第26話 この夏のお祭りにて《side:サラ》

 長月姫に出会ったあの日から、あたしの人生は再び色づき始めたと言ってもいい。

 片手で抱えきれないほどのものを、もらったような気がしていた。

 姫は、あたしにとって、大切な友人であり家族になった。

 姫がどこかへ行こうとしても、あたしは必ず見つけ出す自信がある。

 たとえ雑踏の中ではぐれてしまっても、あたしは手繰り寄せられる自信があるのだ。


「姫!」


 やっとの思いで姫を見つけたとき、彼女は小さなほこらの隣でうずくまっていた。

 お祭りの会場から少し外れた、ひと気の少ない小道にひっそりとあったその祠は、姫の事を見守っているような気がした。

 あたしは姫の肩を、上からぽんぽんと叩く。

 姫はゆっくりと顔を上げると、その濡れた瞳をあたしの前に晒した。


「サラ……」


 消えそうに小さな声で、姫はあたしの名を呼んだ。

 あたしは姫が泣いている理由が、あたしたちとはぐれてしまったので、淋しくて泣いているのだと思った。だから、こう声をかけた。


「もう大丈夫だ。みんなのところにもどろう」

「聞きたいことが、あるの……」


 震える声で姫がそう言ったので、あたしはできるだけ優しい声で「なんだ?」と問いかけてみる。

 なんだか不穏な感じがしたのは、気のせいであってほしいと思った。


「サラはまだ、レオさんのこと、好きなの?」


 姫の質問を聞いた瞬間、あたしは目を丸くした。時がとまったかのように思えた。


「どうして、レオのこと」


 信じられないくらいかすれた声が、あたしの口から出た。

 もう二度と会えない、あたしの大好きな彼の名前を、姫が知っているはずがないと思っていた。留学生の話をするときは、直接名前を出すことはない。それが、家族の間では暗黙の了解だったからだ。

 あたしが哀しい顔をするのを、父さんと母さんは嫌がった。


「菊地君から」


 と姫の口からその名前が出ることは、別に意外ではなかった。

 あいつなら、話してしまっても不思議ではない。姫も涼平とは普通に話しているし、仲もよさそうだ。きっと、ひょんなことからその話が出て、普通に名前を出したのだろう。

 とはいえ、姫にはいつか話してもいいと思っていたことを、先に話されたことに関して、憤りを隠せない。


「涼平から、聞いたのか」

 

 語気が強くなる。


「うん」


 と姫が頷く。

 あたしは、大きなため息をついた。


「あいつ」


 と言いながら、あたしは思わず、地面の小石を片足で蹴とばした。小石は小さな音を立てて明後日の方向へはねていった。

 

「ごめんなさい」

「何で、あんたが謝るの」

「サラが私に知ってほしくないことを、私が菊地君に聞いて知っちゃったから」

「別に、知ってほしくないわけじゃなかったよ」


 立ったまま姫の事を見下ろしているのがいたたまれなくなって、あたしは姫の隣にしゃがみこんだ。姫の向こう側に見える祠の神様か何かが、本当の事を伝えろと言っているような気がして、あたしは姫に本音を話すことにした。


「涼平からどこまで聞いたかわからないけれど、気持ち悪いでしょう。もう亡くなった人を今でも想ってて、その人の生活してた部屋に花を供えてるっていうのは。しかも、今姫が寝泊りしている部屋だし」


 姫が、大きく首を横に振った。


「ううん。全然、そんなこと思わない。思わないよ」


 姫は強く言いながら、再び顔を隠してしまった。折れた両膝の上の両腕は、しっかりと彼女の顔を覆っている。

 姫は言葉をつづけた。


「綺麗な花だなって思ってたの。私のために活けてるんだと思ってたの。とんだ勘違いだったから、恥ずかしくて」

「あー。そっか。勘違いさせちゃったか。ごめんな」


 顔をうずめたまま、姫が頭を横に振った。

 あたしは陽が落ちてきた薄暗い空を見上げる。大嫌いな空を。大事な人を連れて行ってしまった空を、いつの間にか怖がらずに見られるようになった。

 それもきっと、姫が傍にいてくれるおかげなんだとあたしは思う。

 

「いい加減、忘れたほうがいいって自分でも思うんだけど。どうしても、できなかった。あたしの初恋だったから」


 空がにじんで、ぼやけていく。

 思い出すたびに、胸が張り裂けそうになる。

 もう二度と会えないことに、絶望する。

 忘れたくても忘れられない。

 今でも大好きだから、忘れたくない。


「忘れなくていいよ」


 温かいものが手に触れて、ふと目線を下に戻すと、そこには姫の小さな手があった。姫はあたしと目を合わせると、真っすぐに見つめてくる。


「昔のサラのことは知らないけれど、私は、そのままでいいと思う。そのままのサラのことをもっと知りたいと思う。だって、好きだから」


 生暖かい風が吹いて、あたしの気持ちをさらっていってしまうのかと思った。姫の充血した瞳から、視線を逸らせない。


「あたしも好きだよ。姫のこと」


 そう言うと、今度は姫の顔が見る見るうちに赤くなっていった。


「あ、今のは、ちがっ。変な意味じゃなくてっ」


 どういうわけか、姫はめちゃくちゃ焦りながら両手を振っている。

 その姿にあたしは、思わずふっと笑う。


「どんな意味だよ」


 と言いながら、あたしは自分の目元を腕で拭った。それから、ゆっくりと立ち上がる。


「まあ、姫が無事に見つかってよかった。みんなに連絡しないと。心配してる」

「うん。ごめんね」


 謝る姫に「気にするな」と声をかけてから、あたしは携帯電話をポケットから取り出した。

 少し考えてから、このままみんなの所に戻らずに家に帰ることを提案してみる。

 姫は、涙を拭いなから頷いた。

 慣れた手つきで操作すると、画面に真崎琢磨の文字を確認する。電話をかけると、真崎はワンコールで出た。


「あ、もしもし真崎? 姫、見つかったから、そのまま家に帰るわ」

『え。ああ。よかった』


 電話口から、ほっとしたような声がきこえる。

 本気で心配していたのだろう。

 真崎がこんなふうに感情を声に乗せることは、珍しいように思えた。ふと今日の真崎の姿を思い出して、カマをかけてみる。


「あんたさあ。今日、ずっと上の空だったでしょう」


 あたしがそう言うと、図星だったのか、真崎は黙ってしまった。


「やっぱ目の前で見て、しんどかった? さっさと楽になれよ。あたしみたいに後悔する前にさ」

『……ああ』


 あたしが発破をかけると、観念したように真崎は返事をした。


『いってくる』


 それが「行ってくる」だったのか、「言ってくる」だったのか。どちらにせよあたしができることはひとつだった。


「よし、頑張れよ」


 あたしはそう声をかけると、電話を切った。

 いつの間にか、隣に不安そうな顔をした姫が立っていた。


「あいつなら、きっと大丈夫だ」


 そう言ったら、姫はやっとほほ笑んでくれた。

 あたしたちは二人で手を繋ぎながら、家に帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る