第16話 彼女と彼女の選択②

 六畳ほどの部屋は、四人集まるとなかなかに狭く感じた。

 サラの部屋に何度か入ったことはあるが、こんなに人がいることは初めてだ。

 他の女子の部屋に入ったことはないが、サラの部屋は黒を基調としたかっこいい系のインテリアで揃えられていた。俺の部屋とそんなに変わらない雰囲気なので居心地は良かった。

 本人はサバサバとした性格で、雑なイメージなのに、彼女の部屋は綺麗に整えられている。


 部屋に入ってから、誰も口を開かなかった。

 不機嫌そうにベッドの上に座っているサラ。その隣に座る不安そうな表情の長月。自分には関係ないという顔をして勉強机の前にある椅子に座った真崎。

 中央にある黒いローテーブルの前に座った俺は、その沈黙に耐えられなくて、思い切って破ることにした。


「何で急に、来たんだろう」


 俺は膝の上に乗せていたゲームソフトの入った紙袋を、フローリングの床に置く。

 尻にひいた黒いクッションが、冷たく感じた。


「知らない。親父も急に呼び出されたらしい。親友の頼みだかなんだかわからないけど、何やってんだか」


 サラはそう言いながら、肩をすくめる。


「でも、その親友の頼みじゃなかったら、おじさんも引き受けてなかったんじゃないの」

 

 俺の言葉に、サラは言い返せなくなったようで、再び黙ってしまった。


(え。今の俺のせい? 俺、何も悪いこと言ってないよな)


 そう思いながら、俺は真崎のほうを見る。

 真崎は窓のほうを見ていた。窓からは、カーテンの閉まった俺の部屋が見える以外に、何も面白いものはない。


「私……やっぱり、荷物を」


 唐突に長月がそう言って、立ち上がろうとする。

 

「姫」


 サラはそんな長月を呼び止めた。


「はい」


 長月は返事をしたが、サラのほうを見ない。


「それは、長月の家に帰るってこと? 本当に帰りたいと思っているの」

「帰ることができるなら、帰らなきゃ」

「それは、姫の意思?」

「それ、は……」


 歯切れの悪い返事だった。

 長月は何かを言いたそうにしていたが、口を閉じた。


「まぁまぁ、落ち着いて」


 重苦しい空気の中、俺は耐えられなくなって口を挟む。


「あんたは黙ってて」


 サラのきつい一言が飛んでくる。


「すみません」


 俺は思わず謝った。

 何でこんなことになったんだ。と顔をしかめる。本当なら今頃、リビングの大きなテレビでゲームをしていたはずなのに。

 そんなことを思っていると、真崎が静かに口を開いた。


「自分の居たい場所に、いればいいんじゃない」


 意外だった。真崎がそんなことを言うなんて想像もしていなかった。


「え?」

 

 長月が驚いたような声を出す。

 その場にいる全員の視線が、真崎に向けられた。


「そんなようなこと、前に言ってなかったっけ」


 真崎がそう言って、サラのほうを見ていた。


「言った、けど」


 サラは顔をしかめた。


「うん。今回もそれでいいと思う」


 真崎は頷いてから、そう言った。

 前。とは、長月が前原家に来たばかりの頃に、いなくなった長月を公園で見つけたあのときのことだろう。よく覚えていたな。と俺は思う。


「この家を選ぶにしろ、自分の家を選ぶにしろ。自分がどっちに居たいかを、優先させればいいよ。前と同じ。帰れる場所があるなら。どちらに帰るか選ぶこともできる。答えは自分で出せばいい。長月はどうしたいか。だ」


 真剣な表情で、真崎が言った。

 俺は、真崎がこんなにも真面目に長月の事を考えていることを意外に思っていた。

 最近は特に、彼女に歩み寄ろうとしているような気がする。

 自分から進んでそういうことをするような奴ではないと、思っていたのだが。それも昔の話なのかもしれない。彼も日々成長しているのだ。

 偽の恋人に選んだ長月のことは、彼の中の特別枠に入っているのだろう。


「私、は……」


 ついに、長月の瞳から涙が溢れだした。

 ずっと我慢して体を震わせていたので、当然の結果だった。

 ぽろぽろと、彼女は大粒の涙を自分の手の甲に落している。その手は膝の上で固く握りしめられ、必死で何かを守ろうとしている様子だった。


「姫ちゃん」


 俺は一度深呼吸をしてから、できるだけ優しい声で彼女に声をかける。


「これだけは言わせてほしい。どちらを選んだって、俺たちの友人関係は壊れないよ。だから、よく考えて答えを出してほしい」


 俺から言えることは、それで全部だと思った。

 本音を言えば、長月には前原家にいてほしい。それが彼女の幸せではないかと思う。けれど、強制はしない。したくないと、おそらくこの場にいる全員が思っている。


「うん」


 という長月の返事は、嗚咽のように聞こえた。

 しゃくりあげるように泣く彼女は、とうとう自分の顔を両手で覆った。彼女は膝に顔を近づけて、体を丸める。涙は、しばらくとまりそうになかった。

 サラが無言で、泣いている長月にハンカチを差し出す。長月はそれを受け取ると自分の顔を拭いたが、とめどなくあふれる涙で、ハンカチが濡れるだけだった。


「今日はもう、帰る」

 

 唐突に、真崎が言った。


「え?」


 俺は思わず間抜けな声を出す。

 真崎のほうを見ると、もう椅子から立ち上がっていた。


「考える時間が必要だろう」


 正論だったので、俺は何も言えなかった。そして、俺も帰ることにした。

 あとは、サラに任せよう。そう思った。

 部屋を出て行く俺と真崎に向かって、長月の嗚咽が聞こえる。はっきりとは聞き取れなかったが、「ごめんなさい」と言っているようだった。 

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