第27話 二人の関係性について①

「おっはよー! マイハニーサラー!」


 元気いっぱいに、大きな声で、俺はいつもどおりに自分の部屋の窓を開けてからサラの部屋に向かって叫ぶ。

 朝の習慣みたいなものだった。

 カーテンが勢いよく開く日は元気だし、まったく開かない日は元気がない。ある意味で、確認の儀式だった。

 それが今日。お祭りの翌日。事件が起きた。


「お、おはよう、ございます」


 その声は大きくもなく、小さくもなく、遠慮するように返ってきた。

 驚くべきことに、声はその部屋のあるじのサラではなく、前原家に居候中の女の子。長月姫だったのである。

 俺は思考が追い付かず、目を点にした。

 長月はカーテンの端と端を両手で掴み、窓を少しだけ開けた状態で、俺のほうを見ていた。


「お、おはよう」


 俺は予想外の事に戸惑いながら、もう一度あいさつした。

 午前七時。いつもの朝。俺はサラの「うるせぇ!」という怒鳴り声を期待していた。

 それが俺とサラの日常だった。

 はずなのに。


「えっと、サラはまだ寝てるの」

「知ってる。けど、なんで姫ちゃんが、サラの部屋に?」

「昨日、帰ってから部屋でいろいろ話してて。遅くまで話してたから、そのままサラの部屋で寝ることになってしまって……」


 恥ずかしそうにそう説明されて、俺は唖然としていた。


(はあ? 何それ。ずる過ぎるだろう。まだただの友人だろう。居候だろう。それとも同性の特権なのか?)


 俺は頭の中に浮かんだ言葉たちを、喉元で呑み込んだ。


「へえ。そうなんだ」


 俺は声の震えを抑えきれない。


(もしかして、俺。勝ち目ない?)


 絶望的な言葉が、脳裏に浮かんだ。


「サラから、レオさんの話。いっぱい聞いたの。そうしたら、二人とも涙が止まらなくて。でも、サラは話してどこかすっきりしたような気分になったって」


 俺の部屋の窓とサラの部屋の窓の間に、長月の言葉が落ちていったような気がした。

 ああ、もう。本当に俺の役目は終わったのだと、その空間が告げていた。


「そっか。よかったな」

「うん」

「サラのことよろしく。大きい声出さないと、起きないから」

「あはは。わかった」


 俺の言葉に、長月はごく自然に笑って頷いた。

 俺は窓を閉めるまで、普通の顔をしていたが、振り返った瞬間に、その顔を歪めた。

 深く長い息を吐いて、その場に座り込む。

 昨夜、体調が悪いと聞いていたので前原家には寄らなかった。それがあだになったのかもしれない。


「そうか、もう。いいのか。俺はもう、いいのか」


 繰り返し呟いて、俺はサラのために染めていた髪の毛を右手で一束掴む。


「もう、いいんだ」


 ***


 その日の午後、俺は美容院に行って髪の毛を黒く染めた。

 すっかり気が抜けていて、すべてが終わったような感覚だった。その足で真崎の家に行くと、いつも無表情な真崎の顔が、一瞬驚いたような顔をした。


「お前、その髪の毛どうした?」


 玄関の扉を持ったまま聞かれたので、俺は答える。


「もう、良くなったんだ」

「それは、諦めたってことか?」


 微かに眉を歪めながら、真崎が言った。

 具体的な単語を出さなくても、察しの良い真崎には伝わったらしい。

 

