第17話 彼女と彼女の選択③

「私、家に帰ります」


 と何かを決意したかのような表情で、長月姫が言った。

 


 あれから数日が経っていた。大事な話があると終業式のあとに言われ、俺たちは再び前原家へと集合していた。

 リビングのL字ソファには、俺と真崎、長月とサラがそれぞれ座っている。

 家。というのが、今いるこの前原家ではないことは、言われなくてもわかっていた。


 「そっか」

 

 俺は、そう呟くしかなかった。

 大事な話と聞いて、ある程度の覚悟はしていたはずなのに、俺は複雑な心境だった。

 真崎は何も言わない。サラは事前に聞いていたのか、とても落ち着いていた。


「姫ちゃんが自分で決めたことなら、俺は反対しないよ」


 する権利もないと思う。と付け足したかったが、言うのはやめた。

 俺は長月の選択を、尊重したい。少し淋しくなるかもしれないけれど、仕方のないことだ。


「今日の夕方、親が迎えに来るから。これ、先に渡しておくね。次は登校日に渡してくれたらいいと思う」


 そう言って長月が、斜め隣に座っている真崎に何かノートを手渡した。

 普通のA4ノート。一面茶色の表紙には、大きく「交換ノート」と黒の油性ペンで書かれていた。よく見ると真崎の字だった。


「それって……っ」


 俺は思わず声を上げる。

 それは以前、俺が真崎に提案した覚えがある「交換ノート」だった。

 本当にやっていたとは、知らなかった。


「ああ。わかった」


 真崎はそれだけしか言わなかった。それだけ伝えれば十分だとでも思っているのだろう。


「あんたたち、いつの間にそんなことしてたの?」


 サラが目を丸くして、驚いた表情で言った。


「こいつに提案されたから」


 と真崎が俺のほうを見て言った。


「涼平?」


 サラの視線が、俺に突き刺さる。

 眉間にしわを寄せていることから察するに、なに余計なことをしてくれたんだとでも言いたそうだ。

 え、何? 俺また何か悪いことした?

 俺が困惑していると、真崎がサラに向かって問う。


「羨ましいのか」


 サラはそれに対して顔を真っ赤にして「違う!」と大きく否定した。


「あたしは別に」

 

 サラの声は、だんだんと小さくなっていった。

 素直になればいいのにと思いつつ、俺は冗談を言う。 


「あ、じゃあサラは俺と交換日記しよっか」

「それは、必要ないでしょ」


 サラに真顔で返された。

 俺はへこみそうになる。


「サラには、手紙を書くから」


 長月がそう言ったので、サラは納得したのか頷いた。


「ありがとう。あたしも書くよ」


 二人はなんだか、良い感じにほほ笑み合っている。

 俺は何よりもサラのことが心配だったから、二人の様子を見て少しだけ安心した。


「私ね」


 長月は、真っすぐに前を見て言った。彼女の視線の先には、黒いテレビの液晶画面がある。それはソファに座っている俺たちの姿を映していた。何を思いながらそれをみつめているのかはわからないが、俺は長月の言葉一つ一つに真剣に耳を傾けた。


「この家に来てよかったって思っているの。最初はお父さんに置いていかれたことが哀しくて、この家にいることに申し訳ないなって思っていた。けれど、ここを私の居場所にしていいってサラが言ってくれて。私のことを友達だって言ってくれて。とても嬉しかった。私ここにいていいんだって、もうひとりじゃないんだって思えた。私、少しだけ強くなれた気がした。だから」


  彼女は一呼吸おいてから、言葉を続ける。


「向き合おうって思った。自分と、そして家族と。今まで目を背けてきたことに、立ち向かう強さをくれたみんなに。私を必要としてくれたみんなに、本当に感謝しているの。ありがとう。この選択を、私は後悔なんてしないと思う。だって自分で決めたことだから。正真正銘、自分の意思だから」


 俺は長月の事を、みつめていた。彼女がこんなにもしゃべるところなんて、初めて見た。

 長月姫がこの家にいた期間は、ほんの一か月ぐらいだ。

 もう何年も付き合いがあるサラや真崎と比べたら、とても短い期間だと思う。

 それでも、あの教室の隅で居心地悪そうにしていた長月の成長を、俺は彼女の言葉の節々から感じていた。

 あの頃の面影はもうない。強さを手に入れた彼女は、もう大丈夫だと。問題に立ち向かっていけると。信じてもいいのかもしれない。


「いいんじゃない。俺は、応援するよ」


 そう言って、俺は長月に向かって優しい顔を向ける。

 長月は俺の恋敵だ。それは変わらない。だからそれについては応援できないが、彼女の勇気と、成長を応援することはできる。俺はそう思っていた。

 長月は俺と目を合わせると、恥ずかしそうに顔を俯かせた。

「ありがとう」と、長月は小さな声で言った。


「あたしも、もちろん応援しているからな。あと、いつでも帰ってきていいからな」


 サラが慌てたように言う。


「サラ。ありがとう。本当にありがとう」


 そう言う長月の声は、震えていた。

 泣いているようには見えなかったから、我慢していたのだと思う。


「真崎からは何かないのか」


 俺は何となく、隣に座っている真崎に話をふってみる。

 

「何かって、何?」

「姫ちゃんに伝えたいこととか、ないの?」


 俺が質問すると、真崎は上を向いて何かを考えている。


「あー。店長が今度ダブルデートしようとかなんとか言ってた……」

「何でそれ、今言う!?」


 俺は真崎の衝撃的な言葉に、思わずつっこむ。

 

「どうする?」


 真崎が顔色一つ変えずに、長月に向かって問う。


「えっと。日にちが決まったら、教えてほしい」

「わかった」


 マイペースな会話だなと思いながら、俺はおそるおそるサラのほうを見る。

 般若のような顔をしていたので、俺は急いで目をそむけた。

 色々な意味で波乱の夏休みの幕が、開こうとしていた。


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