第18話 大好きな幼馴染の家には…①

 今年の夏は冷夏だ。とかニュースでやっていたが、絶対に嘘だと思う。

 俺は頭の上がらない扇風機の前で、涼んでいた。エアコンもついている。

 

「悪いね。涼平くん。最近、あまり元気がなくてね」


 サラの父親が、申し訳なさそうに言う。

 彼は今、リビングのソファに座って海外の雑誌を読み終えたところだった。


「仕方ないですよ」


 俺は床に座って扇風機を見ながら、言った。

 仕方ない。

 サラは長月が自分の家に帰ってしまってから、俺が部屋のドアをノックしても、反応がない。あっても「後にして」とか言われる。

 せっかくの夏休みなのに、遊んでもくれないのだ。

 キッチンから、良い匂いが漂ってくる。

 今日の前原家の夕食はカレーらしい。夏野菜カレー。サラの母親が作ったカレーはいつも美味しい。


「姫ちゃんがいたときは、安定してましたし、やっぱり彼女のおかげだったんですね」

「そうだねぇ。僕らにはできないことを、彼女がしてくれていたのかもね」


 長月姫が前原家にやってくる前のサラは、荒れることが多かった。

 幸いにもそれは内に向けられ、外に迷惑をかけるなんてことはなかったが、それが問題だった。サラは物を壊す。とりわけ昔に描いた自分の絵を、むちゃくちゃにした。それに使う道具も、画用紙も。

 彼女は少しずつ、少しずつ壊れていった。

 それを修復するように、おばさんはいつもサラの部屋を片付けていた。

 俺はカーテンの隙間から、それをただ見ていることしかできなかった。見て見ぬふりをするしかなかった。

 何もできない罪悪感をかき消すように、俺はサラに好きだと言い続けた。

 あの日、レオをもう少し引きとめていればよかったという後悔を塗りつぶすように、俺はサラに好きだと伝え続けるしかなかった。そうやって彼女を繋ぎとめるしかなかった。

 サラの心にぽっかりと空いてしまった穴を、俺には完全に埋めることができなかった。

 しかし、それを軽くやってのけたのが長月だった。

 長月はサラの心の隙間にあっさりと入っていった。いや、サラ自身が引き入れたのかもしれない。長月が来てから、サラは物を壊す行為をまったくしなくなった。それどころか自分で部屋を綺麗に整えるまでになった。

 俺はそれを嬉しく思う反面、羨ましく思う。でもサラの笑顔が見られるのなら、俺はそれでもいいと思った。

 長月とサラが二人でいることで、二人が笑顔でいられる。その関係性がずっと続いてくれたらいいのに。俺はそう思っていた。


 誰かが傍から離れていくことは、往々にして誰にでもあることだ。誰もが経験をし、慣れていくのだろう。けれどやはり、つらく哀しい別れを一度経験してしまうと、それが何度も起こるたびに悪いほうへ考えてしまう。

 もう二度と会えないのではないか。

 長月とは、今後も連絡をとったり学校へ行けば会えるはずなのに、サラの中の悪い考えは、波のようにやってくるのだろう。

 長月が実家に帰った日。サラは何も言わなかった。淋しいとか、嫌だとか。一言もなかった。だから俺は大丈夫なのだと勘違いしてしまった。

 長月が傍にいなくても、平気なのだと。

 サラがまた以前の状態になってしまうかもしれない。俺はそれを恐れていた。おじさんとおばさんもきっと同じなのだろう。


「何か、気分転換になることがあればなぁ」


 おじさんが呟くように言った。

 あ、そういえば。と俺はひとつ思い出したことがあった。


「おじさん。俺、真崎の家に行ってきます」


 そう言いながら、俺は立ち上がる。


「お? ああ。夕食は食べていかないのか」

 

 おじさんの質問に、俺は「すぐ戻ってきます」と言い玄関のほうへ向かった。

 今日は、前原家で夕飯をご馳走になる予定だった。

 俺が靴を履きながら思い出していたのは、真崎琢磨が言っていたダブルデートの件だ。


 ***


 夏は、陽が落ちるのが遅い。もう六時だというのに、外はまだ明るく、太陽も落ちていなかった。


「何の用だ」


 玄関先で、ぶっきらぼうに真崎がそう言った。

 真崎の家からは、焼き魚の匂いがしている。

 ここに来るまで走ってきたので、俺は息を切らしていた。

 

「あのさ、店長とダブルデートってまだしてないよな」

「それを確かめに来たのか。メールでよかっただろう」


 真崎は呆れている様子だった。


「いや。まだだったら、相談したいことがあって」

「なんだ?」


 顔をしかめた真崎に向かって、俺は言った。


「トリプルデートしないか」

「は?」


 俺の発言に、真崎は眉をぴくりと動かした。驚いているのだとわかる。


「店長さんと婚約者さん。お前と姫ちゃん。そこに俺とサラ。この三組で、トリプルデートはどうかって話」

「お前、それよく考えた?」

「ぎくり」

「口でぎくりとか言う奴、初めて見た」


 真崎はこれが俺の単なる思いつきだと、見抜いているようだ。


「思いついて、衝動的に家に来たんだろ。いつものお前の行動パターン。そういうときに限って必ずと言っていいほど、前原サラ絡みだ」

「その通りだけど」


 俺は、真崎の言葉を否定できない。彼の言うとおりだった。


「今回は何があった。と言っても、大体の予想はついている。お前、明日は空いているか」

「空いてるけど」


 真崎の言葉に、俺は首を傾げながら答える。


「なら、付き合え」

「え? お前と二人でデートしたいとは一言も言っていないが」


 俺が冗談のつもりでそう言うと、真崎は真面目に否定した。


「違う。一緒に長月の家に行こう」


 彼の提案に、俺は疑問を持った。


「何で? 連絡取れないのか」


 問うと、真崎は頷いてから説明する。


「ああ、そうだ。交換ノートに、ご丁寧に住所と自宅の電話番号が書かれていた。電話してみたが、取り合ってもらえなかった。と言えば、俺がこんなことをいう理由がわかるだろう」


 俺は目を見開いた。

 

「姫ちゃん、大丈夫なのか」


 心配の種がもう一つ増えたことに、俺は絶望して顔をしかめた。


「それを確かめに行く。だからお前も付き合え」

「何で俺も?」

「トリプルデートの予定を立てるんだろう」


 真崎がそう言って、珍しく口角を上げて笑ったような気がした。 

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