第三章
第15話 彼女と彼女の選択①
俺が一番懸念していることと言えば、このまま誰も幸せにならない未来を迎えることだった。
サラの好きな奴はもう死んでいる。
俺はそんなサラのことが好きだ。
そして長月もサラのことが好きだ。
真崎がもしも本当に、長月を好きになったとしたら、このどうにも動かない関係性に、真崎の矢印がたされるだろう。
誰も報われない。俺はそれがとても哀しい。
億劫だったすべての教科のテストが終わった。あとは夏休みを迎えるだけ。気を抜かないようにと担任教師に言われたが、そんなの無理とでも言いたげな表情のクラスメイト達ばかりだった。
午前で解散になったので、寄り道して帰る生徒たちは多い。カラオケに行こうと話している生徒たちや、近くのファミレスに入っていく者もいる。
テスト明けに皆、思い思いに過ごすようだ。
それは俺たちも例にもれず、打ち上げと言い張って前原家に集まって遊ぶことにした。俺は、やりたい新作のゲームを家に取りに帰ってから、前原家に行くことにした。
前原家にあるゲーム機は、もうほとんどが俺とサラで共有している。
行き来が多いというのも、ひとつの理由ではあるが、金銭的な理由もある。俺がサラの家に持っていくことが普通だった。
サラの父親。おじさんは翻訳家で、家にいることが多い。しかし、今日は珍しくどこかへ出かけているらしい。おばさんも買い物へ出かけているみたいだった。
とりあえず、どれだけ騒いでもよさそうだ。
***
家に帰ると、誰もいなかった。俺の親はまだ仕事だろう。
俺は着替えもせずに、必要なものだけを持って家から出た。
隣の前原家の前に車が止まっていることに気づいて、なんだか嫌な予感がした。
おじさんが帰ってきたのかと思ったが、車は彼の物ではない。
俺はその紺色の軽自動車を横目に、前原家の玄関へと入ることにした。
前原家の駐車場には、既に車が止まっていて、どうやらおじさんも帰ってきている様子だった。
玄関に入るなり騒がしい声がきこえてきて、俺は顔をしかめながら靴を脱いで、リビングへ急いだ。
扉を開けてみると、リビングにはおじさんとサラと長月と真崎。それから見知らぬ大人の男女がいた。二人の距離感からして、おそらく夫婦だろう。
誰だ? と思うまでもなかった。長月の前に、かばう様にしてサラと真崎が立っている。それだけで何となく状況を察した。
「あ。涼平くん」とおじさんが小さく言う。おじさんは、当惑した表情で俺のほうを見ていた。
「えっと。君も、娘のお友達かな」
俺の姿を見て、男が言った。
娘。というのが長月を指すのは、考えるまでもない。少なくとも彼は真崎の親ではない。俺は真崎の家族と面識があった。
「はい。そうですけれど。どちら様ですか」
迷わず肯定すると、男は優しい笑みをみせた。
「これは失礼。長月です。姫の父親だ。随分、お友達が増えたんだね。よかった」
安堵したように言う男を、サラは何故か睨むように見ていた。
「よかった?」
その声は棘のように鋭く感じられる。サラは怒っている様子だった。
理由など、ひとつしかないように思う。
「何がよかったんですか。勝手に娘を人の家に預けて、また勝手に連れ戻そうとして。何が、よかったのか全然わかりません」
サラが、慣れないであろう敬語を使っている。
オオカミのように長月夫妻にかみつこうとしている。
真崎はともかく、おじさんもサラの言い分に間違っているところがないと思っているようで、彼女を止めようとしない。
どうやら長月の両親は、彼女を迎えに来たらしい。
「まったくだ。君の言葉には反論のしようがないよ。その点については申し訳ないと思っている」
姫の父親は、その場で深々と頭を下げた。一方、母親と思わしき人は、不機嫌そうにその姿を見ていた。
「本当に勝手よ。私にひと言もなかったの。ごめんなさいね。私が身体を壊していなければ、こんなことにはならなかった。やっぱりあのまま家に居ればよかったわ」
「それが、良くないと思ったから」
「いい加減にしてちょうだい。こんな、姫のお友達の前で言い合いなんてしたくないわ」
長月夫妻の会話に、俺は『体裁』という言葉を思い浮かべる。
長月の母は、その体裁とやらを気にする人らしかった。
身なりがきちんとしていて、高級そうなバッグを持っている。プライドも高そうだった。
俺は長月のほうに視線を向ける。彼女は、酷く怯えている様子だ。
事情を知らないので、特に俺と真崎は何も口を挟めない。
「姫。早く荷物をまとめて。これ以上、前原さんに迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「そう急かすな」
長月の母を、長月の父がそう言って宥める。
勝手だ。本当に勝手だ。
本人の意思は? ちゃんと聞いたのか?
俺は言いたいことを飲み込む。まだ溶け切っていない飴玉を、間違えて飲んでしまったときのように、喉の違和感を覚える。
それを言う役割は、俺じゃない。なんとなくそう思った。
思ったんだけど……。
「すみません。俺たちこれから遊ぶ予定なので、後にしてもらえますか」
まさか、真崎がそんなことを言うなんて思いもしなかった。
俺は思わず、驚いた顔をして彼のほうを見た。
真崎は真面目な顔をして、「リビングは使うだろうから、お前の部屋に行こう」と続け、サラの肩をとんとんと二回叩くとさっさとリビングを出て行く。
俺は唖然としていて、出遅れた。
「そ、そうだった。姫ちゃん、行こう。ほら、サラも」
俺はぎこちなく笑顔を向けながら、長月とサラを誘導するように言った。
真崎の助け舟を理解したサラが、「わかった」と言ってから、困惑している長月の手を引いてリビングを出て行こうとする。
「ちょっと。あなたたち?」
突然の邪魔が入って戸惑ったのか、長月の母は顔をしかめていた。
「ああ、そうだったのか。それはすまないことをした。今日は突然押しかけてすまない。また日を改めるよ。長月、迷惑かけたね」
「ああ――」
まだ何か話している大人たちをしり目に、俺もリビングを出て廊下に行く。
扉を閉めると、「はぁー」と長めに息を吐く。
「行こう」
俺は不安そうな顔をしている長月と、まだ不機嫌そうな顔をしているサラに向かってそう言った。
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