「そういうわけじゃないけど。もう、いいんだ」

「何がいいんだ」

「ほら、もうすぐ夏休みも終わるしさ。生徒指導の先生に捕まるのも面倒だから」

「まだ二週間はある」


 揚げ足をとられたような気がして、俺は渋々説明することにした。


「……サラはもう、大丈夫なんだ。だから俺は、サラのために金髪に

染めてた髪の毛を黒く染めたってわけ」

「それは、本当か」

「本当ですとも。サラには姫ちゃんがいるから、もう大丈夫そうだ。俺はもう、いいんだ」

「お前のこと、殴っていいか?」

「はあ? 何で!」


 俺は真崎の発言に、思わず両手を顔の前へ持っていき、顔をガードする。


「前原のために染めてたのは、知っている。けれど、それと長月が関係あるのか?」


 真崎の指摘に、俺は目を丸くした。


「お前が髪の毛を黒くするのは、前原のことを諦めたときだと勝手に思っていた」

「それは……」


 俺は両手を下げると、真崎から目を逸らす。


「違ったのか」

「違わない」

「なら、諦めたんだな」

「いや、違う」

「どっちだ」

「ああ、もう。 髪を金にしようが黒にしようが、お前には関係ないだろ!」


 らちのあかない会話に、俺はしびれを切らして叫ぶように言った。


「関係はないが、お前が迷走しているなら、俺に言う権利はある。長月がいるから、前原はもう大丈夫だと言いたいようだが、それと、お前が前原のために染めていた髪の毛を、黒に戻すことに何の関係がある。お前、もしかして、自分はもう前原に必要ないって思ってるんじゃないだろうな」

「ああ、そうだ。俺は、サラに俺の助けが必要ないなら、もう俺はお役御免なんだって思ってるよ! でも、サラのことはずっと好きだし、諦めたわけじゃない」

「なら、いつものお前でいればいいだろう。それに、サラにお前が必要ないなんて誰が言った。どうせ、お前が勝手に決めたことだろう」


 俺は、もう何も言い返せなかった。


「まずは、本人に聞いてみたらどうだ? 次はお前が頑張る番だろう」


 真崎の声色は、随分優しく感じた。

 俺は、自分がどうしたらいいのかわからなかった。


「サラに聞く? 何を? 俺はもう十分頑張ったよ」


 首を傾げながら俺は尋ねた。


「本当にそう思っているのか。お前は、一度でもちゃんと聞いたことがあるか? あいつが本当はお前の事を、どう思っているのかを」


 核心をつくように、真崎が言った。

 俺は再び、黙る。


「いつも自分の気持ちばかり、押し付けているんじゃないのか」

「……お前に、何がわかるんだよ」


 諭すような真崎の言葉に対して、俺のようやく絞り出した返事は、それだった。

 

「わかるだろ。俺だってお前らと、どれだけ長い間一緒にいると思う。お前と仲良くなったの、小学五年生の春だったよな。あれから五年ぐらいか。本当に、俺とお前は性格が真逆の人間なのに、どうやって仲良くなったんだか」


 懐かしむように真崎はそう言って、微かに口角を上げた。

 俺は、思い出していた。

 小学五年生の春。初めて真崎と同じクラスになったときのことを。

 当時俺は、真崎の事が苦手だった。陰気くさくて、くそ真面目で、背の高い彼の事を、関わりたくないとさえ思っていた。

 それなのに、話してみたら意外と話の通じる奴で、いい奴だって思ったから、それからずっと俺から話しかけた。そうしたら、家も近いことがわかって、家に遊びに行くようになって。それからサラと三人で遊ぶようになったんだったか。


「涼平。正直なこと言うと、お前は昔から、前原サラのこととなると後先考えずに動くから。だから俺は、お前の事バカなんじゃないかと思ってた。でも今日わかった。やっぱりお前はただのバカだ。でもそんなお前の事、俺は嫌いじゃない。金髪似合ってたぞ。じゃあな」

 

 真崎は最後にそう言い残すと、玄関の扉を閉めた。

 俺はどう反応したらいいのかわからなかったが、一つだけはっきりしたことがあった。


(真崎とは、どんなことがあっても喧嘩にはならないな)


 俺は真崎家の重い玄関扉の前で息を吐くように笑って、踵を返した。

 サラに会いに行こう。俺はそう思った。

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