第10話 菊地君を見守る会③

 菊地君を見守る会のリーダーである女生徒。梅沢仄うめざわほのかは隣のクラスの女子らしい。その情報を真崎から受け取り、俺はその日の放課後。彼女と話をすることにした。

 理由はもちろん、この間の件だった。

 長月を巻き込んだことを、サラが怒ってその場は治まったが、あのままでいいはずがないと俺は思っていた。

 俺がはっきりもうああいうことはやめてくれと言わないと、また同じことが起こりそうな気がした。

 俺は鞄を肩にかけつつ自分の教室から出て、隣の教室を覗いた。

 梅沢の顔は、はっきりと覚えていた。

 肩まで伸びたウェーブのかかった黒い髪の毛が、印象的だった。

 前の方の席だったので、すぐにわかった。


「ちょっといいかな」


 そう声をかけると、梅沢は一瞬驚いたように目を見開き、それから顔を真っ赤に染めて「はいっ」と大きく返事をした。

 その様子を見れば一目瞭然だった。彼女は、俺の事を好いてくれている。きっとあの日、あの場にいた女子生徒たち全員そうなのだろう。

 胸が苦しくなった。俺は俺の知らないうちにだれかを傷つけているのか。

 梅沢と軽く自己紹介をする。

 梅沢はこれから茶道部に行くところだったらしく、俺と梅沢は部室へ向かいながら話をすることにした。


「俺のことは、きっと知っていると思うけど。俺は君の名前も知らなかった」


 俺はそう話を切り出した。


「はい。知っています。わたし、菊地君と話したこともありませんでしたから。でも、ずっと見守っていました」

「どうして? いつから」


 俺は尋ねながら、梅沢の歩幅に合わせて歩いていた。


「入学式の日からです。覚えていませんか。わたしの落としたハンカチを、拾ってくださったこと」


 入学式なんて、何か月前の話だろう。

 今は六月末で、もうすぐ七月に入る。夏だ。もうすでに蒸し暑い時期だ。

 今年の梅雨は早くに終わって、日差しが強い日が続いていた。

 俺は必死に入学式の日のことを思い出していた。

 遅刻しそうになって急いで走っている記憶しかない。


「ごめん。覚えていない」

「謝らないでください。覚悟はしていました」


 そう言って、梅沢が足をとめた。


「好きです」


 梅沢が、ストレートにそう告白してくれる。

 俺も足をとめて、彼女のことをみつめた。


「ごめん」


 俺は、はっきりと断る。

 言葉を選んでいる余裕なんてなかった。


「他に好きな人がいるから」


 そう続けると、梅沢は「知っています」と言った。


「本当にごめん」


 俺はもう一度言う。


「ずっと見守っていましたから、わかっています。わかっていて、好きでいました。他の女の子たちもそうです。ごめんなさい、わたし今、抜け駆けしてしまいました」


 梅沢は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 抜け駆けとは、告白の事だろう。

 彼女たちの間で、交わされた約束だったのかもしれない。ずるいと言えばずるい。けれど、俺を目の前にして、梅沢の気持ちが溢れてしまったのだろう。


「そっか。安心してよ。俺の気持ちは変わらないから。他の子なんて見えていないから」


 何を安心しろというのか。と自分でも思ったが、でもきっとそういうことなのだろうと思う。彼女らは、サラが俺になびかないから安心していた。振られ続けている俺のことを見守っていた。それが急に現れた長月という存在。彼女らは俺が長月と仲良くなるのを恐れていたのだ。

 ひどい勘違いだ。近くにいるだけで標的になるのなら、俺はもう誰とも友達になれない。


「はい。長月さんには申し訳ないことをしました」


 梅沢は眉をよせて言った。


「わかっているならいいよ。今日はその話をしたかったんだ」


 俺はできるだけ優しく言う。


「後日、ちゃんと謝ります」


 梅沢は反省している様子だった。


「そうしてくれると助かる。それで、もうこんなことは二度としないようにお願いしてもいい?」


 聞くと、梅沢は「はい」と言って頷いた。


「ありがとう」


 俺は礼を言うと、梅沢に背を向けた。

 梅沢も俺に背を向けて、俺とは反対方向へゆっくりと歩き出したのが気配でわかった。

 何度も経験したが、誰かを振ることはやはり慣れない。

 苦しい。

 でも相手のほうがもっと苦しいだろうと思う。

 俺がサラにラブコールを送っている姿を見ていて、梅沢はどう思っていたのだろう。決して振り向いてもらえないとわかっているのに、梅沢はどうして俺に告白したのだろう。

 他の女の子たちだってそうだ。

 手に入らないとわかっているものを、どうして好きでいられるんだろう。

 でも、だから俺のことをずっと見守っていたのかもしれない。

 俺も、彼女たちときっと同じだ。サラが一生俺に振り向いてくれないかもしれないのに、ずっと好きでいる。

 これからも、そうだ。人を好きでいつづけることの大変さを、俺は知っている。

 俺は足早にその場を離れる。

 決して振り向いたりしないと思う。それをしたら梅沢に失礼だと思った。


「俺も部活、行かなきゃ」


 なんて呟きながら、たった今泣かせた女の子のことを考えた。

 願わくば彼女が。彼女たちが。

 別の幸せをみつけられますように。




 


 



 

 








 




 





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