第38話 またね

 それから、幾日かすぎた。

 残りの夏休み期間は、宿題の残りとさぼりぎみだった部活に追われることになった。

 長月が自分の家に帰る予定の夏休み最終日。俺と真崎は前原家にお邪魔していた。


「はい。これ」


 真崎が突然、長月に何かのノートを差し出した。長月は部屋で荷物をボストンバックに詰め込んでいる最中だった。彼女はそれを見て目を丸くしている。

 真崎は今日、バッグも持たずにただ一冊のノートを小脇に抱えてきていた。何のノートだろう。と俺は疑問に思ったが、謎はすぐに解けた。

 真崎が長月とやっている「交換ノート」だった。


「渡すの忘れてた」


 真崎は簡潔に言った。

 長月は「あ」と小さく声を上げてから、ノートを受け取る。

 この場でノートを広げて中身を見たい衝動にかられたのだろう。長月が表紙を少しだけめくったが、それを真崎が阻止した。


「待て。家に帰ってから見ろ」


 命令するような口調に一瞬だけ、長月の肩が跳ね上がった。

 真崎はそれ以上の言葉を紡がずに、さっさと部屋を出て行く。

 もしかしたら、恥ずかしかったのかも。と俺は思った。

 長月はそれでもノートが気になったのか、表紙の交換ノートという文字を右手の人差し指で一度なぞってから、折れないようにボストンバッグの一番上に乗せてジッパーをゆっくり閉じた。

 俺はそれを見守りながら、長月に言う。


「真崎はああいう、不器用なところあるけど。いいやつだと思うぞ」


 長月は、小さく笑う。


「わかってるよ」


 長月は風船のように膨らんだボストンバックの長い肩掛け紐を持ち、それを小さな身体に斜めに引っ掛ける。

 わずかによろけた長月に「大丈夫?」と声をかけたが、彼女は申し訳なさそうに笑うだけだ。


「荷物持つよ」


 そう言っても、長月は「いい」と言って首を横に振る。拒否されたので、俺は食い下がる。


「重いだろう」

「本当に、大丈夫だから」

「やせ我慢するな」

「自分で持ちたいの。し、下着とか入ってるから」


 顔を真っ赤にして言うので、俺は思わず「ごめん」と謝る。


「こっちこそ。ごめんなさい」


 長月は、頭を下げた。

 それから、互いに無言の時間が流れる。どうも、サラとの両想い報告からずっとこんな感じだ。

 気まずい。

 俺は、長月との距離がわからなくなっていた。何度も傷つけ、泣かし。友人としても、かつてのライバルとしても、酷いことばかりしている。

 空っぽになった部屋に時計はなく、時折リビングから談笑する声がきこえてくる。


「そろそろ、行かないとね」


 俺が言うと、長月は頷く。


「そうだね」


 俺が部屋から出て行こうと、一歩前に進んだ時だった。


「菊地君」と俺を呼び止める声が聞こえた。

 振り向くと、長月はボストンバックの太い紐を胸の前できつく握りしめている。


「幸せになってね。幸せにしてあげてね」


 勇気を出して言ったのか、その声は微かに震えていた。

 俺は頷くと、「もちろん」と返事をした。


   ***


「淋しくなったら、いつでも電話かけて来いよ」


 長月がおじさんの車に乗る直前に、サラは長月を抱きしめながら言った。


「うん。ありがとう」


 長月は、サラの腕に埋もれながら頷いた。ボストンバッグは、先ほど車の後部座席に乗せていたため、持っていない。ふられた相手に抱きしめられているなんて、どんな気持ちなのだろうか。

 以前なら、サラに抱きしめてもらえるなんて羨ましい。と思うのだが、これからはサラに抱きついても怒られることもないので(場所さえ選べば)嫉妬の感情は芽生えなかった。

 そんな俺の様子に気づいたのか、真崎がじっと俺の事を見ている。勘の良い真崎の事だ。何か察していてもおかしくはない。

 とにかく複雑な気持ちになったが、そんなこと等のサラ本人は知ったこっちゃないだろう。


「次にうちに来るのは、冬休みな」

「長期休みのたびに居候させるつもりか」


 サラの発言に、俺はツッコミを入れる。

 

「あはは。冬休みはお姉ちゃんも実家に帰ってくるって言ってたし、大丈夫だよ。春休みも、そんなに長くないし、大丈夫だと思う。居候するとしても、また来年の夏休みになるよ」


 長月は笑いながら言った。


「やーだー。冬休みにきーてー」

「駄々をこねるな」


 俺はわがままを言うサラの両肩を後ろから掴み、長月から引きはがす。

 

「こら。まだ姫のこと堪能してたのに」

「いや、苦しそうだったから。つい」

「ああ。ごめん。強くしすぎたかも」


 慌てて謝るサラに、長月は「大丈夫」と言ってほほ笑む。

 長月は背筋を伸ばして身体を整えると、綺麗にお辞儀した。学校の式とかそういうかしこまったときにするような、ゆっくりとしたお辞儀だった。


「お世話になりました」


 おじさんはもう運転席に乗っていたので、そのお辞儀を見たのは俺とサラと真崎とおばさんだった。


「マタ、キテ」


 おばさんは片言の日本語で言った。


「またな」とサラが言う。

「俺たちは、明日学校で会うだろ」と真崎が身もふたもないことを言う。

「おばさんは、違うだろ。余計なこと言うな」と俺が言うと、真崎は明後日の方向を見た。

 頭を上げていた長月が、俺たちの会話に笑っている。


「またな」


 俺は最後にそう言って、大好きな幼馴染の家にいた居候のことを見つめる。

 最初に会った時の彼女は、もうそこにはいなかった。夏休みの最初の頃の彼女は、もうそこにはいなかった。


「またね!」


 長月は大きな声で言った。

 彼女は試練を乗り越えるたびに、強くたくましくなっていくのだろう。

 俺とサラに幸せになってと言ってくれた長月姫も、どうか幸せになってくれることを願う。

 

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大好きな幼馴染の家には居候がいる 黒宮涼 @kr_andante

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