でいてくれよ……」

「兄さん……待っててくれ……」


 進むうち、二人の間に緊張が漂う。

 家族、および親友の無事を祈り、ディアナとランドルフは慎重に歩みを進めた。


 そして、時は来た。

 ある箇所に足を踏み入れた瞬間、ハッキリと空気が変わる。

 ディアナは威嚇するように全身の毛を逆立て、ランドルフは即座に弓矢を構えた。


「ダメだよぉ。勝手にナワバリに入っちゃあ」


 ひび割れた、人ならざるナニカの声が響く。


「邪魔しないでくれるかなぁ。ボクたち、これからやらなきゃいけないことがいーっぱいあるんだぁ……」


「魔獣」らしき声は実体を見せないまま、遠近感の掴めないいびつな声でランドルフ達に語りかけている。


「……何がしたいのか知らねぇが、デイヴを巻き込むな」

「アハハッ、オジサン、バカだねぇ……!」


「魔獣」はケタケタと不気味な笑い声を上げ、たのしげに言い放った。


「お兄ちゃんが、どれだけ人間を恨んでるかも知らずにさぁ!」

「……な……っ!」

「あれは……!」


 ランドルフに続き、ディアナも声を上げる。

 獣道の先、幽鬼のように「彼」はたたずんでいた。

 金色に輝いていた髪は漆黒に染まり、琥珀の瞳は瞳孔が完全に開ききって爛々と金色に輝き、口元は動物の血で真っ赤に染まっている。


「……デイヴ、なの、か……?」

「……あの、服装……間違いない。兄さんだ……」


 血と泥に汚れたカソックの胸元で、簡素な木製の十字架クロスが揺れていた。

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