第12話 一方通行②
それはバイト先の、花屋の店長だった。
その花屋は、真崎の家から自転車で十分ほどのところにある。店長は美人で、真崎はその人を目当てにバイトを始めたわけではないが、いつの間にか自然に、惹かれていったという。
彼女に婚約者がいることを知ったのは、つい先日のこと。結婚する予定だと言われて、真崎は「おめでとうございます」と言うしかなかったらしい。
「付き合っている人がいることは、知っていたんだ」
遊園地のベンチに座りながら、真崎が吐露する。右手には先ほど売店で買ったオレンジジュースを持っていた。プラスチックのコップに、ストローが一本ささっている。真崎は俺たちの分も買ってきてくれたので、真崎の隣に座っている長月は気まずそうにコップを膝の上に置き、両手で持っていた。
俺とサラはふたりの目の前で、立ったままジュースを飲んでいた。
「でも、いざ目の前でいちゃいちゃを見せつけられてショックを受けてるって顔をしてるな」
とサラが言う。顔は笑っているが、悪気はないと思う。たぶん。
「当たり前だろう。こっちは好きなんだから」
真崎は冷静に返す。
よく怒らないよな。と俺は思うが、そういえば真崎が怒るところをあんまり見たことがない。冷静沈着で、感情が顔に出ないタイプだからだろうか。
「そんなに好きならさ。気持ちを伝えないの。あたしの隣にいる奴みたいに」
サラがこちらをみることもせずに、言ってくる。
こいつ、楽しんでいるだろう。
こういうときのサラは
自分だって想いを伝えることができなかったくせに。とか口が裂けても言えないけれど。
「伝えない。店長には幸せになってほしいって気持ちが、強いから」
真崎は、真剣な顔をして言った。
「ふーん」
と言いながら、サラはストローでジュースを一口飲んだ。
サラが今、何を考えているのかはよくわからない。
自分と重ねてみているのかとか、そんなことを心配になったが、絶対にそんなことはしていないとも思う。
サラはレオの彼女に会ったこともない。だからこそ、真崎の話を聞いて笑っていられるのかもしれない。
それとも、自分の中の何かを誤魔化している?
そんなことを考えていると、真崎が言った。
「お前こそどうなんだ」
「何が?」
とサラが首を傾げる。
「お前は好きな奴に、自分の気持ちを伝えたのか」
「伝えるも何も、知っているだろ。あいつはもう」
サラの言葉が、そこで途切れる。
いないんだ。という一言を、彼女は口にすることができないのだろう。唇を噛んだ。
「お前は死んだ奴のことをいつまでも引きずっていないで、隣にいる奴のことをみたほうがいいと思うんだがな」
真崎は吐き捨てるようにそう言って、ベンチから立ち上がった。そしてそのまま何処かへと歩き出した。
長月が、首を傾げている。
俺は何も言えなかった。
後ろで、子どもの声がする。日曜日の遊園地は、子ども連れが多い。
喧騒に紛れて、サラが叫んだ。
「ああ、くっそ!」
驚いた表情で、長月がサラをみている。
「気分悪い。トイレ」
サラはそう言って、俺に飲みかけのジュースを渡してくる。
「おい」
と俺は言ったが、声は届かなかったようだ。
「ちょっと、姫のこと頼む」
と言って、サラは真崎が歩いていったほうへ走っていった。
そっちにトイレはないような気がするが、言うだけ野暮だろうか。
俺は呆けた表情で、それを見送るしかなかった。
同じくサラを見送っていた長月が、口を開く。
「あの。さっきの話は」
俺は目を見開いたまま、長月のほうをみた。
「あれ。もしかしてサラから聞いていない?」
俺が聞くと、長月は無言で頷いた。
「隣いい?」
と聞きながら近づくと、長月は再び頷く。
俺は長月の隣に座ると、彼女に二年前の話をした。
サラの家にいた留学生のこと。サラがその人のことを好きだったこと。その人が飛行機の事故で亡くなってしまったこと。
「そんな。そんなこと、全然。知らなかった」
泣きそうな声を出して、長月が言った。
「俺から話すことじゃ、なかったかもしれないけれど」
俺はそう言って、長月のほうをみた。
長月はコップを持っていないほうの手で顔を押さえて、首を横に振った。
「話してくれてありがとう。ごめんなさい」
「え?」
長月の言葉に、今度は俺が首を傾げる番だった。
「何が、ごめんなさい?」
俺が聞くと、長月が言った。
「私。私も、サラのことが好きです。大好きなの」
彼女の目から、涙が零れ落ちた。
それはとても綺麗で、繊細な涙だった。
俺は驚いたけれど、でもどこか納得してしまった。
「でも、これが恋かどうかはわからない。私、同性を好きなったことが初めてで」
震えた声で、長月は言う。
とても勇気のいるカミングアウトだったのだろう。コップを持つ手も震えている。
「どうしてその話を、俺に?」
俺は、素朴な疑問を口にする。
「とても、大事な話を。私にしてくれたから。だから私も、言おうって思ったの」
それはたぶん、長月が俺のことを信頼してくれているという意味だろう。
そんな気がした。
でも俺は、そんなに信頼に値する人間だとは自分では思っていない。
「そっか。悪いけれど、俺はそれを応援することはできない。敵に塩を送ることになるからね」
長月は俺の言葉に頷いた。
「わかってる。でも、言っておきたかったの」
「でもこれからはライバルだ。負けないからな」
俺は励ますつもりで、そう言った。
「うん」
長月はもう一度、頷いた。
「じゃあ、二人が戻ってくる前に泣き止もうか」
「うう。ごめんなさい」
そう言って、長月は茶色い肩掛け鞄からハンカチを取り出して涙を拭いている。
俺は長月から視線を外して、サラと真崎のことを待つことにした。
全員一方通行の片思いって、マジかよ。と思いながら。
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