第6話 兄妹

 帰宅後、ランドルフはすぐに浴室へと向かった。

 ディアナは一人、窓の外を見つめてぼんやりと思案にふける。

「先に風呂、入るか」とも聞かれたが、断った。ディアナは湯浴みより、水浴びの方を好む。後ほど狼の姿になり、近場の泉に行こうと考えていた。


 領主のことは嫌いではない。むしろ、有能な為政者いせいしゃだと評価もしている。

 だが、好きにもなれない。彼はディアナには常に優しく、人間生活に慣れない彼女の言動をとがめもしないが、口にする言葉は二枚舌ばかりで何もかも信用できない。


 ──気が変わったら、いつでも言ってね


 彼の言葉には、いつだって真心がない。

 ディアナは不死に飽いたわけでも、生をいとうたわけでもないというのに。


 ……すぐに変わるような想いで、自分を殺せる相手を探したわけではないのに。


 けれど、ディアナは「兄」が好きだった。

 もう、彼女にはどれが自分の記憶なのかわからないけれど。

 誰の記憶が、どれほどの数混ざっているのか、なぜそうなったのかも覚えていないけれど。


 それだけは、きっと、確かなことなのだ。


「……ん?」


 窓の外から、木彫りの鳥がひょっこりと顔を出している。

 魔術で動かされた鳥は、床に手紙をポトリと落とし、パタパタと飛び去った。

 それを拾い上げ、ディアナは漂う煙草の香りに軽く眉をひそめる。


「……デイヴィッド牧師からか」


 結わえられた紐を解き、内容を確認する。


 ──拝啓。ディアナ・オルブライト殿。

 いかがお過ごしでしょうか。


 丁寧な筆記体で、いつも通りの決まり文句が綴られていた。




 ***




 その頃、ランドルフは小屋の浴室にて汗を流していた。

 山小屋にしてはしっかりした造りだと思っていたが、領主の命令で建てられた「任務用の設備」だと思えば合点がてんが行く。


「ふぃー……」


 ランドルフにとって、人間に戻って良かったことは数え切れない。

 入浴が楽しめることも、そのひとつだ。


「魔術革命」により水の使用が容易になって以降、かつてのローマ帝国のようにバスルームが布教し始めるのに時間はかからなかった。

 とはいえ一般的に、ランドルフのような下級の民がバスタイムを楽しめる機会は限られている。普段は水浴びやベイシンたらいに張った湯で身体を拭いて清めるぐらいしかできず、こういった「入浴」は月に一度できるかできないかの贅沢なものだった。

 ……が、ここではその「贅沢」が許される。


「……至れり尽くせり、ってやつだな」


 ぼんやりと浴場の天井を仰ぎ、現状を思う。

 楽しむことに罪悪感がないわけではない。自分の奪ったものが、取り返しのつかないものだとは理解している。


 だが、「楽しむこと」自体が、まだ自らの内側に残った「呪い」を鎮めているのは間違いなかった。


 ……と、ノックの音が浴場に響く。


「ランドルフ、ちょっと良いか」


 続いて、ディアナの凛とした声も聞こえた。


「どうした?」


 ランドルフが応えると、特に躊躇ためらったような間もなく扉が開け放たれた。

 ディアナは平然とした顔で、浴場に足を踏み入れる。ランドルフは思わず両手で顔を覆ったが、ディアナが服を着ていることに気付き、今度は下の方を覆った。


「いやいやいや! 入ってくるなよ!」

「なぜだ? ノックに応じただろう」

「普通に入ってくるとは思ってねぇよ……!!」


 赤面するランドルフとは対照的に、ディアナは涼しげな顔をしている。


「君は、裸を見ることだけでなく、見られることも恥じらうのか」

「言っとくけど、それ何もおかしくねぇからな!? 普通は誰だって恥ずかしいからね!?」


 ランドルフの慌てっぷりのせいか、さすがのディアナも「……そういうものか」と悩むような素振りを見せる。


「では、要件だけ告げて立ち去ろう」

「そうしてくれ……」


 顔どころか肩まで茹で上がったように赤いランドルフに背を向けつつ、ディアナは「要件」を告げた。


「さっそく依頼が入った。明日の朝は早くなる」

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